第33話「あれだけやれって言ったのに」

 そしてあっという間の大学祭が始まる週になったのだが——

 現在、俺の家のリビングを占拠しながらパソコンとレシートをにらめっこしながら慌てている後輩が一人いた。


 三苫涼音。


 最近は好きな人に好きなことを打ち明けられながらも、まだまだ色々と謎が多いことで返事はお預けされている悲しき後輩だが、その責任は俺がしっかりと取っていて今でもこうして家に招いているわけである。


「うぅ……せんぱい‼‼ 終わりませんっ‼‼」

「はぁ……まったく」


 情けない声で俺に助けを乞う姿にため息が漏れる。だいたい、あれほど仕事はちゃんとしておけと言ったのにそれをないがしろにしていたのは誰の事やら。こちとら告白紛いなことをされてから色々と悩みながらも大学祭に向けてサークルをまとめようと頑張っていたというのに、三苫さんときたら一緒に遊ぼうだの一緒にご飯食べに行こうだの、なんならこの一週間の間にまたあのメイドカフェ見ないな所に行かされたくらいだ。


 また食われると思ったがなんとか切り抜けて結局恋愛的進展のない今に至るわけであるのだが、生憎と、というか案の定、こいつは大学祭のサークル運営員としての役目をはたしていなかった。


 一応、三苫さんは書記として活動していたのだが書記だとサークル会の方でまとめ役をしなくてはいけないため椎奈さんと変わってもらっていたのだ。なので今の彼女の役職は会計係。


 仕事としては大学祭の会費(大学の文化祭実行委員会から支給された5万円と会員で出し合った2万円)から使った分のレシートを見比べてExcelを使って見やすくまとめて実行委員会に提出すること。


 しかし、今まで俺と遊んでいたがためにまったく終わっていなかった。


「——うぅ、ひどいです」

「ひどくないだろ……三苫さんがもとよりやってればこんなことなってなかったんだ」


 ちなみに締め切りは今日の午後六時。

 そして現在の時刻は午後三時。

 つまり残り時間は三時間。しかし実行委員会の規定でプリントしたもので提出する必要があるため、大学に行く時間や手続きの時間も含めるとだいたい二時間と半分ってところだ。

 

 まあそれでも二時間以上もあると思いがちだがレシートをただメモするだけではないのがこの仕事の面倒なところで、種類や金額などでしっかりと分けていかないといけない。それに今年からExcelを使えと言われているので型というものがなく、イチからすべて作成していかなくてはいけない。


 なんなら間違えを指摘されたら今日中に再提出しなくてはいけないので実際の時間はほとんどないと言っても過言ではないのだ。


「た、助けてください……」

「俺もこっちの仕事があるんだけど? ていうか、本当は今日業者さん呼んでどこに設置するのかとか、実行委員会の人と打ち合わせだってあったんだけど?」


 まぁそれ自体はムラからやってほしいと言われた仕事なのだが。どっちにせよ、俺の仕事だ。


「——そ、そんないい方しなくてもぉ……」

「じゃあ、なんだ。俺に何かしてほしいのか?」

「て、手伝って……欲しいです。先輩っ」

「そんなかわいこぶって言ったからってやったりはしないぞ俺は」

「うぅ……っち」

「おい」

「なんのことですか?」

「——ほんと、っく、なぁ」


 何か言ってもダメだったら先程の焦り様は忘れてパソコンと睨めっこをし出す後輩。

 ほんと、まったく好きなのか好きじゃないのか。言われた後でもよく分からないような言動をするから認めていいのか分からなくなる。


 とはいえ、拗ねられたからって何もしないほど俺は薄情ではない。ここまで慕ってくれているのならそれに答える責任もある。


「——それで、大丈夫そうなのか?」

「大丈夫じゃないです……」

「じゃあ、ほら頼っていいから」

「だってぇ……さっき……」

「あれは分かってほしいから言ったんだ。とにかく分かってくれたら俺は手伝うし、せっかく断ってきた意味がないだろ?」

「……っ!」

「え、おいっ——何っぁ⁉」


 俺が隣にしゃがみ込むと三苫さんはぱぁっと顔をあげて抱き着いてきた。甘い柔軟剤の香りに、シャンプーの匂いも混じって鼻腔を刺激する。加えてお腹当たりに沈み込んだ豊満な胸がほんのり暖かくて、内なる何かを呼び起こそうとしていた。


「っせんぱぁい~~、さすがですねぇ……いっそのことやっちゃいます?」

「————って、そういうことはしないって!!」

「うわっ——」

「あ、ご、ごめん! 大丈夫かっ⁉」


 思いっきり手で押し返すと三苫さんはソファーにもたれ掛かれるように倒れた。


「も、もうぅ……先輩? そんなことしておっぱい触ってもいいことないですよ?」

「え」


 言い返されて手元に視線を送ると俺の右手は包み込むように彼女の胸にくっついていた。


「っ⁉」


 思わず声が出て手元が狂い、むにゅりと柔らかいマシュマロのような感覚が襲う。加えて「ひゃ!」という極端に高い短い悲鳴が耳元で響いた。


「ちょっ――あ、そ……」

「せ、先輩……初めてなのでもっとゆっくり……」


 火照り紅潮した頬。

 とろんと溶けたその視線に俺は生唾を飲み込んだ。


「っち、ちが……」

「ここまでしておいて……逃げるんですか?」

「え——いや」


 やばい。

 この状況に飲まれている。

 そんなことを分かっていながらも彼女の勢いに俺は言い返せなくなっていた。


 しかし。


 ————ブルブルブル!!!


 「「っ⁉」」


 お互い肩がビクッとなり、離れると三苫さんが「うぅ」と悔しそうな顔をしていた。どうやら時間まで残り2時間のアラームだったらしく、皮肉にも俺は彼女のスマホに助けられたのだった。

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