第133話 時の砂

 水の橋を渡るという経験は初めてだ。

 冒険者として色んな経験をしてきたが、やはりまだ見ぬ光景はいくらでもある、という訳だ。


 海の上に架かった水の橋を歩きながら見る風景は悪くない。


「――海、奇麗ですね」

「そうだな」


 隣にはアーネラがいる。

 日除け用の帽子が長い銀髪によく似合っていた。


 潮風がアーネラの髪を揺らすと、キラキラと反射する。

 うちに来た時よりも、美しくなったと思う。

 ノエルもそうだ。

 少女から、大人の女性になろうとしている。


 二人は感極まった様子で橋の外を眺めながら歩く。

 マステマは普通に歩くのに飽きたのか橋の手すり部分の上に乗ると、そこで歩き始めた。

 もし落ちたところで悪魔なんだ。怪我はしないだろう。


 そもそもあいつは飛べるから心配は不要だ。


 島までの距離はそう遠くない。

 しばらく風景を眺めながら歩いて到着した。


「ここか。噂の迷宮がある島は」

「島って言うか、これはもっと小さな何かだよ」


 セピアが呆れたように突っ込みを入れた。

 確かに小さい。迷宮の入口だけで殆どの面積が埋まっている。


「何の脅威も感じないな。そもそも放置されているのに魔物が出てこない迷宮なんて大したことがない」

「そういうものなんですか?」

「ああ。迷宮にも格差があってな。こういう迷宮もあれば、逆に酷い迷宮になると間引きが足りないとすぐに魔物が溢れてくる。だからこそ冒険者が食えるんだが」


 死と隣り合わせだが、上手くやればそれにふさわしい報酬を得られる。

 ついでに国の平和にも役に立つ。

 冒険者とは便利な存在だ。そうである限りは居なくならないだろう。


 危険な迷宮に何度も潜ってきた。だから見ただけでもある程度判断できる。


 この迷宮は一切危険がない。

 セピアどころか、ノエルやアーネラ一人でも傷一つなく攻略できるレベルだ。


 この面子ならまさに観光にしかならないだろうが、これも思い出作りというやつか。

 大したものも手に入らないが、初めての迷宮には悪くない。


「んー?」

「どうした?」


 マステマが不思議そうに迷宮を覗いている。


「なんか変な感じがする。なんだろう。この感覚は覚えがあるような、ないような」


 マステマにしては珍しく歯切れが悪い。

 喉まで出かかっているが、思い出せないという感じだ。


「ヴィクターはどうだ?」

「特に何も感じませんね。ただの気のせいでは?」

「違うってば。うーん、思い出せない」


 考え込んでいるマステマを尻目に、セピアが杖で迷宮を差す。


「それで、中に入るの?」

「そのつもりだ。危険もなさそうだしな」

「ノウレイズ以外の迷宮は初めてだからちょっと楽しみ」

「そんな大した迷宮でもなさそうだが、まあいい。これも経験だ」


 迷宮へと足を踏み入れる。


 入口は地下へと続いており、魔力を帯びて仄かに照らす石以外の明かりはない。

 だが、俺達は全員魔導士だ。


 明かりに困ることはない。


 昼間のように明るくなった迷宮を歩く。

 海の近くに出来ているからか水場が多い。


 これは水着で来て正解だった。

 服が濡れて難儀しただろう。


 魔物の気配を感じて振り向くと、何の変哲もないスライムがゆっくり跳ねながらこっちに向かって跳ねてきていた。


 剣を抜くまでもない。

 セピアが指先に小さな水球を生み出し、スライムの核を打ち抜く。

 低位の魔物すぎて魔石すら落とさなかった。


 他に現れた魔物も大したことはない。

 拳大の甲殻類に、ヒルの魔物。それに虫系の魔物があらわれたが全てスピアの魔法が薙ぎ払ってしまった。


「弱いねぇ」

「予想通り大したことはないな。奥に行って何もなければ引き返すか」

「そうですね」


 マステマは少し飽き始めているようで、それを察したアーネラがお菓子で餌付けしている。


 ノエルが岩を踏んで少し姿勢が崩れたので右手で肩を抱いて支える。

 地面は凸凹していてこけると少し危険だ。


「ありがとうございます」

「ああ、気を付けろよ」


 ノエルは頷く。

 肩から手を離すと、そのまま掴まれてしまった。


「少し、このままでもいいですか?」

「歩きにくいんだが……まあいいか」


 普段から忙しなく働いているのだ。

 少しくらいは我儘を聞いてもいいだろう。


 この迷宮はサイズも小さいらしい。

 ときおり現れる魔物を倒すと、奥に辿り着いた。


「宝箱がある!」


 先頭を歩いていたセピアが振り向いて少し浮かれた声で叫ぶ。


「本当に迷宮に宝箱があるんだ。不思議」

「箱に化けた魔物もいるからな。迂闊に触るなよ」

「えっ!?」


 宝箱に触ろうとしていたセピアが、跳ねる様にして宝箱から離れる。

 迂闊に宝箱に触れて腕を食われた冒険者はたまにいる。

 そうでなくてもトラップがあったりするので注意が必要だ。


「宝箱を開錠する魔法は覚えてないのか?」

「あっ」


 セピアは間抜けな顔をした。

 どうやら開錠する魔法が使えるらしい。

 にもかかわらず手で開けようとした。


 そういえばこういう所があったな。

 能力の割にポカが多いというか。

 年齢を考えると十分すぎるほどなのだが。成長すれば減っていくだろう。


「こほん、じゃあ開けるから」


 気を取り直し、セピアが呪文を唱える。

 宝箱の鍵が外れ、開く。


 本来は鍵開けの技術が必要なのだが、これがあると楽なものだ。

 カスガルは使えなかったが、宝箱を燃やして開けるという力業でなんとかしていた。


 宝箱の中には一つのアイテムが入っていた。

 迷宮の格を考えると空か、大したことのない武具かと思っていたが違うようだ。


「これはなんでしょうか?」


 隣のノエルが宝箱の中身を眺める。


「砂時計、かな?」


 アーネラが言う。確かにそれっぽい。

 トラップもなさそうだし、手を伸ばす。


 手に取ってみると、中の砂が流れて動く。


「ん? んん?」


 マステマが反応した。


「どうした?」

「さっき言ってた気配が濃くなった。これは……アガレスの気配だ」

「アガレス? おい、マステマ。アガレスってのは一体」

「悪魔の一人だよ。うちのお隣さん。でも、なんでこんなところで気配を感じるんだろう」

「悪魔がこんな所に現れたら大事だぞ」

「そういう訳じゃないよ。こっちに新しい悪魔が来たら分かるから。気配だけがする」


 そう言ってマステマがこっちに来ると、砂時計を眺める。


「多分これかな」


 どうやらこの砂時計は悪魔に関わりがあるものらしい。

 悪魔関連のアイテムは呪われたアイテムとして出回ることがある。

 そのほとんどは偽物なのだが、たまに各地でお騒がせの元となるものだ。


 俺は砂時計を眺める。

 正直ただの砂時計だ。特に何か感じる訳でもない。


 悪魔に関わるアイテムと言っても、こんなところで手に入るならやはり外れか。


「……それ、動かしちゃダメ」


 先ほどから黙っていたセピアが震える声で言った。

 中の砂がサラサラと下に落ちていく。


「時の砂……本物?」


 ゾクッと、背筋が震えた。

 嫌な予感がする。

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