第8話「先輩の唇(?)が欲しい」


 激動のパンツ事件から2日が経ち、月曜日。


 アルバイトの件を塾長に話を付けてすぐに三苫さんの面接が決まったので、今日はその話をするために食堂で一緒にご飯を食べようと誘っていたのだが……それにしても三苫さんが遅い。


 約束は二限目が終わってからの12時前。時計の針はすでに12時10分をさしている。俺はこの後の三限目はないので別に大丈夫なのだが、三苫さんは確かあるって言ってたし大丈夫だろうか。


 そんな不安を抱きながら総合教育棟前のベンチに座っていると、奥の方から声が聞こえてきた。


「あ、あの……だから、私はっ」


「いいじゃん。俺たち二限目で終わりだからさ、カラオケとかボーリングでも行こうよ」

「やっぱ女の子いないとつまらないし~~」

「ていうか、ほら、俺たちのサークルも楽しいよ? まだサークルとか決めてないんでしょ?」


「いや、だから……約束を」


 三人ほどの上級生に絡まれている下級生の姿が目に入る。

 真ん中にいたのは三苫さんだった。今日も少し露出の多めなシャツとダメージジーンズを着ていて、長い髪は後ろで一つで結んでいた。


 まったく、あんな格好をするから。国立大で規模も大きいうちの大学にはああいうやつもいるから注意すればよかった。


 それに、周りの人はそれを危なっかしいと見つめていたが誰も動いていない。


 くそ、あんまりこういうキャラじゃないのにな。


 結局、俺は走り出していた。





 学生食堂の二階。

 麺コーナーのテラス席にて。


「……ほんと、すみません」


「いやいや、問題ないから。そんなに凹まないでって」


「でも、私のせいで……注目を得てしまいましたし……もう時間も」


「俺はこの後何もないから大丈夫だよ。それよりも三笘さんが心配だよ」


「あ、それは……休講になったので」


「そうなの? なら、良かったよ。体とかは大丈夫?」


「……か、身体?」


 急に頬を赤くしてモジモジとした視線を送られる。なんか、変なこと言っちゃったかな。


「いや、別に腕とか引っ張られてたし大丈夫かなって」


「あっ……そ、そうですよねっ」


 すると、彼女は少し恥ずかしそうにそっぽを向きながらペコペコと頷いた。


「ならいいんだけど?」


「は、はい……」


「あ、って麺が伸びちゃうね。さっさと食べちゃおうか」


 俺たちが頼んだのは300円の学生食堂限定定食だった。2階は麺コーナーなのでうどんと蕎麦、そして中華そばの三つからかなったボリューミーな副菜もついている人気なメニューの一つだ。


 また、それぞれで付いてくる飲み物も違い、緑茶、麦茶、そして烏龍茶の三つ。


 少し遊びを持たせていて、近所の会社員や高校生なんかも食べにくるくらい。


 ちなみに、別の場所には500円定食が売っているところや1000円の豪華なメニューがあるカフェなんかもあるがお金のない学生にとっては300円メニューが大人気だ。


 ってなわけで、三笘さんは蕎麦定食、俺がうどん定食って感じだ。


「お、美味しいですね!」


「あぁ、もちろん!」


 ジュルジュルと美味しそうに食べる彼女を見て、嬉しくなってそう言ったが別に俺が作っているわけではない。


「もっと早く知れたら良かったですっ……」


「まぁ、新入生は知らなくて当然だよ。俺なんか後期に知ったしさ。三笘さんは結構早い方だぜ?」


「そうなんですかっ?」


「まぁな。バイトもしてるし、お金に困ってるわけじゃなかったからな。こんな食堂があるのも知らなかったし……」


「じゃあ、私の勝ちですね!」


「なんだそりゃ。勝ち負けもないだろ?」


「私の方が早く知れたってことで……それに(先輩とご飯食べれちゃってるし)」


「何?」


「なんでもないです!」


「はぁ」


「ほら、先輩も。私と食べ食べ勝負です!」


「ちょ、なんだそりゃ」


「勝ったらなんでも言うこと聞いてあげますよ?」


「えっ!?」


「お先ですっ」


「ちょ、ま!」


 そうして、後輩と『なんでも言うことを聞く券』を賭けて、ご飯食べ食べ勝負を開催したのだった。







 そして、5分後。


「ていうことで、何でも言うこと聞いてくださいね?」


「勘弁してくれよ……」


 この会話から結果は言わずもがな、俺の惨敗だった。


 いや、それにしても早すぎる。俺だって別に小食とか食べるのが極端に遅いとかそう言うのがあるわけではないが……それにしても三苫さんの吸収力と言ったらすさまじかった。


「だめです。しっかり聞いてもらいますよ?」


「っく……じゃ、じゃあ何が御所望で……」


 訊ねると彼女はにひっといじわるな笑みを浮かべて、耳元に近づいてこう囁いた。


「——先輩の緑茶が欲しいです」


「っりょ、緑茶?」


「はい、駄目ですか?」


「いや、なんかこう、もっとすごいのを頼んでくるのかと……」


「私はそんな人じゃありませんよ? あっ、もしかして……先輩は何かそういうお願いしようとしてました?」


「——っべ、別に」


「だって私のしたぎを持って帰っちゃうくらいですもんねぇ~~」


「ちょ……あ、あれは——っ⁉」


「あはは、冗談ですよ? じゃ、飲みますねっ」


 ニコニコと笑い、彼女は俺のトレーに乗っている緑茶を持ち上げて口づける。


 んっ、んっ、んっ。


 と三回ほど飲み込む音が聞こえて、口から外すと綺麗な涎がびろんと伸びるのが見えて思わず目を離した。


「どうしたんですか? 先輩?」


「や、別になんでもないです……」


「敬語?」


「——と、とにかく! 今日はこれをしに来たんじゃないって!」


 恥ずかしくなって思わずテーブルを叩いてしまう。周りの目がバッと集まり、俺は子猫のように肩をすぼめた。


「……とにかく、その……はい。バイトの話をしましょう」





「面接は一応、今週の金曜日って話になったんだけど用事とかはないか?」


「あぁ、そうですね。大丈夫です! 時間は何時くらいですか?」


「一応20時くらいだな。俺のバイトがそのくらいだし、一緒に来てもらった方がいいだろってさ」


「気が利きますね、塾長さん」


「あぁ、凄いやさしい人なんだ。女性で、カッコよくて女の子にモテるくらいになんでも出来て……もう、俺なんかノミみたいな感じだな」


「へぇ……女性なんですか」


 すると、途端に声が低くなって灯りの消えた目を俺の方に向ける。


「ちょ、大丈夫?」


「——あ、だ、大丈夫です! 私ったら、ほんとにすみませんっ」


「いや、まぁうん。大丈夫ならいいんだけど……一応、それでいい感じか?」


「はいっ!」


「おけ。じゃあ、金曜日は19時40分くらに迎えに行くから、スーツ着て準備しておいてね」


「はっ——え、す、すーつ?」


「ん、どうしたの?」


 三苫さんは口を頬けたまま首を傾ける。

 何か不安な点でもあったのだろうか。


「え、あ……その、すーつってあのスーツですか?」


「ん、まぁ、会社員とかが着るスーツだけど……女性はリクルートスーツでもいいかな?」


「……あ」


 ギョッとした視線を向けられて、まさかと気づく。


「もしかして……スーツ持ってないの?」


「は、はいっ」


「……やっぱり。でも入学式ってどうしたんだ、それじゃ」


「私はドレスがあったので……ピアノやっていましたし」


 そうか、まぁ最近は入学式にドレスで来る人もいるしあり得るのか。でも、塾の個別教師バイトには確実にスーツが必須だ。ドレスで教えるわけにもいかない。


「まぁ、そうだな。どうせ受かるだろうし……明日スーツ買いに行くか? あ、でもスーツ高いから……なんなら俺のおさがりとかでもいいけど」


「先輩のっ⁉」


「……いや、でも結構大きいかもよ? 俺が高校の時に着てたやつだから」


 確か、母親の一番下の従妹のの結婚式とかだった気がする。

 せっかくだから、大学行ったら買うんだしってことで買ったんだが、結局俺の成長が止まらなかったため今は着ていない。


「全然いいですよ! お金かかりませんし、私的には嬉しいですよ!(先輩のだから嬉しいんだけど)」


「そ、そうか……なら、明日にでも俺の家来てくれたら」


「行きます。4限目終わったら行きます!」





 









PS:ていうか、俺ってさっき間接キスしたよな? マジヤバくね?





<三苫涼音>


「あ、そのっ……先輩!」


 トレーを流し台に下げて、私たちは外に出た。

 私は次の4限目のために図書館にでも行こうとした別れ際。


 そう言えば、と気づいて反対方向に歩いていく先輩に声を掛けた。


「ん、どうした?」


「あ、あの先輩っ……私たち連絡先って交換していませんでしたよね」


「あぁ、確かに。交換しようか?」


「はいっ。お願いしますっ」


 そうして、手に入れた愛しの一馬先輩のライン。


 図書館で端っこの席に座りながら、かれこれ小一時間ほど眺めている。アイコン……先輩が飼ってる犬の写真に写っている腕。


 もう、血管が浮き出てるし、筋骨隆々でかっこよすぎる……。


 あぁ、舐めたい。

 一口くらい味わいたい。


 ここから滴る汗はどんな味がするんだろう。

 先輩のものならなんでも味わってみたいなぁ。


 きっと、アレもこんな感じなんだろうな。


 うぅ、我慢できないよぉ。


 急いては事を仕損じる。そんなことわざが脳裏に過ぎって、ぎゅっと足を閉じて我慢する。


 結局、そのあと4限が来るまで私は先輩のラインのトーク画面を眺め続けていた。










 









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