9話、また明日!

「ところでさ」

 『まといチョココーン』をさくさくと食べながら横について来る幽海ちゃんと、巡回中の雑談タイムに興じていた。

「んぅ? なあに?」

「本当にお菓子大好きだよな」

「うん、そりゃもう!」

 にへら、と相貌を崩す。

「お菓子には目がないからね!」

「昔からなのか?」

「うーん、というか最近ここに出てきてからかなあ。お礼に皆お菓子くれたんだけどね。それで段々好きになっちゃった感じかな」

 ……ここに出てきてから、か。

 さっきのあの表情をきっかけに、端々でちょっと言葉に引っかかるようになってしまった。

 じゃあ、は?

 思えば、幽海ちゃんの生い立ちとか何も聞いていない気がする。いや、幽霊になったということは何かの未練があってここにいる筈だ。その未練を聞くというのはどうにも気が引ける。その手の質問をすると、辛いことを思い出させそうで。

 幽海ちゃんは幽霊なのだ。つまりは、死んだ人間。

 わざわざ死の記憶を――死の理由を思い出させることはないだろう。

 「食べる?」と幽海ちゃんが『まといチョココーン』を差し出してきたので、ありがたく頂きながら懐中電灯を彼方此方に向ける。非常口の妖しいグリーンの光以外は、特に異常なしオールグリーンだ。

「……改めて歩いてみると、結構不気味だよね」

 袋をぎゅっと抱きしめながら、すすっと俺の方に近づく幽海ちゃん。最初に会った時俺の声で滅茶苦茶ビックリしてたし、怖い物苦手なんだろうなあ。そりゃ、幽霊だって元は人間だ。他の幽霊が怖くたって不思議じゃない。

 今までは(世間的には良くないことだけど)沢山の会社員が残っていて、ホワイト化計画が始まった後も警備員がいたのだ。少なくとも幽霊が出るかもしれない、みたいな恐怖を覚えることはなかっただろう。


 ……それでも、が気にかかる。見回りに行こうとした時に本気で寂しそうに俺の袖を掴んで来た、あの反応が。

 この子はただ献身的なだけじゃない。何かを抱えているような――。


 ……いや。それをこの場で尋ねるのは野暮だろう。

 さっきも思った筈だ――幽海ちゃんは、幽霊なのだ。そういう話をこちらから切り出すものではない。

「……怖かったら、無理せず俺にもっと近づいていいからな」

 だから、これだけ幽海ちゃんには言ってやった。何があったのかは敢えて今は聞かない。別に本人が話したくなったら話せばいいと思うし、それまでは俺が全力で癒しを与えてやろうと、そう思っていた。

「……うん、ありがと」

 はにかむ幽海ちゃんは、また1つ『まといチョココーン』を俺に手渡す。

「ささ、こちらをどうぞ」

「お主も悪よのう」

「へへっ」

 俺は賄賂――もといお菓子を受け取った。何で悪代官ネタ?

「いやあ、会社の人と話している時に出てきてね。それ何、と聞いたら教えてくれたの」

「……」

 何となくだけど。他に変なこと教えられていないか、俺は少し心配になったぞ。

 ……なんてな。幽海ちゃんを娘みたいに言うなんて、――。


『――将来どうするつもりか何も考えとらんのか。考えるのが怖いのか、それとも、考えようともしないのか』


 ……また、嫌な正論を思い出したぜ。

 親父から喰らった弾丸いやみを。折角その銃創いたみを忘れられていたのに。

 こんな時くらい忘れさせてくれよ。意味がないじゃねえか。こうして、こんな深夜のアルバイトにまで逃げて来た意味が――。

「……りっ君?」

 不思議そうに俺の顔を覗き込む幽海ちゃん。しまった、そんなに変な表情していたか。

「な、何だ?」

「んー、何か考え事してるのかなーって」

「……次のゲームでどうやって幽海ちゃんを負かせようか考えてるんだよ」

「し、しまった! これ終わったら次のゲームだもんね! 負けないよ!」

 ふんす、という擬音が聞こえてきそうな勢いで宣言する。よし、何とか誤魔化せた。

 しかし、アレだ。それはさておくとして、ちゃんとさせておかないとな。『まといチョココーン』を変わらず黙々ともぐもぐ食べ進める幽海ちゃんに釘を刺しておく。

「幽海ちゃん」

「なあに?」

「正々堂々戦うことを宣誓できるか?」

「……………………できるよ!」

 おい。

「何だその異様に長い間は」

「冗談だって! ちゃんと勝負するよ!」

「……嘘だったらくすぐりの刑だぞ」

「それは嫌だから透過しようかな!」

「便利な体だなオイ――というかやっぱり透過できるのな」

「伊達に幽霊やってないもん。普段は実体があるようにしてるけどさ」

 なんか幽霊っぽい体ってから、と幽霊らしくないことを言う。

 ……さっきの、『ここに出てきてから』という言葉と合わせてそれも気になってしまった。

 考え過ぎだろうか。最早ここまで来ると疑心暗鬼にまで足を踏み込んでしまっていそうだ。人間はそういうモンだけど――今まで認識していた側面と全く異なる一面を見た途端に、今まで認識していた側面すら本物かどうか疑ってしまう。

 それでも、そうだとしても。幽海ちゃんには何かがあると感じてしまう。女の勘ならぬ男の勘というヤツか。

 ……でも今は詮索しないと決めただろ。堂々巡りをするな、俺。

 さて、そうと決まれば幽海ちゃんに宣戦布告でもしておくか。

「それはそうと、次は絶対負けねえからな」

「さっき負けた人から言われても説得力ないな~」

 ちくしょう、悔しい。

 その余裕綽々しゃくしゃくな表情を次のゲームでくしゃくしゃにしてやろうか――と。


 そんなことを思っていた時期が、俺にもありました。


 2回戦。ポーカー。

「よし、私はオールイン!」

「コールだ! さあ、俺はフラッシュだぜ! 幽海ちゃん、流石にこれには勝て――」

「ストレートフラッシュだもんね!」

「何いいいいいいいい!?」


 3回戦。神経衰弱。

「……え、終わった?」

「終わったね!」

「俺、3ペアしか取れてないんだけど?」

「毎回違うカード引いて色々見てくれたのと、運が良かったからかな♪」


 4回戦。ジジ抜き・再戦。

「……」

「……」

「……こっち!」

「チクショオオオオオオオオオオ!!!」


 ――おわかりいただけただろうか。

 全敗した。俺の体は真っ白に燃え尽きた。もう俺は立てねえよおっちゃん……。

「カードゲームって面白いね!」

 でも、接戦で勝っているのもあったからかご満悦の様子だった。その笑顔を見れただけで俺は十分だ、パトラッシュ……。

 ――そんなこんなで罰ゲームの仕事は全部俺がやっている訳だが、決まって幽海ちゃんは俺について来た。最早『罰ゲーム』の意味が無いのだが、それで幽海ちゃんの心が晴れるのならいくらでも付き合うつもりだった。

 仕事の最中、幽海ちゃんとは色々話をした。幽霊として便利な能力の話をしたり(ちなみに調子に乗って体を全透過したら4階から1階へ落ちて行った。ドジっ娘属性が俺の頭の中で付与された)、世間での流行の話をしたり(会社の人から色々話を聞いているのか、結構色々知ってたのはビックリした)、俺の大学での話をしたり(神経衰弱で薄々思ってはいたが幽海ちゃんは相当頭がいいのか、授業の話をしてもしっかり付いて来た。逆に感嘆してた)など。

 ゲームをして話をしてお菓子を摘んで仕事をして、時間というのはあっという間に過ぎるものだった。


 楽しい。ああ、楽しい。

 じくりと奥底で燻る過去の痛みを押さえつけ、どろりと溶けない今さっきできたわだかまりを抱きながら、そう思っていた。


~~(m-_-)m~~(m-_-)m


 ――2日目も終わりを迎えようとしていた。あともう少しで日が昇る。

「あー、今日も楽しかった!」

 両腕をうんと上へ伸ばす幽海ちゃん。

「俺も楽しかったぜ」

「いっぱい遊んだもんねえ」

 ……バイト中なんだけどな。もしSNSにでも上げられれば炎上確実だ。

 にしても。


「あと1日で終わるってのは、名残惜しいもんだな」


 現実から逃げていると言われること請け合いだが、この生活がずっと続けば楽しいのにと俺は――。

「……え?」

 その瞬間、幽海ちゃんが目をまん丸にしてこっちを見る。

 ……あれ、そう言えば。

「……幽海ちゃん」

「うん」

「俺、これさ、3日間限定のバイトなんだけど……言ってなかったっけ?」

「聞いてないよっ!?」

 慌てふためく幽海ちゃん。それどころか、何を錯乱したのか抱き着いてきた。ひんやりと冷たい。相変わらず心地良さすら感じる霊感ならぬ冷感だが、もう泣きそうになっている幽海ちゃんを前に呑気に思っている場合では無かった。

「嘘、だって、折角仲良くなったのに……」

「……幽海ちゃん」

「明日で、終わっちゃうってこと……?」

「……そう、なるね」

 暫く、沈黙が流れる。

 朝日が昇るまで、あと1分まで迫っていた。

「……やだなあ」

「……」

「もっともっと、りっ君といっぱい遊びたいのに」

 ここまで甘えられるようになってきたのは、正直嬉しくもあるし、当初の目論見が成功しているということでもある。

 ただ。

 こんな終わり方は、駄目だ。

 どうすればいい。

 ……。

 ……。

 ……ああ。

 最適解が思いつかない。

 これが、逃避している代償とでも言うのか。クソッたれ。向ける先の無い矛先は自分に向けるしかなかった。

 そして、無情にも日の出まであと30秒。もう熟慮する時間はない。

 ……だったら。

「幽海ちゃん」

 口を開くだけだ。

 俺に出来るのは、最早その位だから。

「なら、明日は目一杯遊ぼう。もう後悔が無くなるくらいに」

 嘘だ。後悔なんて、どうやったって残るに決まっている。

 ……ならば、俺がこのアルバイトを続ければ良いのではないか。そんな考えが鎌首をもたげる。雇用者に掛け合ってみるのはアリだろう。

 しかし、俺自身はそれでいいのだろうか。

 逃避を先延ばしして、それで。

 ……何を今更。俺は、逃避するためにこのアルバイトに応募したのだ。

 しかし思ってはいるのだ。逃げて、逃げて、その先に何が待ち受けているのか、と。敗走する者に明るい未来が無いことは数多くの歴史が証明しているというのに、俺にはそれに立ち向かう勇気がない。

 ……考えても今は答えを出せない。踏ん切りがつかない。つくわけがない。ついていたら今ここで悩んでいない。堂々巡りを、俺はここでも続けている。

 ただ、今はそんなことを全て度外視して、幽海ちゃんとの2人きりの世界における本心をぶつける。


「幽海ちゃんが泣くのを見る方が、俺は嫌だからな」


 恥ずかしいとか、そんな感情すら湧いてこない。湧いたところで栓をして塞いでやる。

 俺は幽海ちゃんに笑っていて欲しいし、癒されて欲しいのだ。

 それに、何となく思ったことがある。

 幽海ちゃんは友達が欲しいんじゃないか、と。

 今まで接してきたのは幽海ちゃんに癒しを求める人達であって、友人になる人達ではない。友好的であってもそれは表面ビジネス的友好さであり、友愛とか親愛とかそういう類の感情ではない。

 故に、孤独なのだろうと思う。

 ……思えば最初からそうだったのかもしれない。

 昨日初邂逅した時、仕事に戻ろうと幽海ちゃんの元を去ろうとした時に『桜見だいふく』を渡してきた時。あれは単に献身的な行動だけではなくて、独りになるのが嫌で何とか俺を繋ぎとめる行動だったんじゃないか、って。

 今日、罰ゲームで仕事に行こうとした俺について行ったのも同じ理由に違いない――1人だと、孤独に圧し潰されてしまうから。

 だったら。


「俺は、幽海ちゃんの友達だからな!」


 友達として、隣にいてやる。

 譬え一時の気休めにしかならなくても。それが手前勝手エゴであっても。明後日からまた独りで過ごさないといけなくなるとしても。

 これが俺の出した精一杯の答えだった。

「……」

 幽海ちゃんは少しだけ顔を俯けた。

 それから、面を上げて。

「……嬉しい、な」

 笑顔を、見せてくれた。うっすら、目尻にきらりと光るものが見える。

 ――背後で陽光が差し込み始めた。もう、時間だ。

 悟った幽海ちゃんが思いっきり手を振った。

「じゃあ、また明日ね! りっ君!」

「ああ。また明日!」

 俺も手を振り返して――幽海ちゃんは太陽の光の中に溶けて消えていった。


~~(m-_-)m~~(m-_*。:*・'

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