第5話 月の光
「……終わった」
私はピアノの前でそう小さく呟き、鍵盤から指を、ペダルから右足を離した。
グランドピアノの隙間––––––突上棒と屋根の間から覗く指揮者の彼と練習以上に目があった気がする。
目が合っては微笑み、目が合っては微笑み。その繰り返し。
でも私の勘違いかも……
「ありがとな」
教室に戻ってからそう彼から冷たく云われて全てが終わった気がした。
通常の生活に戻った。
期末試験の時はまだ少しだけ喋っていた。けれでも冬休み、三学期が始まって席替えもあり、話すことも無くなった。
3年生になってクラスも別々になり、毎日顔を見ることもさえも無くなった。
ただ卒業式の日だけ、ずっと心に閉じ込めていた想いを少しだけ出してみた。
下駄箱で上履きからローファーに履き替えて、校舎の外に出る。
それぞれの部活の後輩たちが卒業生を待ち構えていた。
サッカー部の方に目をやる。
「いた!」
向こうもじっと見ていた私に気づいたのか、大きく手を振ってくる。
こっちに向かってくる彼に恥ずかしくなって腰の位置で小さく手を振り、会釈して早歩きで学校を後にした。
春風に頬を撫でられながら見上げた先にある空は大きくて真っ青だった。
空に触れれるんじゃないかと思い、ゆっくりと手を伸ばした。
胸の奥で声にならない叫びに変わる込み上げるこの気持ち–––––––
二宮くん、あなたのことが好きです。
その空を掴むように、伸ばした先の手のひらをギュッと握る。そして私はこの気持ちと一緒に胸に仕舞い込んだ。
「カッコいい」–––––– その言葉だけで私の心は奪われた。
あの日から私のピアノの音色は変わった。母もそう認めてくれた。特に練習していたドビュッシー作曲の『月の光』。一音一音丁寧に、柔らかく、そして力強く奏る。波紋のように、夜風のように。そして湖の真ん中を月の光が照らすように。
まるで指揮者にスポットライトが当たっているように。
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