第2話 その男の娘はバトル・メイスを振り回す



 街道からかなり外れた森の中で、こっそりと歩みを進めようと彼らは望んだ。けれど、それは叶わず。もう幾度目かの戦闘の音。



 賊らには数人を圧倒するだけの簡単な仕事であったはず。でもそれは違った。


 金属がぶつかる音の合間に、何かが潰れる様な音が頻繁に混ざる。


 湿った……そう、肉。肉の塊を叩き潰す音。




 そんな汚らしい音をたてて、ソレは首から上にある物を歪にさせて地面に倒れた。


 そしてその物を冷たく見据える、返り血を滴らせた美しい人。

 その人は振り抜いたバトル・メイスを握ったまま血だらけの鎚頭を地面に落とす。


 地から手に伝う振動もその音に負けないもので。歩けば地面をこする音が響く。


 それら一連の音がこの人は大好きだった。だって殺した後の音だから。

 愛しい人を永遠に奪ったコイツ等を殺した後の音だから。


『殺った』という達成感が心を滾らせ、その身をふるふると震わせる。つられて美味しそうな蜂蜜色をした、前下がりのふわりとした短めの髪も。

 そして綺麗な太ももが少しだけ見え隠れする短めのスカートと、可愛らしいケープマントが悪戯そうに踊る。

 


 地面に落ちてしまった、背中の中ほどまである銀色のウィッグを拾い上げながら、その美しい人は声をかける。


「ねぇ?」


 近くに居る旅の仲間を呼びかけるその声は、しっかりとした女の子らしい声色。それは不思議な低音が少し混ざるアルトの音域で。


 その声の主の足元には、うつ伏せに倒れて気絶している一人の男。それを二人の女騎士が手早く両腕と両足をそれぞれ縄で縛り付けている。



「これが最後?」


 これだけじゃ足りないわ。と、まるでスイーツの小ささに不満があるかのような口ぶりで、二人の女騎士に対して唇を尖らせる。


 それを見た二人は。

 ──なによ『ちゅー』って顔して!キスして欲しいの?! 今すぐしてやるわよ!

 ──なんだよ『ちゅー』って顔して!キスされてぇのか?! 今すぐしてやんよ!


 二人が思った事は同じだった。でも、それを声にする事は出来ない。だって、はしたないから。

 騎士たるもの、貴族たるもの。見眼麗しい女装の男娼に心を奪われてはいけないから。でも奪われるならこっそりと。夜になってから。



 二人同時に『こほん』と咳払い。分かりやすい照れ隠しは、結局なにも隠せていない。


「最後の一人は生かしておいてよ、ウルリカ」 

「うん、聞かなきゃいけない事があるからな」


 取り澄ました顔で二人はウルリカと呼ばれた男の娘に話しかける。

『劣情なんて抱いてないですよ? よこしまって何ですか?』と言いたげに。


「そう? でもコイツ等すぐに犯そうとしてくるよ? タマだけでも潰しておきたいんだけど」

「それだけでも死んじゃうかもしんないし、生きてても喋れるようになるまで時間かかるだろ?」

「必要以上に縛り付けてあるし、そうで無くてもそんな事は絶対にさせないから。潰すのは後でもいいでしょ? ね、ウルリカ。少しの間だけ。ね?」


『ぶー』と不満そうな男の娘ウルリカ。その手に持っていたウイッグを受け取り被せて整えたのは、説得しようとしていた騎士隊長のミレイユ=ギャロス。

 ウルリカを抱きしめて、同時に【浄化】の魔法でウルリカと自分の血の穢れをおとす。一瞬で元の綺麗な姿に戻った。


 ミレイユの方がウルリカよりも背が高いので、ミレイユの鎖骨のあたりにウルリカの唇がある。

 密着しているウルリカの美しい唇が『もぞり』と動く。


「ありがと」

「いえ……」


 可愛い人の呼気。その向こうにある唇。それを感じる。

 こんな至福もあるのだなぁ、なんてミレイユは呑気に思ってしまう。


 ──ウルリカの息で溶けてしまいそう……。


 でも今はまだ、陽も高いし。ガマン。



 ウルリカはこの男を殺さない事に、ホントはまだちょっと不服なのだけど、ミレイユに抱きしめられるのは大切に愛されている様に思えて。

 だから『まぁ、いいか』なんて思って。


「うん、わかった」


 そう言ってメイスを手放しミレイユを抱き寄せる。


 柔らかくて温かいミレイユの大きな胸がウルリカを慰める。ミレイユだって幸せだ。


「あ、でも。拷問しつもんするなら綺麗にするのは後でも良かったね。殺すつもりだったから思いつかなかったよ」

 申し訳なさそうな声で『コイツ等って偉そうな態度してるくせにすぐ漏らすから』と、そう付け加えて。


「ごめんね」

「大丈夫よ。ウルリカにはいつも綺麗でいて欲しいって、私が思ってるだけ。私の我儘なのよ」


 その言葉に甘えたくなったウルリカは、ミレイユの後頭部に右手をまわして『ぎゅっ』と抱え込む。耳元で『ありがと。嬉しい』と囁けば、ミレイユはその声に蕩けてしまう。


「ミレイユ。ズルい。ねぇ、ウルリカ。私も抱きたい」

 本心を隠しきれなくなっているのは近衛騎士であるカトリ=ハンメルト。


「カトリは後です。ほら、そこにジュリアがいますよ? 本来の作業▪▪をなさい」


作業▪▪って言わないで! せめて仕事でしょ!」


 叫んだのはジュリア=アセット・ワーテルマグヌ=フィリア・パスカリア。


 パスカリア王国、ワーテルマグヌ王朝の国王・スティードの末娘。六人目にして三番目のフィリア

 つまりは第三王女ということだ。そして王家で生き残った最後の継嗣でもある。




「忠誠。忠誠をお願いします!」


『あはは』と機嫌よさそうに笑うのはウルリカ。

「忠誠ってお願いするんだ。そういうのなんだか素敵。ジュリアはやっぱり良い君主ひとだね」


 そう言ってミレイユから離れてジュリアの方へ歩き出そうとする。


 ガシッ。と背後からウルリカを抱きしめるミレイユ。

「えー。どうしたのー?」

「う、ウルリカ。えっと、あの……その、急に離れられると……寂しいです」


「ダメ」


 その声の冷たさと、否定の言葉に哀しみを露わにしてしまうミレイユ。

 そんなミレイユを無視してウルリカは振り向いてミレイユを抱きしめる。


「寂しいのはダメだよ」

 しっかりと強く、強く。大切なんだと伝えるために。


 そしてそれはミレイユに伝わって……ミレイユの頬は朱に染まっていく。幸せそうな笑顔と共に。



「ミレイユ……いえ、ギャロス卿。あなたはズルいです。王女・ジュリアの名をもってギャロス卿を……ひいてはギャロス伯爵家を断罪します!」

「はいはい」


 ジュリアが『ズルい』という妙な理由で王威を示すが、ミレイユは雑に受け流す。


 王家の威光など、今のこんな状況では意味なんか無いのは事実だし、理由がそれではなおの事。


 そして普段からジュリアを雑に扱う事で騎士の忠義と矜持を隠そうとする意図もある。


 恭しくジュリアに跪いていては、ウルリカが第三王女フィリアを示すケープマントを身に付けている意味が無くなるから。


 ジュリアを無事、帝国に送り届けるまでは、自分自身をも騙していかねばならない。



「ウルリカが寂しがっている人を放って置けないのを知っていながら……あの、ウルリカ? 私もお願いできます?」


「ジュリアも寂しいの? ミレイユ、ジュリアも良いかな?」


「嫌だなんて言えないわ。ウルリカは優しいからね。困らせたくないもの」


「優しいのはミレイユだよ。ジュリア、こっちおいで」


「はいっ」


 寂しいとは一体何なのか。ジュリアは『ととと♪』と楽し気なオノマトペが添えられるかのようにウルリカの元へ喜んで飛び込む。


「ん~♪ ウルねぇさま~」

 甘えてくる可愛い子の綺麗な銀髪を梳くように撫でながら、ウルリカが思い出すこと。

 それはジュリアと同じか、それ以上に美しい銀髪の持ち主だった恋人のこと。



 ──シルビアも『シルねぇ』って呼ばれてたな……。



 じわりと潤んだウルリカの瞳から、涙ではなく光が落ちた事に気が付いたのはカトリ。


「ウルリカ。優しくするだけじゃなくて、ちゃんと優しくされろ」


 ミレイユとジュリアを抱きしめているウルリカの背中を、カトリが抱きしめる。繋ぎ止めておきたいから、と力強く。


「あんた我慢しすぎだよ」

「カトリ、知らないの? 娼婦や男娼はね、我慢が得意なんだよ」


 そんなウルリカの言葉にカトリは強く反発してしまう。


「得意ってなによ? 結局、我慢してるだけじゃん。泣けてないじゃん。私はね、我慢するなって言ってんの。ちゃんと泣けって言ってんの」


 ウルリカは泣いてなんかいたら、この人達もきっと護れないだろう。と、泣くのを我慢していた。


 ──泣いてもいい……んだ?


 ウルリカは両腕に抱いている大切な二人をもっと強く抱きしめる。

『今度こそ護って見せる』なんて独りよがりな思い。そんな気持ちを他の方法で表す事は出来ないから。


 言葉で? そんなの今までずっと嘘ばかり。汚れ切った体はもっと嘘つきだ。



 きっと誰も信じてくれないだろう。なんてウルリカは思い込んでいる。そんな生き方をしてきた自覚はあるのだから。



 けれど抱いている人達を手放すなんてこと、したく無いのは本当で。


「カトリ……腕が二本しかないよ。カトリを抱きしめたいのに。ありがとうって伝えたいのに」



「ばーか。黙って抱かれてろ」



 揶揄うような言葉に隠せていない温かさ。ひと際強く抱きしめられる。伝わってくるそれは、きっと『好きだ』という想いなんだろう。


 そんな想いを届けてくれる背中にいる人を、他の大切な人を抱きしめているからと『ぎゅ』って出来ないなんて。それを本気で悔しいとウルリカは思った。



 ウルリカの前に腕を回しているカトリは気が付いた。

『ぽたり』とその腕に落ちてきた雫が一つ。嗚咽の一つも零れずに。




 ──泣き声も無く……か。でも、まぁ、いっか。ここから始めような、ウルリカ。







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