3日目。
10話、手作りお菓子を堪能しよう!
「……はい。では、失礼します」
スマートフォンの通話終了ボタンを押した。ホーム画面に戻ると、午後2時を表していた。
バイト終了後、帰ってから泥の様に眠った。幽海ちゃんと過ごしたとしても、やはり夜間バイトというのは体力も気力もどうしたって削られるからな、仕方のないことだろう。
ただ、幸いにして今日は授業が無い。バイトまではこれ以上余計な労力をかける必要はない。
授業が無い日――世の大学生はウキウキするものだろう。楽しいものでは凡そ有り得ない授業が無く、自分の好きなことを出来る余暇が有り余っているのだから。俺だって何もなければそうだ。
でも。
「……あんな顔、見せられちゃあな」
幽海ちゃんの、あんな悲哀に満ちた顔と。
『……やだなあ』
『もっともっと、りっ君といっぱい遊びたいのに』
本心からであろう、言葉。
どうにも、しんみりとした気持ちになっちまう――そんな感情が否が応でも募っていた。
「……」
スマートフォンを握りしめた。
そう、起きてからいの一番に俺は、雇用会社に電話をした。本当は帰ってからすぐ電話したかったが、生憎営業時間外であり繋がらなかった。だから起きてすぐに電話をした。
アルバイトの期間を延ばせないかどうか、と。
「……」
結果としてはNGだった。次の人が決まっているから、という在り来りな理由で謝られた。謝らなくても良かったのに、と思った――無理を言ったのはこちら側なのだから。
しかも引継ぎも4日後に行うことになっていた。ここまで整えられていては、最早抗いようがない。
つまり今日で、正真正銘最後のバイトになる。
「……っ、よし」
両頬を手で挟み込む形で叩き、心をしゃんとさせる。
駄目だ。今から気落ちしてもどうしようもない。
それに、ちゃんとお菓子を完成させないと――。
『ふらふらと歩き回って――いい加減にしろ。お前のために言っているんだぞ、
――甦る。
記憶の中の親父の声が、頭の中で。
分かってる。
分かってるんだよ、ふらふらしてることくらい。
本当はこんなことしている場合ではない。PCに表示されたゴミ箱アイコン――フォルダを開けば、削除した自己分析シートの下書きがずらりと並ぶだろう――と、
真っ当に仕事をして真っ当に生きるために就職活動をしなきゃならない。親父のお眼鏡に適うようなちゃんとした企業に入り、大活躍をして昇進をして一人前になることを望まれている。
どんなにボロボロに貶されて、落とされたとしても。
自尊心が、傷つけられたとしても。
従って、幽霊の為にお菓子を作って幽霊と何をして遊ぶかを考えている場合ではないのだ。というかその時点で傍から見れば、正気の沙汰では有り得ない。心が壊れて現実逃避しているようにしか見えない。丁重に精神科をお勧めするレベルだ。俺ならまずそうするだろう。
だけど。
腹抱えて笑ってくれて構わない。頭がおかしくなっていることにも、逃げていることにも違いないからだ。それに論を待つまでも無く、こんなことをしても親父から言われたことが解決する訳じゃない。
分かってるんだ。
それでも。なあ、親父。
「……目の前の困っている友達を放る程、俺は人間終わってねえんだわ」
もう一度頬を叩いて、腕まくり。
忘れろ。
忘れろ。
押し付けられる現実なんて忘れて、今ある現実に集中するんだ。
目の前に材料を並べる。
気持ちを出来る限り切り替えて。
いざいざ、楽しい二時間クッキングの始まりだ。
ボウルを用意し、アーモンドパウダーとグラニュー糖とを
次にボウルに卵白だけ入れてハンドミキサーで混ぜる。菓子を作って三年、暇を持て余した大学生の遊びの賜物だ。もくもくと煙のように泡立ってくる
大分泡立てば、粉をどかりと入れて
後はこいつらをカリッと焼いて、中に挟む
心の底からかどうか、それが問題だ。
……昨日のあの寂しそうな表情を、また思い出してしまうから。
ちょっとした不安を抱えながら、暫し生地の乾燥を待つ――。
――今日は、アルバイト最終日。
笑顔で終わることを望みながら、箱庭商事の幽霊ちゃんの顔を思い浮かべていた。
~~(m-_-)m
「りっ君~!!」
そんなこんなで、お料理番組宛ら、退屈なお菓子作りのシーンを吹っ飛ばして深夜。所謂、『出来上がったものはこちらです』というやつだ。誰も製作工程を延々と述べられても面白くないからな。
さて、昨日と同じく大手を振って駆け寄って来る幽海ちゃん。俺も目一杯手を広げて幽海ちゃんを抱きとめた。
「よう、元気してたか~?」
「モチのロンだとも!」
何か娘――いや、
「さ、さ! 早く行こっ!」
「気が早いな――って、引っ張るな引っ張るな!」
「時間が惜しいのっ!」
ほらほら早く――期待いっぱいの幽海ちゃんの笑顔には、どこか焦りと寂しさが滲んでいて。
無理に笑顔で塗り潰そうとしているのだろうが、上手くいっていない。黒の絵具を白の絵具で塗り潰しても、どうしても真っ白にならずに灰色になってしまっている様な。
どこまでいっても不器用な子だ。素直な子、とも言える。
「……そうだな」
しかし、焦りも寂しさも滲んでしまうのは仕方ないと思った。
遊園地に急いで駆けていく子供に「遊園地は逃げて行かないから」なんて宥め賺す光景を何となく思い出す。その意味では、幽海ちゃんは急がないとならないのだ――でなければ、俺は今日でバイトを終えて『
朝陽に幽海ちゃんが溶けてゆく様に、跡形もなく。
「よし、そこの会議室までどっちが先に着けるか俺と勝負だ! 俺に勝ったらお菓子を進呈しよう!」
「言ったね!? 絶対負けないよっ!」
「おう! ……っておい、こういう時だけ浮遊するな! 壁を摺り抜けるな!!」
「へへーん、私幽霊だもんねっ!」
既に壁の向こうに消えているが、あかんべーしている様が浮かぶ。想像でも十分可愛かったので許すことにした。可愛いは正義であり、可愛いの前に有象無象は無力なのだ。
目的の会議室に着くと、両手を腰に当ててどや顔をする幽海ちゃんがいた。
「遅かったねっ!」
「足使って走ってから言って貰えますかねえ!?」
まあいい。どの道俺は
「で、お菓子作ってきたの!? 早く早く!」
目を光らせわくわくと小動物のように待ち構える幽海ちゃんを微笑ましく見つめてから、リュックの中から小袋を取り出した。
中には、円形のお菓子が幾つか。サクサクしたメレンゲ製の円形生地にチョコクリームをサンドしている、カラフルで見た目が可愛いお菓子だ。
初めて見たのだろう、幽海ちゃんは物珍しそうにしていた。
「……何これ? 可愛いお菓子!」
「マカロン、っていうんだ。まあ、ここは1つ」
袋の口を開けて幽海ちゃんに手渡す。一口には大きいと判断して手で受け取り、恐る恐る小さな一口。
さくっ、という軽い音が静かなオフィスに響く。
もくもく、と味を確かめるようにゆっくり口を動かす。
その瞬間、ぴんと背筋が伸びる。アホ毛があったら一緒に妖怪アンテナの様に立っていたかもしれない。
「……美味しい」
頬を、綻ばせた。
「美味しいよ、りっ君! マラソン、だっけ? こんなお菓子あったんだ!」
「マカロンな」
幽海ちゃんはマラソン――失敬、マカロンをより大きく齧る。
「かりかりしてて、中のチョコも美味しくて、こんなの初めて!」
本当に嬉しそうに、美味しそうに食べてくれる。
長時間かけて作った甲斐があったってもんだ――少し緊張が抜けたのか、俺はへたりと床に座り込んだ。
料理を作る時は絶対の自信を持って作るのに、食べてもらって喜んでもらうまで自信を失ってしまうものなのだ。
「ほら、全部幽海ちゃんのものだから、たんとお食べ」
小袋を渡す。すると――ある程度予想はできていたが――マカロンを1つ取り出して俺に差し出してきた。
「はい、りっ君も食べよ!」
「ありがとうな」
慣れた手付きで緑色のマカロンを受け取った。
マカロンを作りながら考えていたことではあるが、何事においても共有することは孤独を癒す手段になる――幽海ちゃんが生来優しいからというのもあるのだろうけど、孤独を癒したいというのも根底にはあるのだろう。
俺もマカロンを食べる。
……ん、確かにこいつはよく出来てる。自画自賛もたまには悪くない。
俺だって、自尊心を癒す権利くらいはある筈だ、今くらいは。だって、幽海ちゃんを喜ばせることが出来たのだから――。
「……っ」
……幽海ちゃんが、涙を流していた。
その涙すらも幽体であるからか、床に染みを作ることは無くすり抜けて落ちていく。
「幽海ちゃん?」
はっ、と俺の呼び掛けに応じる様にごしごしと目元を拭う。それでも、涙は止まってくれなかった。
「……あ、はは。なんかね、ごめんね。色んなことで、ここが、きゅうってなっちゃって……」
胸に両手を当てながら、涙を零し続ける。
……色んなこと、か。
「……幽海ちゃん」
俺は口を開いた。
二割くらい興味が混じっていて最低だと自分を罵りながらも、残り八割の感情を押し出して尋ねる。
幽海ちゃんを癒したいという、感情を。
それだけは、嘘ではないから。
「辛いことがあるなら、俺に話してくれてもいいんだぜ?」
「……うん」
幽海ちゃんは、そう頷くと。
驚くべきことに――今までではそんなことをしなかっただろうという意味で驚くべきことに、身の上話を始めた。
それは、
***
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