13話、善良で勤勉な。
「……」
聞き終えて改めて思った。
そう、思った。
「……これが、私の過去なの」
ぐすぐすと涙を流しながらも少しばかり晴れた顔で言う、この幽霊に対して。
「だからね、りっ君が、私に癒されに来たんじゃないって言った時ね、安心したんだ――本当に、ほっとしたの。涙を堪えるので、必死だったんだから」
……心が痛い。
俺は、最初から純粋に幽海ちゃんを癒そうと思ったわけじゃないから。
逆だ。ただ幽海ちゃんに癒されに来ただけの、同じく心が弱いばかりの人間でしかない。
――大学4年生、世間的には就職を考える時期だ。自己分析だとか、OB訪問だとか、夢だとか将来だとか目標だとか、年収だとか結婚だとか自律だとか。勉学に励めと言われ、適当にこなしつつ遊んでいるばかりだったところに、現実が大挙して押し寄せて来る。その波に乗る様に学生は皆、金髪もピアスもチャラいファッションも全部脱ぎ捨てて、画一化された小綺麗なスーツ姿になる。
俺も同じだった。そして、俺の親は口煩かった。
良い会社に死ぬ気で入れ。
そこで死ぬ気で頑張って上を目指せ。
俺のようになるな――万年平社員となってしまった俺のようには。
心配なのは分かるけど、毎週のように電話を貰っていたらそれは嫌になる。何事も過ぎたれば毒になるのだ。
仕方なく俺も行動は起こした。最初のうちは我武者羅だった。周りにも結果を出し始めるやつが出てきて焦った。1人、また1人と就活戦線を離脱して元の大学生活へと還って行く。
俺はどうだ。同輩には敗北し、社会からも不必要という名のレッテルを貼られているではないか。それなのに戦場に居ることを強要される。誰にか? 社会にだ。
心が折れた俺は暫く何もしないことにした。何かをしても負けるのなら最初から何もせずくたばっていた方が良いとさえ思ったからだ。
すると、決まって父親から苦言が飛んでくる。
為すべきことから逃げているだけだろう、お前。
将来どうするつもりか何も考えとらんのか。考えるのが怖いのか、それとも、考えようともしないのか。
ふらふらと歩き回って――いい加減にしろ。お前のために言っているんだぞ、
その毒から逃げようと必死だった。
苦しかったのだ。幽海ちゃんが陰鬱や恐怖から逃げるのと同じように、俺もまた別種の陰鬱や恐怖から逃げた。
何にもならないのに。
しかし、何をすればいいのか分からない。ただ、逃げるしかなかった。逃げた先が、この幽海ちゃんだった。
――闘って傷つくことが美徳なのか。傷は戦いの勲章だと、そう言いたいのか。
傷つかない方が良いに決まっている。わざわざ傷つきに行くなんて、阿呆以外の何者でもない。
一度負傷したから、一層そう考えるんだ。
だから、この夜間警備バイトを聞いた時には救いだと思った。
逃げられる。仕事をしている体裁が得られる。それどころか、癒されるだなんて――。
……バイト前に思っていたことだ。今にしてみれば愚の骨頂極まりない。
「本当に、ありがとうね、りっ君」
そんな俺には、幽海ちゃんから感謝される謂れも、笑顔を向けられる資格もない。
聖人じゃあない。
「……幽海ちゃん」
この感情は心の中に留めておくには重すぎた。外に下ろしていかないと、どんどん心が沈んでいく。
「最初、俺はさ、幽海ちゃんに癒されに来たんだ」
……この関係がどうなってしまおうとも。後腐れが無いように、本心を打ち明けておきたかった。
「幽海ちゃんが思っているような、聖人なんかじゃないんだよ、俺は――」
「――そんなことないっ」
ひやり、と両頬に冷気を感じた。幽海ちゃんの手が、俺の顔を掴んで無理矢理に目を合わせさせたのだ。
その目には、怒りと感謝が浮かんでいる。
「私は、本当に救われたんだよ? 元々癒されに来てたとしても、こんなことをするつもりじゃなかったとしても! りっ君は、右も左も選べなかった私を、手を引いて導いてくれたんだよ?」
「……」
「大体さ」幽海ちゃんは続ける。何でお前はこんな簡単なことも気づけないんだと言わんばかりに。「
「……元々、俺が癒されに来てた、ってことか?」
「違うよ」
幽海ちゃんが呆れたように笑う。
「りっ君が、善良で勤勉な大和男子だってこと」
「……」
正直、そのフレーズは適当に出したものだから忘れてほしかったんだけど――。
「だって善良じゃなかったら、私が最初『帰って』って言った時に怒ってるだろうし。というか私ならそんな人、助けようとも思わないし。それに勤勉じゃなかったら、私を楽しませようと色々準備したり、お菓子作ってきたりしないよ?」
「……」
俺は、その言葉だけで充分嬉しかった。
「だから、ね」
だからこそ。
「そんなりっ君とあと少しでお別れしちゃうのは、とっても悲しいんだよ……?」
最後は、こんな表情をさせたくない。
「りっ君が何処かにいなくなっちゃうの、
嗚呼。
……俺は一体、どうするべきなのだろう。
逃げ続けた自分を呪った。
物語の主人公だったら、気の利いたことの1つや2つ、ぱっと思い浮かんでヒロインの心を助けるものなのだろうけど。
生憎、俺は凡人だった。適当に生きてきただけの、凡骨。
だけど、それは諦めていい理由にはならない。
考えろ、良いから。
錆び切った頭を無理矢理に動かしてくれ。少しくらい罅が入ってもいいから。
考えてくれ。佐藤倫新21歳。
かつ。
こつ。
「……っ、え?」
幽海ちゃんが、思わず声を上げた。
俺も思わず固唾を飲んだ。
聞こえているのは、明らかに靴の音。
第三者の、靴の音。
「だ、誰……? りっ君の後任の人?」
「いや、そんな訳はない……」
引継ぎは今日じゃない、4日後だ。電話で聞いたばかりの知識が猜疑心を強める。
……
今このビルに入って、こちらに近づいて来ているのは、誰なんだ?
「――あー」
靴の音と同じ方向から、男の声が聞こえてくる。
興奮気味な。
「本当にこのビル、相変わらずっつーかなんつーか、セキュリティがばがばだな……巡回員も見当たらねえし」
……泥棒か!
身を潜めて耳をそばだてる。すぐ近くで頬を寄せて幽海ちゃんも同じ格好をとる。色々心臓に悪いからやめて欲しかったが、そんな言葉すら口にする暇はない。
「さあて、と。とっとと美味い情報でも奪ってずらかるとするかね――もしかしたら、この拳銃は要らねえかもしれねえな」
……思わず、ひっくり返りそうになった。
拳銃!
今、拳銃と言ったか! この令和の平和な日本で、物騒な武器が出てくるなんて、聞いていないぞ!
心臓の音がうるさい。息が大きく漏れ出てしまいそうだ。
「とっとと盗んで、ずらかるとするか」
……こりゃ、少しえらいことになった。
とにかく、俺一人でどうにかなる相手じゃない。拳銃相手にただの肉体は無力。
警察だ。警察に連絡してどうにか場を収めてもらうしかない。それまで、俺は幽海ちゃんとここで隠れ――。
「……その前に」
がらり、と。
俺と幽海ちゃんの隠れている部屋に、足音が入り込む。
……おい。
おいおいおいおい。
冗談、だろ?
「何かあった時用に、コイツを人質にするか」
銃口を向けられる。明らかに口角を吊り上げていると分かる程に覆面を歪ませる男が、そこに立っていた。
クソ。
拳銃を向けられる図なんてのは、映画の中の主人公だけで充分なんだよ。
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