16話、新しい朝なんて、

「……ごめん、幽海ちゃん。さっき終わったよ」

 もうじき朝日が昇る時分にようやくビルの屋上に行くと、明るくなっていく夜空を眺めながら幽海ちゃんが待っていた。

「おかえりー。結構かかっちゃったね」

「まあ、直接の関係者だしなあ……」

 ――あの後犯人は気絶してしまったまま、流れるようにやって来た警察によってお縄についた。

 当然の流れで、俺は事情聴取を受けることになった。幽海ちゃんに一言断ってから、懇切丁寧に(虚実を織り交ぜて――流石に幽海ちゃんのことを言うわけにはいかない。過去最高に頭を使ってストーリーを作ったかもしれない)教えていたら、いつの間にやらこんな時間になってしまっていた。

 好意からか家まで送ってもらえそうになったが、少し1人にさせてくださいと、これまた適当が過ぎる言い分を使って抜け出してきたのである。

 ……幽海ちゃんと会えるのは、今日が最後になるのだから。

「しかし」俺は笑顔の幽海ちゃんを見て、改めてあの泥棒に迫っていた時のことを思い出す。今でも身震いする。「あんな怖いこと、出来たんだな……」

「ふふん。女優さんみたいだったでしょ!」

 とは言え、あの鬼気迫る詰め寄り方、幽海ちゃんの中では相当に無理をした方らしかった。いつもは人に優しい可愛らしい少女でしかないのだし、更には本人も怖かった筈だろうから、それもそうだと思う。

 ジジ抜きの時にも思ったが、幽海ちゃん前世は役者か何かだったのだろうか。あり得ないくらいの演技力だと思う。或いは年齢的にその志望生か。そうだとすると望みに届かずして死んでしまったのか――。

 いや、これ以上は無駄な推測だ。止めておこう。

「だな。幽海ちゃんなら良い女優になれるぜ」

「……いやー、それは無理だと思うな」

 幽海ちゃんが俺にすり寄る。

 随分と好かれたものだよなあと思いつつ、幽海ちゃんの返答に「何でだ?」と疑問文を重ねる。


 ――瞬間、俺はその答えを悟った。


「……女優さんってさ、どんなに悲しくてもお仕事では素振り一つ見せないんでしょ?」

 幽海ちゃんが、

「私には、無理だよ……」

「……」

 ただ、しゃくり上げた言葉をずっと聞く。

「とっても楽しかった。楽しかったの。幽霊になってからさ、ずっと、ずっと、遊んでくれる人はいなかったから。お菓子だって一緒に食べたし、沢山沢山、お話ができたし。でも、足りないの。全然足りない、全然。あのね、私、もっとりっ君と色んなお話ししたかったな。色んなお菓子食べたり、もっと私がいっぱいゲームで勝って、変な罰ゲームしてあげようと思ったのにさ」

「……こっちだって、変な罰ゲーム考えてたのに、な」

「え、りっ君、ちょっと変態なところあるからな……」

「どこに。この善良で勤勉な大和男子のどこにあるんだ」

「そりゃもう、色々と、よ」

 ……。

 いつものやり取りも、どことなく神妙になってしまう。

「……ね、ほら。今もすっごく楽しい」

 堪え切れぬ涙をぽろぽろ落としながら、あはは、と朗らかな笑みを浮かべた。その表情に、俺の心はどうしようもなく絞られる。

「思うんだ」幽海ちゃんが続ける。「このまま、時間が止まればいいのに――新しい朝なんて、来なければいいのに、って」

「……」

 俺は、ここで留まるべきなんじゃないか。

 この、可哀想な幽霊のために。

 諦めたはずの考えがまた頭の中に湧いてくる。

 ――馬鹿げている。人生を棒に振るつもりか。親父にもさらに怒鳴られるに違いない。これで怒られたら今度こそ俺は文句を言えないだろう。幽霊のためにこのバイトを続けます、なんて息子に言われたら俺だってブチ切れる。脳みそにうじが湧いたのかと。

 考えを振り払え。どうせ、叶わぬ願いだ。

 ……でも。

「りっ君」

 幽海ちゃんの声に頭を上げる。難しく考えていたのか、いつの間にか俯いていたようだった。

 目の前に見える幽海ちゃんの顔は、変わらず笑顔だった。

「……ありがとう、楽しかったよ」

 ……しかし、その笑顔は。

「短い間だったけど、本当に、ありがとうね。私の心の暗いものがさ、少し晴れた感覚があるんだ」

 決別を覚悟した笑顔であった。

 ――周りの空が更に白んでいく。思わず、やめてくれと願ってしまっていた。しかし太陽は、俺たちのようなちっぽけな存在のことなど待ってはくれない。

 幽海ちゃんは続けて口を開く。

「きっと、私は大丈夫」

 涙に濡れるその顔では、全く大丈夫そうには見えなかった。

 本当に、どこまでいっても不器用な子だ――。

「それにさ、もう、ここに来ることは無いんだよね……だって頑張らなきゃいけないことが、りっ君には、外の世界にはあるんだから」

「……」

「私、さ。応援、してるからさ」

 ……幽海ちゃん。

「……そんな顔、しないでよ」

 どんな表情してるんだ、俺。

 泣いてはいない――が、ぐちゃぐちゃなのだろうとは容易に想像がつく。

 でも、確かにそうだ。ここまで言い切って、最後の最後で俺を送り出そうとしてくれているのだ――酷い顔はできない。

 色々な言葉が頭の中を駆け巡る。しかし、その中でこの場で出すべき言葉はただ一つしかない。

 その言葉を出すことは、決別を受け入れることだ――たった3日間、それも合計しても十数時間にしかならない程しか過ごしていないのに、どうしてここまで痛いのだろう。


 ――闘って傷つくことが美徳なのか。傷は戦いの勲章だと、そう言いたいのか。

 傷つかない方が良いに決まっている。わざわざ傷つきに行くなんて、阿呆以外の何者でもない。


 ――嘗て、確かに俺はこう思った。今もこの考えは、性根の部分では変わっていないのかもしれない。

 だけれど今回は、その痛みから逃げない。

 

 幽海ちゃんが覚悟を決めたんだ。

 こっちも、ちゃんと声を出せ。伝えろ!

「ありがとうな、幽海ちゃん! 俺も楽しかったぜ!」

 ……元々は、現実に疲れて逃げて、癒されに来た。

 今もその状況は変わっていない――別に幽海ちゃんと会ったからといって俺を取り巻く状況は好転していないし、これから結局現実に向き合わざるを得なくなる。そこから逃げるのかもしれないし、逃げないかもしれない。そんなものは向き合ってみないと分からない。

 多分、それは幽海ちゃんも同じだ。記憶がないことへの恐怖が今の鬱屈さの根幹ならば、どれだけ俺が隣にいてもいなくても鬱屈さは完全には消えない。今は一時的に忘れているだけに過ぎない。これからはまたその恐怖と鬱とに向き合わないといけなくなる。

 そんな幽海ちゃんは。

「……本当に、ありがとうね!」

 そんな近い将来の厳しい状況を一切感じさせない程の、とびきりの笑顔を返してくれた。

 俺の頬も自然と緩んだ。


 その時だ。

 太陽の光が一条、入ってきた。

 幽海ちゃんの体を貫いて、その部分が消失する。

 もう、時間か。


「じゃあね、りっ君!」

 手を振る。振るそばから太陽の光に掻き消されていく。

 俺も、手を振った。

「じゃあな、幽海ちゃん!」

 幽海ちゃんは俺に返すように、更に大きく手を振って。


 数秒後、光の中に溶けて消えていった。


 ああ、本当だな。

 さっきまで可愛い幽霊のいた虚空を見て、相変わらず逃げ腰の弱い俺は、思う。








 


~~(m-_*。:*・'

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