第9話 エピローグ 試された者
窓の外は夜の帳が降りていた。
「あー……、久しぶりに食らったなー」
ローランによる説教タイムを堪能したケンイチは商会の自室でぐったりとしていた。
子供ながら生意気にも、ケンイチの自室には立派な執務室と執務机があり、そこには未処理のボックスに入れられた書類が数枚入れられていた。
そして例の黒い箱も机に置かれていた。
ローラン先生はこの黒い箱を破壊も没収もしなかった。
・プライベートな空間で見ること。
・自分の責任で見ること。
・ハマっておサルさんにならないこと。
との条件で黒い箱は返してもらった。
「坊ちゃま、その黒い箱はいかが致します?」
執務室の机の前にはメイドとクリスティアが控えていた。
そこ言葉を聞いてケンイチはしばらく腕組みをして思案した後、口を開いた。
「それより前に、……はっきりさせたいことがある」
「はい」
「このビデオの主演女優……クリスティアさんだろ?」
メイドは眉を少し上げた。黒縁メガネ奥の瞳はピクリとも動かない。
「気づかれました?
あの頃と容姿も変わったと思ったのですが……」
口元に微笑を浮かべてクリスティア。
「気づいたよ。
このしょーもないギフトのせいでな」
ケンイチは自分のこめかみをコンコンを叩く。
「それで……いかが致します?」
クリスティアはメガネを外して、髪を解いた。
「わたしを……脅して、そのビデオの続きでもなさいますか?
それとももっと凄いことでも……?
脅すまでもなく、わたしはいつでもウェルカムですが?……ひゃっ」
そのまま執務室の上のケンイチの手に自分の手を重ねようとしたクリスティアの手を、ケンイチは軽くつねった。
クリスティアは慌てて手を引く。
「見くびるな。
あと、ボク子供だからスケベなことよくわかんなーい」
「坊ちゃま……」
「それに、あのビデオを見てもスケベな気持ちにはならない訳よ。
なんつーか、家族のトイルを覗いてしまった時のような……居たたまれない気持ちが真っ先にくる……だよねえ」
「家族……」
「かと言って、全て心を許したわけじゃねーぞ。
経歴書には元帝国軍の
まぁ、親父のお眼鏡にかなったんだ……信頼できるんだろう。
これからもよろしくな、クリスティア」
クリスティアはメガネをかけ直した。
「……はい。
よろしくお願いします。
ケンイチ様」
クリスティアはそう言って、執務机の上にある処置済みの書類と束をもって、ケンイチの部屋から出ていった。
ふーと息をついた後、ケンイチはあることに気づいた。
今、初めてクリスティアが「坊ちゃま」ではなく「ケンイチ様」と呼んだことを。
この騒動のはじめの頃、この黒い箱のことをクリスティアは「試し」と呼んだ。
「俺を『試し』たのは、
あのおっさんじゃなくて、クリスティアなのかな……」
未処理の書類を手にケンイチは呟いた。
その手はまだ幼さが残っていた。
◆◆◆
「騎士レイチェル……本当にこんなので良いのでござるか?」
「貴様が塩焼きそばが作れると言ったのだろう?
さっさと作れ」
教会の管理棟の給湯室備えつけの小さなキッチンには修道士のコネリーと女性エルフ騎士のレイチェルがいた。
「帝国の各地を廻っていた頃に、コックのアルバイトをしていただけでござる。食材も狩ってくることもあったでござるが……」
大型のフライパンに菜箸の組み合わせで、野菜と麺を炒めるコネリー。
「もう少し火力があればベストなのでござるが……
騎士レイチェル、拙者の塩焼きそばはダシや香草の使い方が帝国風でござるから、ここのものとはちょっと違うでござるぞ」
「そう言えば、漂ってくる香りが変わっているな……」
「これは帝国の庶民の味でござる。
帝都の屋台では、これを強めに効かせて香りで人を惹きつけるテクニックがあるでござる」
「ほう、興味深いな」
「帝国貴族はこのようなものは食さないでござる。
いや……そうでもないな、たまに身なりのよい貴族訛の子女が買いにくることもあったでござる」
「塩焼きそばの魅力には貴族も庶民も変わらないものだ」
騎士レイチェルは腕を組んでうんうんと自分の説に納得していた。
◆◆◆
「『これ以上の謝罪は私の求めるところではない』って……あはは」
「からかうな、副部長」
ラノア王立学院の研究室では、実験装置を部長と副部長で監視していた。
「部長ー、あれって昔読んだ英雄物語の一説じゃないですか……」
「憶えていたのか?」
「憶えているに決まってますよー」
「魔法の騎士達が森に迷った時の話だ……
まぁ……あいつらいつも道に迷ってるがな、
そこでエルフの里に足を踏み入れていまって……」
「エルフの見回り兵士と戦うことになって……そしたらその里に住む王族の娘が止めに入るのよねー」
「王族の娘は無礼を謝るんだ、
ま、あれは武装姿で里に立ち入った英雄たちも悪いんだからエルフが謝る必要がないけどな……
……いま思い返すとあれ結構、人間側寄りに書かれた話だよな」
「そしてエルフの王族の娘の謝罪を受け入れ、主人公は応えるの……」
部長と副部長はそこで目を合わせた、
「「これ以上の謝罪は私の求めるところではない」」
二人は笑った。
◆◆◆
あの説教を受けた日からしばらく過ぎたある日、すっかり暮れてネオンサインが夜を彩る時間に二人は並んで歩いていた。
「……いいのかい?
ケンイチ君、案内してもらって」
「いいんですよー、
これもお互いの今後の友誼のため、
この街を代表する商会としては、この街の真の素晴らしさをお伝えするのも役目というもの、
ご遠慮はいりません」
商店街の大通りから裏に入ったところに連なるのは、ネオンサインきらめく風俗店である。その中を酔客に混じりながら歩く中年男性と少年。
「おお、それは嬉しいねぇ。
ところでケンイチさん、あのこの前渡したビデオはどうだったかな?」
「ああ、あれっすか。
……いやー、まー、すごかったですねー」
ケンイチはあのビデオに関しては複雑な感情がある。あの黒い箱は、執務机引き出しの奥深くにしまわれている。
「そーだろ、そーだろ。
あれはまだ自分がまだ自分の店を持つ前に、帝国で伝説となったビデオなんだ。あのころは金もなかったし、妻とも付き合う前でな……なけなしの金をはたいて買ったものなんだ。君に渡したのは複製したものだったがね。
なけなしのお金をはたいて買ったのが、ま、ああいうビデオなんだ。もっと人前で堂々と言えるものに投資すべきだったかな?でも、俺はあれを買ったんだ。
くそったれは日常にせめてもの救いが欲しかったんだ。美しい宝石でもなく、素晴らしき人生の指南書でもなく、ましてや宗教書でもない、あの女優のビデオが欲しかったんだ。あのビデオが救いだったんだ。
いけないねぇ、久しぶりに語ったら止まらなくなっちゃったよ。
あの女優さん……今どうしてるかな……。
勝手だけど、幸せになって欲しいねぇ。
あのビデオの中の笑顔で、今も同じように笑ってくれてると嬉しいねぇ……」
帝国の国民である中年男性はそこまで言って遠い目をした。彼を取り巻くネオンサインは永遠にこの時間が続くように魅惑的に輝いている。
「……そうですね。
あ、ここです。
ここが一番信用できる案内所です」
「おお、ここかい?」
「ええ、ここは知り合いかやっている所で店への忖度なしにぴったりの店を見つけてくれると評判のところ……はい、お邪魔しますよー」
ケンイチと取引相手の中年は風俗街の入口付近にある案内所の暖簾をくぐった。
暖簾をくぐると黒服姿の女性が立っており、二人を店奥の個別カウンターへの案内する。
「ケンイチ様ですね。
店の方より特別扱いするよう伺っております」
カウンター向かいのファンシーなコスチューム姿の女性は笑顔を浮かべてそう言った。胸の谷間がまぶしい。
「……本当に俺、特別扱いなんだ」
「ケンイチくん、すごいねぇー」
ケンイチの隣に座った中年男性は囃す。
「あ、今回は支払いはこちらで持ちますので」
「いいのかい? これまた嬉しいねぇ」
「はい、でも……お気に入れられたなら……次は自分のお金……ですよ」
「はっはっは、判ってる、判ってる」
カウンターのほうから中年男性に店の案内が載ってる厚手の本が渡される。
そしてカウンターの店員はケンイチの方を向いた。
「あ、自分は今回はライトというか軽めのエッチな店が……」
「ケンイチ様には、伝言を預かっています」
店員は笑顔のままだ。
「へ?」
「伝言がございます」
「は、はい」
「『後ろを見ろ』、です♪」
「んなっ!」
ケンイチが振り向くと、
――そこにはミツキが立っていた。
物凄い笑顔である。
艶姿の女性二人が彼女の後ろに控えている。
ミツキは親指で後ろを差した。
ちょっと来い、という意味である。
「……、それじゃごゆるりと。
ちょっとあっしは今、……用ができまして」
「おおう、ケンイチくんも楽しんでね」
ケンイチは取引先の中年男性にそう言葉を残しながら、ミツキに強引に手を引かれて案内所のスタッフルールに連れていかれる。
そういうプレイもあるのか……と中年男性は感心した。
……ミツキだって、いつでもこういう店に来てもいいって言ってたじゃん……。
信じられないっ! 本当に来るなんて、信じられないっ!
ミツキ……お前めんどくさいな……
うるっさい! 黙って歩けっ!
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