The approaching convectional rain 〜 近付く驟雨 〜
日陰とは言え、吹く風は夏のそれ。
グラウンドでは気にならなかった蝉の声がここでは痛い程耳に入る。
すれ違った時間をすぐにでも取り戻したい、そう思った私は監督に無理を言って、明日香と球場に残った。
表向き、次試合を見たいという事にした。
チームメイトは空気を読んだのか、はたまた、この後の自由時間に気が向いているのか、付き合うと言った子は一人もいなかった。
それはそれで、少し寂しい気もするけれど。
とことん話そうと意気込んだのは良いのだけれど、思ったほど語る事が見当たらない。
私が明日香に対して思っていた事は、更衣室を飛び出した時に全てぶちまけてしまっていた。
私が彼女に求める事は、結局のところ
言ってスッキリしたのか、明日香の本心を聞いたからなのか、気まずさはもうない。
一応、試合観戦という名目だったので、スタンドに向かおう、と付き添いとして残った監督に促されたのだけれど、私は
隣を見ると、明日香もまた微妙な表情をしていた。
互いの思惑が瞬時に解り、私達は笑い合う。
炎天下のスタンド観戦は、乙女としてはできる事ならば避けたい。
ここに来て、漸く私達の意見は一致した。
終わってから関係が良くなるなんて、全くもってどうかしている。
そういった理由から、半ば呆れていた監督をスタンドに残し、私達は一塁側の後方にある、ちょっとした林の木陰で試合を眺めている。
「本来ならさ、私達があそこにいたんだよねえ」明日香は三塁側のスタンドを指さした。
まばらなスタンドの中央で集団が観戦しているのが何となく解った。
明日香曰く、先の試合の勝者、私達の対戦相手だったチームらしい。
次のあるチームは情報収集に余念がないのだろう。
「さてね。もし勝ってたとしても、スタンド観戦は余りしたくないな。て、言うかさ、明日香よく見えるね」
「私目も良いんだ。アンちゃんは何で今眼鏡掛けてないの? いつも掛けてるよね?」
「いや、普段掛けっぱなしって訳じゃないから、疲れるんだよ。だから今は休憩中。試合自体は見えるし」
「球種も?」
「それ見るのが目的なら別のとこにいるよ」私は照れ隠しで肩を竦める。
私の目的はすれ違った時間を埋める事で、何気ない会話で十分だった。
試合は二の次。
とは言え、観戦を疎かにしていた訳でもない。
見る所はしっかり見てはいた。
それでも、頭に浮かぶのは、明日香とならどう攻略していくかという事。
数時間前の私では思い及ばない事。
けれど今は違う。
明日に繋がるものとして、現実的に考える事ができる。
「あの子大きいね。手足も長い。モデルさんみたい」明日香は頬杖をつきながらバッタボックスを注視する。「あの手のタイプなら緩急でいけるかな。アンちゃんならどうする?」
「え?」明日香と野球の話をしている自分に僅かな感動。「そうだね、対戦するなら間近でクセを見て判断したいけど、振り回すタイプっぽいし緩急でいけるかな」
「あ、綺麗に腕畳んで内角打ったね。意外に器用だね、あの子」明日香の目が一塁に向く。「顔も可愛いし、良いね」
私も頷く。
野球に真摯に向き合うとしても、乙女である以上、それを捨ててはいけないと思う。
可愛いは正義。
アスリートだとしても、可愛いを追求して何が悪い。
ただ割合が逆転しなければ良い。
やる事ができてれば良い、ただそれだけだと思う。
だから。
私は釘を刺す。
「明日香さあ、マニュキアはスポーツ用のにしなよ?」
「してるよ?」明日香は手の平をかざす。「スポーツ用のをまず塗って、その上に薄いの塗ってるだけ。ナックル投げる訳じゃないから、気を使いすぎかもとは思うけどね」
これもだ。
お洒落の為に着飾っていると私は勝手に決めつけていた。
人となりを知らなければ汲み取る事は出来ない以上、言葉を交わさなければ解らない。
それすらも勝手に勘違いして放棄していた。
愚かだ。
だから。
「ごめん」
「え? 何が?」
「明日香の事、知ろうとしなかった。もっと早く話し合えばよかったんだ」
「それは無理だよ」明日香は遠くを見ながら即答する。「今までの私達には、きっかけがなかったもの。アンちゃんは見た目と違ってかなり頑固だから、多分私の言い分をまともに取り合ってくれなかったと思うし」
結構グサリと刺さった。
明日香は私が思っていた以上に冷静に物事を見ている現実主義者なのかもしれない。
「ごめん」それしか出なかった。
「まあさ、過ぎた事だよ。さっきまでの私達ではもうないのさ」
約二年と少し、バッテリィを組んだ仲。
とは言え、通っている学校は違うし、住んでいる所も近い訳ではない。
私達の共通点は野球しかなかった訳で、そこでの関係が薄れれば、関係性自体が希薄な物になる。
詰まる所、私は明日香を最初のうちに知り得た情報でもって形作っていただけだ。
この時の私は、中沢明日香という人間を殆ど知らない。
知る前に見切りを付けてしまった。
こういう人だと決め付けていた。
会話をしていて気付いてしまった。
明日香はそんな事なく、私を知ろうとしていたのに。
先ほどとは違う重さで心が曇る。
これは確実に後悔だ。
それでも。
かなりの遠回りをしたけれど、私達が漸く始まったのは確か。
見るべきはこれから。
明日香の言う通りだ。
「あれ、誰か来るねえ」
明日香に言われ、私は我に返り彼女の目線を追う。
木陰の小道を制服じみた服装で身を包んだ乙女が、後ろで手を組み、軽い足取りでやって来るのが見えた。
陽射しの所為か赤茶に見えるショートボブが夏風で流れる。
確かな目線が私達に。僅かに微笑んでいるようだった。
「あの子って……」明日香が言う。
「こんにちわ」私達の前に立った赤茶の乙女は爽やかに微笑んだ。猫のような目が私達に交互に向けられた。「
「……
私達の対戦相手だった、埼玉の春日部フェアリスのキャプテン自らのお出ましだった。
私は内心首を傾げる。
自分らが負かした相手に何の用があるというのだろう。
「
「同い年だし、タメ口で良いんじゃないかな。ほらあ、もっとフランクに」
一言で場の空気を変えられるのも天才の所業の一つなのか、と私は本気で考えてしまう。
「ほら、アンちゃん」明日香が私の背中を叩く。「緊張しいじゃないでしょ?」
「そうだけどさ」明日香に返しながら、ちらりと埼玉の乙女に目を向ける。「それで……」
「お言葉に甘えまして、ちょっと失礼」環は私と明日香の前で膝を折る。
私は斜め後ろにずれ、明日香との間を開けた。
明日香もまた、私の意図を汲み取ったのか少し後方に座り直した。
「ああ、これはこれは」環は手の平を立てながら私達に近寄り腰を下ろした。二等辺三角形の頂点に座し、球場に背を向ける形。首だけを試合に向けながら環は呟くように言った。「ねえ、高校はもう決めてる?」
「え?」私と明日香の言葉が重なる。
「いやあさ」環はこちらに向き直り、ニヤリと笑った。「もし決めてないならさ、
「いや、ちょっと待って」私は一旦深呼吸する。まさかのスカウトかと思い至る。「翔葉って、埼玉の
「イエス」環は片目を瞑って、手の平を返し人差し指を私に向ける。「と言っても、お受験が控えてますけど、そこはまあ、頑張ってもらうとして、どうです?」
「いや、どうですって。私ら神奈川だし。流石に親元離れてってのは」
「いやいや、高校球児はやってるじゃあないか。男子にできて、私らにできない事はない」
「いや、あるだろ」
「二番ちゃん、的確なツッコミありがとう」環は再び人差し指を向ける。
フランクにと、明日香は言った。
言ったけれども、この変わりようは、いかがなものか。
辟易までは行かないにせよ、若干ドン引きとは正にこの事だ。
私の内心の引き攣りを華麗に流し、環は続ける。
「いやね、現実的な話だけどさ、ある程度、同じレベルの者が集まった方が良いと思うのよ。その方が練習にしたって高度な挑戦ができるし」
「それには同意」私は一旦頷く。「でもそういう意味なら、神奈川だって強豪と呼ばれる高校はあるから、越境する意味が見えてこない」
「まあねえ、それはそう」環は目を瞑り腕を組んで頷く。ゆっくりと片目だけ開ける。「意味と言うのなら、私が惚れたから」
「はあ?」
「なんてえ事はないのよ。単純に私が貴女達と一緒にプレイしたいと思ったからさ。何なら捕手の座も君にあげちゃうゾ」
「いや、待て待て待て」私は眉間を抑える。
「因みに一番ちゃんはどう思う?」
私の苦悩を気にも止めずに、環は明日香に話を向けた。
「そうねえ」明日香の目はフェンス越しの試合に向いている。「アンちゃんとプレイできるなら、別にどこでも。ああ、でも次は仲良くやりたいなあ。そこのチームみたいにさ」
明日香の目線の先には、ピンチを切り抜け、皆で喜び称え合うチームの姿。
上っ面の声かけではなく、互いを信頼し、あくまで対等の関係。
これまででは得られなかった故の、明日香の望み。
確かに環の誘いは一考に値する。
浦和翔葉と言えば、野球を
指導者、施設共に恵まれていて、そこに行けば、嫌でも個人のレヴェルは上がると言う評価。
なれば、腕に自信がある者が集うのもまた然り、明日香の願いは叶えられるかもしれない。
そんな舞台でする野球はとても魅力的だ。
距離的な問題さえなければの話ではあるけれど。
私は寮生活という物に良いイメージが持てないでいる。
チームとして動く以上、規律は大事だと思う。
けれど、今の世の中において軍隊じみた右向け右的なやり方はどうだろうと思う。
名門といえば規則が厳しく、生活が管理される、そんなイメージが付き纏い、どうにも息苦しい。
勝手にそう思っているだけなのだけれど、その印象が真っ先に出てきて、寮生活には嫌悪感が付き
だから、私は考えてしまう。
「そんなに悩む?」
あの環が引き気味にいうほど、私は頭を抱えているように映ったらしい。
「い、いやあ」曖昧に笑って誤魔化す。
「何考えてるのか解らないけどさ、悪い話じゃないと思うんだよね」環は居住まいを正す。「一昨年にさ、元選手のコーチが来てさ、そこから凄く変わった。スポーツ高にありがちな、厳しい規律と伝統ある厳格な指導を捨てて、選手の細かいデータを元に個人の自主性を高め、個性を伸ばす。要はフランクかつ高レベルな育成に方向転換したって訳。だから、一番ちゃんの望みは叶うと思うんだよね。”アンちゃん” さえ来れば」
環はしれっと私のあだ名を口にした。
「個性かあ」明日香が言う。「それって、つまり個人に即した練習って事?」
「そう」環は頷く。「その娘が持つヴィジョンと特性、それを伸ばしてくれる。悪く言えば個が強すぎる集団になるけど、それを纏められる指導者がいるから、チームとして成り立つの。だから環境としては全国トップクラスじゃないかな。ね、悪くない話でしょ? アンちゃん」
「こうしてさ、タマちゃんが誘ってくれてるんだし、考えてみようよ」明日香が笑いかける。
「……タマちゃん」環が急に背筋を伸ばし両手を打った。「良い響き。そう呼ぶヤツ今のチームにいないからね、新鮮。あーちゃんありがと。ほら、これで私達もう仲良しじゃん」
環は自分、明日香、私と指をさして笑う。
「あーちゃん……」
横目で明日香を見ると、彼女は頬を緩ませ実に嬉しそうに口をモゴモゴさせていた。
確かにこの様な関係は今のチームでは無かったので、明日香の本心を知った今では、彼女の気持ちも解らないでもないのだけれど、どうにも私は乗り気にはなれなかった。
「まあ、すぐに答えを出せって訳でもないからさ」環は携帯端末を取り出した。「アドレス交換しよ? 時々合同で自主練とかしたいし。連絡先解ってた方が都合良いでしょ?」
まあ、そこには同意。
連絡先を交換すると、環は立ち上がった。
「じゃ、私そろそろ行くね」スカートを叩きながら、ふと彼女は首を傾げた。それから先程の様に手の平を裏返し人差し指を私に向けた。「何でアンちゃんなの? メンバ表だと、確かもっと硬そうな名前だった様な……」
硬くて悪かったな、と内心毒付き、鼻で笑ってやる私だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます