第32話「もう好きなのかもしれない」

 

 そして、一時間と少し後。


「それで……どうして俺は三苫さんが浴衣買うまで外で1時間も待たされていたんだ……?」

「そりゃあ、先輩に今見せちゃったら当日新鮮な反応貰えないじゃないですかっ」

「……じゃあ今日、俺必要だったのか?」

「必要ですっ。案内係です!」

「案内係って……俺は執事か何かか」

「違いますよ? 先輩は私の夫ですから」

「誰が夫になったんだよ……」

「生まれたその日から?」

「俺に選ぶ権利はないのかよ!!」

「……えっ。せん、ぱい……私のこと……き、きら……ぃな、ん」

「ってそうじゃない!! そう言うことじゃないから……はぁ、もう分かったよ。もう何も言わないから泣かないでくれっ……」

「……ふへっ」

「……ふへ?」

「なんでもないですよ、さ、時間も時間ですし帰りましょっ、先輩っ!」


 のらりくらりと俺の言葉は全て交わされて結局何も言い返すことが出来ずに俺たちは帰宅する流れとなった。






 そして、翌日。

 バイト先の休憩室にて。


「おい、大丈夫か?」

「——ん、あ、あぁ、木下先輩……」

「どうした?」

「え、っと寝不足で……」

「寝不足? 何かあったのか?」

「まぁ、少しだけですよ。ほんとに」


 次の子が来るまでの20分少々、休憩室で寝ていると話しかけてきたのは木下先輩だった。俺の一個上のバイト先の先輩講師。普段はだらけた様子で塾の入り口に鎮座しているが仕事ができるカッコいい人だ。


 眠たそうにあくびをしていると、彼女は俺の隣に座った。バックから取り出したブラックコーヒーの缶を机に置いて、目の前に「ほらよ」と差し出した。


「いいんですか?」

「あぁ。それとも私が見せびらかすような真似するか?」

「……いえ。じゃあありがたく頂きます」


 ペコっと頭を下げてピンをはじいてプシュッと音がなる。一口だけ喉に流して、机の上に置いた。


「もっと飲まなくていいのか?」

「え、あぁっと……俺、ブラック苦手で」


 すると、顔を顰めて嫌そうな顔で脛を蹴ってきた。


「うっ、な、何するんですか!」

「お前が失礼なこと言うからな……」

「いや、本当ですし……というかそのくらいで怒らないでくださいよ! だいたい木下先輩の方から渡してきたじゃないですか、一方的にっ!」

「っち、いいよまぁ。飲まないなら私が飲むけど?」

「い、いや飲みます」

「あいよ……それで、どうしたんだよ?」


 頷くと先輩は肩を撫でおろして、腰を据えた。

 

「なんか――」

「いや、ちょっと待て」

「はい?」

「もしかしてあの女の事か?」

「え……まぁ、そうですけど。ていうか、あの女のとか言わないでくださいよ。あれでも結構いい子ですから」

「ふぅん……いやなんか勘が危ないって言ってたからな。あいつのことを」

「危ない? 何がですか?」

「言った通りだ。まぁお前には関係ないと思うから気にすんな」

「はぁ……」

「んで、どうした?」

「あぁ、えっとですね……最近こう、妙に様子がおかしいと言うか……」


 俺は続けて最近の出来事を話していった。

 休憩室の小窓の先には話題のその人が中学生の女の子に勉強を教えているのが見えて、その横顔を眺めながらも続けた。


 最近、妙におかしいと言うのは何もくっついてくるとかそう言う話ではない。多少は関係あるけど、その辺は最初からそうだった。少し距離が近いなと思って頂けなので気にしてはないかったが最近は色々と違っている気がしていた。


 こう、なんというか心の声が漏れているというか。

 俺にだけ浴衣を見せたいとか、俺の事が好きだとか。

 昨日なんて、普通に堂々と白状してきたのだ。


 いや、告白って言った方が正しいのか?

 でもそれじゃあ俺はまだ答え言ってない……って、いやいや三苫さんの事だ。そこまで期待していないだろう。俺が今まであしらってきたんだし。


「——ほう、感情が表に出てきたと」

「まぁ、そうですね。告白をしているわけじゃないとは思ってるんですけど」

「……告白ね。この年にもなってちゃんと告白する人なんていないと思うけどね」

「ちゃんと告白する人?」

「しっかり口に出す人。私たちなんて酒飲んでセックスでしょ?」

「せっ……そ、そんないきなりするもんですか……」

「大人でしょ」

「大人……」

「言葉なんていらないのよ」

「言葉も」

「それで、お前は好きなの? あの女の事」

「お、俺は……そうですね。嫌いではないですけど……」

「好きでもない?」

「と言うわけでもない気がするんですよ。ちょっとよく分からないです、自分でも……好きなのかそうじゃないのか……」

「まぁ、なら焦る必要もないんじゃないか?」

「そうではあるんですけど……結論なんて出ない気がして」


 そう言うとふぅんと頷いてこういった。


「————実はもう好きかもな」

「え?」

「っと、ほら……来たぞ」


 すると、訊き返す間もなく向こう側から授業を終えた三苫さんが嬉しそうに走ってやってきた。


「せんぱ~~い! 終わりましたぁ!!!」

「——って、うが! の、乗るんじゃねえ!!」

「乗ってないですよ~~、抱き着いてるんですよぉ~~!」

「関係ないってば!!」


 結局のところ、解決策は見つかることはなかったのだった。

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