後日談(エピローグ)。
最終話、箱庭商事の幽霊ちゃん!
太陽が沈み、人工の明かりが点々と輝きだす都会の中に、1つの会社ビルがあった。
箱庭商事という会社があるこのオフィスビルには、幽霊が出る。
昔はブラック企業で連日夜遅くまで社員が幽閉されては働いており、怒号が飛び交い、疲弊が蔓延していた。それら全てを一手に引き受ける形で癒しを与えていた幽霊だ――付いた
しかし時代の潮流にこの会社も逆らえず、遂に強制帰宅をさせられるようになり、防犯目的で警備員を雇って巡回させるようになった。
今は一時的な空白期間でその警備員すらいない。とはいえ泥棒が入ってきたということもあり、代わりに即座に強化されたセキュリティシステムが中を見渡している。
夜闇に呑まれるビルには、ぽつねんと幽霊――遊崎幽海ただ1人。
「……」
給湯室で、静かに体育座り。すぐ横に手を伸ばせばお菓子があるが、そもそもお金は無いし食べる気力も起きない。
「……退屈だなあ」
遊び道具も、遊び相手もいない。これなら、癒す相手がいた方がまだマシだと思った――それで心が壊れかけたこともあるというのに。
何もなければ、記憶を失くして宙に浮いた自分しか残らないから。手を掻いても足をばたつかせても、何にも引っ掛からない。どうにもならないしどうしようもない状況に身を置いているということが、どうしても嫌だった。
嫌だったから、忘れたかったのに。
たとえそれが、一時的だったとしても。
「……寂しい、なあ」
膝に顔をうずめる。
ぽろぽろ、と涙が垂れる。透明な体を通り過ぎて床すらも突き抜けて、地面の中に透過して消えていく。その虚しさに、さらに心がきゅうと締まる。
「……っ、う」
――久々に、寂しさで泣くなあ。
遊崎幽海は戻りたくもなかった初心に帰って来てしまった。
そして思う。あの時りっ君を無理にでも留めておくべきだったんだろうか、と。しかし遂にそれはできなかった。そこまで迷惑は掛けられないと思ったからだ――幽海の生来の優しさがそうさせた。
でも、それでも、まだまだ一緒に遊んで欲しかった。その本心だけは消えることなく鮮明に残り続ける。
そうして『癒しの幽霊』は、箱庭商事で一晩泣き明かしていた。
あの日から3日間、ずっと。
*。:*・'
「……ん、ぅ」
幽海は給湯室で目覚めた。顔は幽霊なのにひどく青褪めていて、目は泣き腫らしているのか少し赤くなっていた。
「……っ、ふ、ぅ」
下唇を噛んで堪えようとしていたようだが、抑えきれずにぽろぽろと涙を流す。どれだけ泣いても、自分の中の黒い感情は流されることはなかった。
記憶を失くしたまま現れて。
その寂しさから誰かを癒して自分の苦しさを紛らわせようとして。
結果、誰も癒してくれなくなって。
倫新という名前の大学生バイトが来ていたあの3日間は癒されたけれど、その彼ももういなくなってしまって、恐怖と鬱と不安とに再び面向かわなければならなくなった。
逃げも隠れも紛らわすことさえもできないのは、どうしたって辛いものだ。
「……でも」
それでも幽海は流れる涙を拭いて、頬を挟むように軽く叩いた。
「もう泣くのはお終い――今日から、新しい人が来るんだから」
そう。今日新しい警備員が来るらしいのだ。この黒い感情は隠さなくては。
倫新が引き継ぎなるものをしているらしいから、きっと幽海の事情は説明してくれているのかもしれない。そう考えると何だか安心感を覚える。
大丈夫。自分はきっと、大丈夫。
倫新にも、そう言ったじゃないか。
改めてそう決意した時だった。
かつ。
こつ。
靴の音。
警備員がやって来たのだ。
幽海は、意を決してその警備員の前に出た。
「……よ、よう」
そこにいたのは、見紛うはずもない。
*。:*・'
やっべえ、めっちゃ会いづらい。
ものすごーく気まずくなることは間違いない――と、俺は警備員の衣装を再び纏いながら箱庭商事の廊下を歩いていた。
だって、あんなにちゃんとお別れをしたんだぜ? 幽海ちゃんなんて泣いてたのに。だと言うのに俺は、諸般の事情によってのこのこ、この警備員のバイトに戻って来てしまった。その事情は幽海ちゃんには説明しないといけないなあ、と思いながら、いつの間にか思い出の場所にやって来た。
幽海ちゃんと出会った、あの給湯室。『桜見だいふく』をくすねようとした(いや、あの時は正確には「御馳走にあやかろうとした」だろうか)幽海ちゃんが、体を跳ねさせん勢いでビックリしていたあの場所。
懐かしいな。ここを覗き込めば、また幽海ちゃんがいるんだろうか。
……と思っていた矢先。
ひょこっと、幽海ちゃんが給湯室から出てきた。
……目が、赤く腫れている。きっとずっと泣いていたのだろう。そう考えると申し訳ない。
俺は一瞬だけ固まって――出すべき第一声に困ったからだ――しかし、取り敢えず声だけは掛けようと思った。
「……よ、よう」
結果出たのが、この間抜けな挨拶だというわけだ。何だか情けなかった。
対する幽海ちゃんは。
「……っ、え」
……目を丸くして、数秒固まる。まるでストップモーション映像を見ているような気分だった。指先1つ動いていなかった。
あまりに動かなくて心配になったので、俺は続けて声をかけてみることにした。
「幽霊でも見たような顔して――」
どうしたんだ、と。
その時、幽海ちゃんの頬に涙が走る。それから、たっと走って俺の所に飛びついてきた。
「り、りっ……」
その顔は、涙に濡れながらもとびきりの笑顔だった。
「
「久しぶりだな幽海ちゃん!!」
俺は幽海ちゃんを抱きしめた。いやはや、幽霊を抱きとめられるって本当に変な感じだ。懐かしい冷感ならぬ霊感だった。
「え、えっ、だって、りっ君。バイト、終わっちゃったんじゃ……?」
涙を拭いながら幽海ちゃんが尋ねる。嬉しいんだか混乱しているんだか、もう言葉がよく分からなくなっていそうだった。まあ、そうだよな。俺はもうここに来れない筈だったのだから。
勿論俺だって心に未練はあった。化けて出る幽霊の様に、心に
しかし、次のアルバイトの担当は決まっている。今更この事実を変えることはできない。だったら、引継ぎの時にでも注意事項は言ってやって、あとはそいつに任せよう。俺に出来る残されたことはそれだけだ。それからは、逃げるか立ち向かうかも分からないまま日々を過ごす――。
と、相も変わらず逃げ腰で考えていた折、夜間警備アルバイトを斡旋してくれた会社から電話がやって来たのである。
*。:*・'
『あなた、
「……はい?」
『それは肯定と受け取ってよいでしょうか!?』
「何でだよ。どう考えても疑問文だったでしょうが。……どういうことですか?」
『いや、実はですね。前に銃を持った泥棒が出たでしょう?』
「はい」
『次のアルバイトの人がですね、「そんな危ない人が出るなんて聞いてない!」と尻尾撒いて無様に逃げてしまいましてね』
「その表現は流石に止めてやって下さい……」
『で、あなた、あの泥棒を捕まえたでしょう』
「……まあ、はい」(まさか、幽霊のお蔭で捕まえられましたなんて言えねえ……)
『それでですね、そんな優秀な人材は逃す訳にはいかぬと上司が申していてですね』
「……ほう」
『どうでしょう。手当も含めて給料割り増しにしますから。また、毎日でなくて良いですので! このバイト、続けてみませんか?』
「…………では、続けてみます」
『ありがとうございます! それでは契約の書類を今すぐに! 家まで手持ち致します!』
「PDFで送れよ」
*。:*・'
ちなみに電話応対の人――
あの会社、よくこんな社員抱えてやっていけるよな……。社会にもああいう手の人はいるんだと思うと心が楽になるものがあった。あの人には申し訳ないが。
しかし、まあ。
給料が増えるのなら――何より、幽海ちゃんと会えるのなら。
ということで結局、未練がましく見えても仕方ない風で、幽霊が地獄から這い上がるが如くこの箱庭商事に戻って来たのだった。
「ってことは、さ」
幽海ちゃんはさっきから涙を拭いては流しながらも笑顔でいる。とんでもなく感情がごちゃごちゃだった。
「これからも、遊べるってこと?」
俺は可哀想ながら可愛らしい幽霊の頭を撫でる。
「ああ、そうだ。毎日じゃないけど、これからもどうぞよろしくな」
幽海ちゃんは、ぱあっと明るい笑顔で俺の手を掴んで言った。
「うん! これからもよろしくね!」
――こうして、喜びの爆発した良き
かと思うと。突如ぎゅっと手を握る力が強まって、思い切り引っ張られる。やっぱり幽海ちゃん、滅茶苦茶力が強い……!
「じゃあ早速、りっ君の持ってきたゲームで遊ぼうよ!」
「気が早――って待て待て、引っ張るな引っ張るな!」
「これだけ
「拒否権なんて破いてゴミ箱に捨ててやるよ! 仕方ねえ! 今日はとことん付き合ってやる! 付き合ってやるから引っ張らないでくれええええっ!!」
……幽海ちゃんとの騒がしい日々は、暫くの間続きそうだ。
そんな楽しい予感を胸に、俺は為すがままに会議室へと引きずり込まれていくのだった。
*。:*・' m -_-)m
明けない夜はない。
その夜の長さは、須臾の如く短い人もいれば、永遠の如く長い人もいる。
俺と幽海ちゃんの留まる夜は、きっと長いものになるだろう。あれだけのことがあっても尚、その夜で生きているのだから。
逃げ続けて、しまっているのだから。
でも。
社会的に惨めでも、世間的に無様でも。
そういう長い夜でまだ過ごして、ゆっくり考えるのも悪くない――。
逃げ腰で弱くて情けない限りの姿勢ではあるけれど。
少なくとも、今の俺はそう思っている。
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