第2話

「失礼ですが、本日このレストランにいらっしゃるのは味比良シェフだけなのですか?」


「いいえ、さっきまではキッチンスタッフも、ホールスタッフもいました」


「その方々は今、どちらに?」


「休憩室です」


「休憩室?」


「はい。こんな事件が起きちゃったもんだから、みんな怖くなっちゃって休憩室で休んでいるんですよ」


「確かに、オムライスを食べにきた男女八人があっという間に姿を消したら怖いですよね」


「そうなんです。本当、あっという間だったものですから」


「それは、シュワシュワと煙のように消えてしまったのでしょうか?」


「はい。ホールスタッフが言うには、オムライスを食べ始め、しばらくしたところで、白い煙がもくもくとお店の中に充満し、気づくとお客様は誰もいなかったとのことです」


「味比良シェフはその様子を見ていない、と?」


「私はキッチンで料理を作るのが仕事ですから」


「なるほど」


――オムライスを食べ始めてから、お店の中に白い煙がもくもくとあがり、お客様が消えてしまったと言うことは、やはり、オムライスに何か仕掛けがしてあったのか? いや、それともホールの中に? いいやいいや、もしかしたらその男女八人は生きている人間ではなく、幽霊だったのでは?


 私はぶるぶるっと身体を震わせた。怖い話は超が百万回つくほど苦手なのだ。


――幽霊のお客さんなんて想像しちゃったら、怖くなっちゃう!


「大丈夫ですか?」


「だ、大丈夫です」


「オムライスは我がレストランの名物料理でして。ほぼほぼここに食べに来るお客様はそれを目当てに参ります」


 味比良シェフが大きなガスコンロの前まで移動してそう私に話すけれど、私はまだ少しだけ恐怖心の中にいた。だって、お化けは苦手なんだもん。でもそんなことも言ってられない。私ははかまのすそで手にかいた汗を拭い、味比良シェフの元へと向かった。


――ん? これは!?


「味比良シェフ、これはなんでしょうか?」


「あぁ、これですか。これはあれです。今月の予約表です」


「え? これが!? ですか?!」


「なにか……?」


「いいえ、あまりにも何も描かれていないただの四角いマスだったものですから」


 予約表と思えないほどに、空白だらけの予約表。でもそう言われてよく見ると今日の日付のところだけ八人の名前が書いてある。あとは、数日ごとにちらほらと、と言ったところだろうか。予約表をまじまじと見つめ、顔を上げると、味比良シェフの機嫌が悪そうな顔が見えた。


「失礼いたしました。初めて予約表なるものを拝見したものですから」


――あっぶねー! そりゃ予約がこんなに入ってないレストランって言ってるようなもんだもんね! 気をつけなきゃ!


「我がレストランは予約よりも当日客の方が多いもんでね」


 味比良シェフの口調が変わった。これはきっと機嫌を損ねたようだ。


「そうですか。公園の中にあるレストラン、ですものね」


「ええ。そう言うことです」


 私はキッチンの中をくるっと見渡した。白い壁に銀色の世界。いかにも清潔感が漂うキッチンには油汚れひとつついていない。……まるでここでは料理をしていないかのように?


「驚きました。レストランのキッチンって、こんなにも綺麗なものなのですね。うちの台所なんて、もっとものがごちゃごちゃ置いてありますよ?」


「ええ。キッチンとはこうあるべきなのです。油汚れを一つも残しておいてはいけないし、作業台の上にものが置いてあるだなんて、整理整頓がなってない! おっと、失礼いたしました。私は綺麗好きなものですから」


――綺麗好きにもほどがあるのでは? だって、本当にここでお料理を作ってるようには見えないけれど?


「では、本日使われた調味料などを拝見させていただいてもよろしいでしょうか?」


「調味料……」


「はい、調味料です」


「そ、それのどこに意味が?」


――怪しい。明らかに動揺どうようが見られる。さっきまでの態度とはまたうって変わったわ。やっぱり、このシェフの自作自演なんじゃあ?


「ないん、ですか? 調味料が」


「あ、ありますよ。も、もちろん」


「では、ほら、すぐにでも、見せてください」


 私はジリジリとお腹の丸い頭の少しはげたおじさんシェフに近寄った。その時、私は重大なヒントを見つけた。


「こ、これは……」


「ああっ!」


「シェフ、このゴミ箱に入っている透明のパ……」


「なんでもないですよ! こんな透明のパック、よく見るでしょう?」


――怪しすぎる。それにこの透明のパックについている、これは、まさしく!


「バーコード」


「えええっ!!??」


 味比良シェフは思わず自分の頭に手を当てた。


「そっちじゃなくて、これですよ。ほら、ここに少しだけ残っている、これはまさに、バーコード!」


 私がそうゴミ箱の中のバーコードの切れはじを指差して言うと、シェフは慌てふためき、自分の頭から手を離した……。髪の毛がずりりっと左耳の上に流れ落ちる。代わりに現れた、艶々と光り輝く肌色の頭皮……。


「しまった! セットが!」


 私は見てないふり、聞いてないふりをして、先を急いだ。この難事件は、きっともう解決するはずだ。なぜなら、このレストランで起きた事件はお化け騒ぎでも、殺人事件でもないことが今はっきりと分かったのだから。


「味比良シェフ、このレストランの名物オムライス、私にもおひとつ作ってやくれませんかね?」


「あっと……、えっと……、そ、それは……」


「作れないのですか? 名物、なのに?」


「いや、あの、それは……」


「名物、なのに?」


 あわあわあわと口ごもりながら、味比良シェフは後退りを始めた。私は丸渕の黒メガネを指で押し上げながら、味比良シェフを下から睨みあげ、ジリジリジリジリと、シェフににじり寄った。追い詰められて、作業台に手をつき逃げ出そうとする味比良シェフと私との距離、残り三十センチ。私はさらに詰め寄った。


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