第2話 遊戯問答

いや、この、あまりにも冴えない場所に一輪の花が咲いたのか?

 それとも、また麗しの彼女も、また、近寄りがたい有象無象なのか?

 そう、まあ、とにかく行動はあまりにも思慮浅いが、まあ、女の呪いは思慮を浅くするところだ。

「どうも、はじめまして」

 俺はその彼女に挨拶する。

「どうも……」

 彼女は俺の手の中にあるモノに注目する。

 それは、まあ、簡単な広い意味では哲学の本だ。

「ラカンの入門書ね」

 彼女はそう言うと

「興味があるのは精神医学?現代思想?」

 と続ける。

「まあ、現代思想かな、ビギナーだけどね」

 俺の言葉に

「そう、私もビギナー」

 彼女はニコッと微笑んだ。

「私の名前は三島優菜、よろしく。にしてもラカンだなんて以外に玄人好みかしら?」

 彼女。三島はそう言うと

「『構造と力』でフューチャーされているから言うほどでは」

 『構造と力』浅田彰の書いたニューアカ。何を示すかはわからないがニューアカ的な本のベストセラー。たしか五十は刷られてる。

「まえ、病んだ人間は時に精神世界に赴くもの、でも足元を見失ってはダメよ」

 三島は言う。

 足元か……。俺にそんなものはあるのか?

「思想に興じるのは言い心がけだけど、あまりにも理念にこだわると盲人になるわよ」

 三島の言葉に

「それ、何かの寓意?」

 俺が言うと

「さあ、寓意なんて、意味ないもの。言葉に意味を乗せることに寓意も隠喩も換喩も無いわ、あるのは意味だけよ」

 ずいぶんとなぞめいたことを言う女だ。

「まあ、ラカンは面白いよ結局……精神分析を随分と変えたと思う」

 俺がそうとりあえず返すと

「『父の名』の喪失。面白いけど空想的じゃないかしら」

 ラカンの『父の名』の喪失とは、秩序を失う、そのように俺は解釈している。

「秩序を乱すことにも秩序があるのよ、私はそう考えるわ」

 彼女は、何の中身の無いことをただ言っているだけのか?あるいは深い意味があるのか?よくわからん

「全て思い付きよ、でも思い付きって大事だと思わない?」

 三島の言葉に

「うーん、そうか?」

 と返すと

「イイじゃない思い付き、楽しくて」 

 三島は笑った。

「人は所詮快楽計算機。楽しければイイのよ。」

 三島は随分と尖った哲学を言う

「しかし、それでは、無為な人生を過ごすのでは?」

 俺の質問に

「算術に回収される人生は嫌かしら?でも意味に縛られた人生もまた辛いものじゃ?」

 三島は答える。

「うーむ、確かに圧倒的快楽や苦痛を前に人は自分を保てるのか?疑問に思う」

 これは、ある種の宗教的な問答だな。俺がそう思うと

「まあ、自分に拘るのも時には大事なんじゃないの?」

 三島は軽い調子で言う。

「結局、現実なんて力があるのは快楽と苦痛の場だからのよ、意味とか義務とか尊厳とかは力の前にどれだけ持つかしら?たまに耐え抜く英雄聖人がいるけど感動話でしかないのでは?」

 三島の続け言葉に

「まあ、建前の世界も必要だろう、むき出しの欲望ばかりでは何も得られない」

 俺はそう答える

「でも、建前を審理しなきゃ、単にラベルで終わりよ」

 三島は返す

「うーむ、では、だから記号消費がどうたらと、」

 記号消費とは、まあ、そのままの意味。ラベル見て楽しんで捨てる行為かな?

「そう、私たちは建前を信じていない、だから空虚に記号消費がどうたらと、言ってるだけ」

 三島の言葉に俺は

「記号消費ね、それに反逆したいモノだな」

 と言うと

「あら、それは、無理。記号消費の反抗なんて、反抗を記号消費してるだけ」

 三島はそう言うと

「まあ、楽しかったわ、ありがとう」

 と会話を打ち切って、どこかへ行ってしまう。

「結局、思い付きの会話のような?」

 俺は独り語ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る