第2話 会議と講義

 王女が寝室から消えた日の午前、ヴァルガンド連合帝国の王宮は表向きは静かだった。


 白色の壁に黒色と赤色が重厚な装飾が散りばめられた王宮廊下を歩く男女の文官武官がいた。

 その様子はいつもと変わらない。

 女性文官が手に持っている資料はいつも通りの地方行政官からの分厚い定期報告のように見える。但し、その顔は厳しい。

 その顔をみた別の文官は地方で何か難しい問題が起きたのかと同情した。

 

 部下である男性文官二人を引き連れ、女官はある会議室の扉をノックをした後、無言で入る。


 その会議室は窓は閉じられ、頭上のシャンデリアが神々しく輝いている。

 シャンデリアの下には大きな長方形テーブルがあり、それをぐるりと囲んで白髪交じりの老境にさしかかった男女がそれぞれの席についている。


 いずれも王宮を預かる面々である。


 会議室は王女が失踪したにもかかわらず、どこか余裕のある空気が流れていた。


「いやはや、姫様にやられましたな……」


 自分のはげ頭をパチンと叩いてある老官は言う。


「これまでも何度も王女様たちが無断で城外に出られることがありましたが、

 置き手紙を残すのはこれが始めて……ですわね」


 軽く刺激臭のする飲み物を口を含みながら、隣の老女官は重ねる。


「前は城を抜け出して、屋台の食べ物を所望されたことありましたな。

 ……たしかに、あの屋台の焼きそばはおいしかった」


「あの屋台の店主は確かにルルラリア出身だったかな?

 ルルラリアの昔の王都には、面白い魚料理を出す店が多い。

 孫も今度旅行に行くとか言っていたかな」


「あそこは、おとぎの国ような場所だ。

 あれだけの異種族が入り交じっているのに、よく上手くやっているものだ。

 ……聞いたか、また辺境で反乱が起きたらしいぞ。

 中央しか見ない若造が何かやらかしたかな?」


「姫様は別に上手いものを食べるためだけで、

 ルルラリアへ向かったわけではなかろう」


「いや案外……国交が事実上断絶したままなのに、

 公事として王族が訪問するわけにはいかない……。

 ならば、という線も考えらる」


「訪問しようにも、ルルラリアの王族は新しい方の王都に引きこもったままだぞ。

 最近、あそこの政府の動きが不鮮明……というより混乱しつあるという情報がある。

 こちらが国交復活を求めても、交渉先が突然消えることも……あり得る」


「消える……? ああ、そういうこと。

 また怖いこと言うわね」


「あそこは我が帝国にやられたことからまだ立ち直っておらんよ……」


「……最近ふと思うのだが、

 われらはルルラリア王国に良くない勝ち方をしたのかもしれん」


「わしもそう思う。

 ギフト持ちの民兵が出てきたときに、我らは引くべきだった」


「もう過ぎたことだ。

 時間は戻らん」


 話がちょくちょく横にそれながらも、各人が自分が持っている情報を交換しあっていく。


「姫さまは、ルルラリア王国へ向かったことが確かなら、

 何かの交通機関をお使いになったのであろうな……?」


 テーブルの上座側に座る腕を組む老官に、先程部屋に入ってきた女官が報告する。


「只今、信頼できる部下に帝都から出ている長距離交通機関の乗客名簿を調べさせています。

 ただ何分……王女が行方知れずというということは秘密ですので、人海戦術が使えません。……時間がかかるかと」


「すまんな、他にも仕事があるだろうに」


「構いません。これも私どもの仕事ですので」


 女官はちらりと部下の男官に目をやると、彼らは頷いたあと部屋を後にした。


「王女失踪は外に漏らさないよう注意していますが、第一王子、第二王子の関係者に感づかれるのは時間の問題かと……」


「そうだろうのう……、我ら老人クラブにはこれはちょっと荷の重いミッションだからの」


 女官の言葉に上座の老武官の自嘲気味の言葉に、男女の老文官と老武官はくっくっくと笑った。「そんなことはないでしょう」と女官がすました顔で返した。 


「しかし……」

 一人の老女官が品よく顎に手を当てて言う。


「姫様はどうやってルルラリアまでの交通費を作られたのか?

 決して小さなお金ではないだろうに。

 ある程度のお金は姫様付きの女官が管理しているのだろう?」


「それですが……どうも姫様は女官に報告しなくてもよい少額の余り金を貯めていたようで。

 捜索を手伝って頂いている会計課の職員が気づきました」


 女官の報告を聞いて、先ほどのはげ頭の老官はかかっと笑った。


「そりゃ凄い。

 あの歳で裏金の作り方まで思いつくとは」


「きっと裏帳簿もどこかにあるはずですぞ。

 少額の細かい金額の管理は、どこかに書いておかないと

 ……いろいろと困ることになる」


 金の眼鏡をかけた男性老官はニマリと笑う。


「それで、

 どれくらいのお金が管理外になってるのかしら?」


 老婦人はそう言って、テーカップを受け皿に置いた。


「は、それが……

 会計課の職員の話だとこれくらいかと……」


 女官は老婦人の前に一枚の紙を置いた。

 そこにほかの席に座っていた老人達が集まってくる。


「いやだわ。

 加齢臭臭い……」


 老婦人は顔をしかめた。

 まわりがどっと笑う。


「しかし……、正直ルルラリアの昔の王都に行くとしてもこの額は少ないな。

 こんな金額では国境手前にも届かないのではないか?」


 老男性武官はそう言って、自分の眼鏡を直した。


「……まだ勘定に入れていない金が

 どこかにあるのではないか?」


「現状確認できのはこの金額です」


 女官は訝しげな老武官の視線を一喝した。


「この値段では……」

「途中から無償で乗せてくれる協力者がいるのかもしれんな。

 ルルラリア行きの貨物船とかはどうだ?」

「貨物船に幼い子供では目立つだろう?

 衛視も何か気づくはずだ」

「ではどうやって?」


 老人達はううむと唸った。


 その時、会議室に先ほど出て行った女官の部下の一人が戻ってきた。


「課長……ちょっとお耳にいれたいことが、

 あっ!」


 女官に彼が近づいた時、テーブル上に置かれた紙に書かれた数値が目に入ったらしい。


「ん? どうした」


 老人達の視線が一斉に彼に集まった。


「い、いえ。

 ただいま乗員名簿に王女らしき名前を見つけたとの連絡を受けたのですが……。

 交通手段が交通手段だけにいまいち確信が持てなかったのでが……」


 歴戦の強者達に詰め寄られて思わずたじろぐ男性。


「この値段でルルラリアへ行くことができる交通機関があるのか?」


 老人は紙の数字の部分をとんとんとたたいた。


「……あります」


「なんと!

そんなものがあるのか!」

「そうなの?」


 老人達に詰め寄らながらもぐっと耐える文官。

 上司である女官はうわぁーと苦笑している。


 こほんと咳払いした後で文官は姿勢を正した。

 強敵に立ち向かうにはまず身構えが大事である。



「低グレードの深夜バスです……」



 その言葉聞いたとき、老人質はぽかーんと口を開けた。


「は?」

「なんだそれは?」

「バスとは、あのバスか?

 あれで夜の国境を越えるのか? 面妖な……」


 疑問をぶつけられる文官は、はたしてどこから説明すればよいか判らず困っていた。

 上司である女官はそんな部下と老人の間にすっと割り込んだ。


「老人クラブの方々は権力に詳しくても

 庶民の足には疎いようですわね。

 ……ようござんす。私がイチから説明させていただきましょう」


 

 勝ち誇ったような顔で女官は宣言した。

 老人達はうん……と無言で頷いた。 



 ◆◆◆


 帝都で老人方が現代交通事情についてスパルタ講義を受けている頃、ルルラリア王国の旧王都近くの港の外に1匹の竜とグライダーが停泊していた。空は晴れ渡り、波は穏やかだ。

 これは竜便という、文字通り人に飼い慣らされたドラゴンにグライダーを引かせて人や貨物を運搬する交通機関である。速いが料金がバカ高い貧乏人お断りの乗り物である。


「姫様……この街にいると楽なんだけどなー」


 メイド長の命により、帝都近くの空港から出ている竜便の朝一番の便に文字通り他の先入りの王宮職員とともに担ぎ込まれた王女付きメイド――リリアンはグライダーから小型船に乗り換えて港に向かう途中だった。

 海から見る旧王都はまるで神話の中に出てくる古都の趣があった。


「ルルラリア……昔ツアーで来たことあるけど、

 あんま憶えてないなぁ……」


 今回もゆっくりできないなぁ……、とリリアンは旅装のコート裏にしまってある手紙の存在を確認した。彼女は侍従長から秘密の使命を帯びていた。

 小型船には他の王宮職員も乗り合わせている。秘密行動なので互いに無関係を装っている。


 ◆◆◆


「なるほど……今の若者は貧乏旅行に深夜バスという格安交通機関を使うわけだな。

 いやはや、私の若い頃など商隊に便乗することで旅費を浮かせたものだが……」


「はい侍従長アウト―!

 支給された交通費との差分をを浮かせて小遣いにしたい中年の勤め人も使ってますぅー」


「なんと! そのようなことをする者がいるのか……」


「あと宿泊代を浮かせたい職員もつかってますぅー」


「おお……王宮職員にもそういうことをする者がいるのか……旅費や交通費は十分に与えているはずなのだが……」


「判ってませんね…… 目の前にちょっとした大金が右から左へ流れるのを見て、

 少しは自分のぽっけに入れたいと思うのは人の性! 十分不十分の話ではないのです!」


「うぬう……!」


 長テーブルの上座に座っている身なりのよい老人――王宮で侍従長を任じられている彼は女官の説明に深く頷いていた。女官の隣に控えている部下は冷や汗が止まらない。事実上の王宮関係者のトップに、ふんぞり返って上から目線で講義している上司の行動が彼の胃をちくちくと痛める。


「では……王宮の者をルルラリアの昔の都に送らねばなるまいな。

 誰をやる? 信頼できる者でないといけないな……果たして第一王子、第二王子の息がかかっていない……こう……秘密裏に人捜しができる職員などいるのか? 荒事になることも考慮せねばならないぞ」


 テーブルを挟んで老人達が相談を始める。

 先ほどの余裕の雰囲気は消えていた。


「軍の情報部関係者は駄目でしょうなぁ……あそこは王子!王子!だ。

 衛視隊の中から使えそうなのを……」


 皆の注目が侍従長に集まる。

 王子派に属していない国王の直属部下を動かせるのは彼だからだ。



「実はな……朝のうちに現場での捜査態勢を構築するために王女付きの職員を数名、

 先行部隊としてルルラリアの旧王都に送り込んである」


 侍従長の告白に彼の周りにいた老官や女官が大きく目を開いた。



「さすが昔から手が早いだけのことはあるわね」


 刺激物の入ったカップを片手に老女はそう言って笑う。

 その一言にまわりで老人がちがげらげらと笑った。侍従長は苦笑した。


「しかし、侍従長殿。

 王女付き職員は、捜査や荒事には慣れていないのでは。

 やはり非番の衛視隊員を……人の予定外の移動は王子派に感づかれるリスクもありますが」


「それはそれで上手くやってくれ。

 ……近頃、第一王子、第二王子の動きがきな臭い。ひょっとしてのこともある。

 それでだ、……ワシはルルラリアの人間の手を借りることも考えておる」


 その侍従長の声に、周りは一瞬ざわついた。


「ルルラリア王国に協力を……?」


「ワシはルルラリア王国の政府は信用しておらん。

 借りるのは、ルルラリアの一般人だ。

 ……旧王都には信用できて。腕に覚えがあって信頼できる人間が一人いる。

 昔、一緒に戦って以来の仲だ」


「ああ、元々は帝国の人間でしたか。

 それならば……」


「いーや。

 昔、リリアリア侵攻時に殺し合いをした……民兵の一人。

 つまり、敵だった人間だ」


 侍従長は片眉をつり上げ、からかうような子供じみた表情を浮かべた。



 ◆◆◆


「ジョージ……、

 侍従長から言われたジョージ・グレイサイドってどういう人なんだろう……。

 侍従長の戦友らしいから……きっと剣豪みたいな人なのかな……」


 港に接岸したとき、リリアンは侍従長から聞いた名前を反芻した。


 いったいどんな人なんだろう……。

 


 ◆◆◆


「なんだ、妹ちゃん一人かい?」


 中古魔導具ショップ「ハロー☆マジック」にやってきたのは金物屋のジョージだった。

 あいかわらずハゲている。


「姉様ですかー?」


 カウンターに座ったままでマコトは返す。


「ん、ああ。

 てっきり今日、カレン店長はここにいると思ったのになぁ……。

 商店街祭りの出し物の企画会議に出てほしかったのじゃが」


「城にいるんじゃ?」


「城のボランティアのところにはもう行ったさ。

 いなかったから、今日は店のほうかと思ったんだが。

 ……ん、妹ちゃん、そのペンは何だ?」


「新しく仕入れた魔導具だよー。

 なんか、自動的に文字が書けるの」


 マコトはカウンターの上でチラシの裏に、先ほどあの姉妹から買い取ったペンの試し書きをしている。試し書きといっても、ペンを紙に近づけるとペン先がするすると自動的に動いていくのだ。


「ほぉー。

 こりぁ確か『サインペン』とかいう魔導具だな」


「サインペン…?」


 前世でそんな名前の商品が……。


「……多分別のものを想像しておるようじゃが、これはサインを自動書記をする魔導具だ。自分も昔持ってたぞ。

 こりゃ、どうも前の持ち主の記録が消してなかったようじゃな。

 いやいや、不用心な方がいるもんだ……」


「へー」


 ちなみにあの二人の姉妹には店奥の休憩室を貸してあげている。

 いまごろぐっすりと眠っていることだろう。


「……じゃ、わしは公民館の方に戻るから。

 店長さんが帰ってきたら、公民館に行くよう伝えてくれ」


「はーい」


 金物屋のジョージはそう言って店から出て行った。



 マコトはペンの試し書きを続けていた。

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