第100話 セピアの試練②
老人が起きるのを待つ間、私は体が冷えるのを感じた。
周囲は石の壁でこの寒さ。何もしなければ底冷えしてしまう。
火の魔法を応用し、部屋の中で暖を取る。
手の平に収まる大きさの、熱をもった球体が部屋と私を暖かくする。
汚れて古ぼけたイスがあったが、座る気にはなれない。
空気を魔法で固めたイスで老人が起きるのを待った。
それほど時間が経たずに老人が眠りから覚醒する。
仮面をつけた顔は怖かったが、他に何か聞ける相手も居ない。
「気の長いことだ……」
「質問に答えて。貴方は誰? ここはどこ?」
「聞けば答えが返ってくるわけではないと、お前が一番学んだはずだ」
老人の言葉で父親だった人を思い出す。
一切私を顧みなかった、傲慢な父親。
「それでも聞くわ。せめてここがどこだか教えて」
「良いだろう。ここは塔。忌まわしき英知と狂気の塔だ」
老人はようやく答えた。英知と狂気の塔……聞き覚えが無い。
溜息を付く。せめて誰かと合流したい。
英知と狂気の塔……記憶を巡らせてみる。
「ここにはお前しかいない。この試練はお前のものだ」
「そう」
「……あの化け物に注意する事だ」
そう言うと、老人が再び眠り始めた。
今度は深い眠りに入った様子だ。
ここに居てももう意味は無いだろう。
スレードゲミル家の記憶の中に英知と狂気の塔は存在した。
悪魔崇拝者たちから離反した魔導士が建てた塔で、何やら恐ろしい実験なども行っていたようだ。
人攫い等も行っていた為、当時の魔道国が討伐に向かい、犠牲を出しながら討伐したとある。
研究内容は魔道王ジギルの判断によりすべて破棄された。
天使がその塔を再現し、私を放り込んだのだろう。
改めて超常の力とは恐ろしいものだ。
マステマも普段は無害な顔をしているが、悪魔としての顔は恐ろしいのだろうか。
「悪趣味な試練ね……」
呟いて気を紛らわせる。はっきり言って怖い。
ようやく頼れる人が出来たと思ったのに。
こんな場所で一人彷徨わなければならないとは。
セピアは学園長時代から癖になっていた溜息を久しぶりに吐いて、杖を握る。
試練というからには攻略法が存在するはず。
その塔を探索してそれを見つけなければ。
この部屋には他に何もなさそうだ。
部屋を暖める火球はそのままにして私は部屋を出た。
部屋の外は再び静寂に包まれている。気配もない。
だが、足元は妙な液体で濡れており何かが居た痕跡は残されていた。
すぐ異変が分かるようになるべく広く明かりを灯す。
それをしたところで魔力量には大きく余裕がある。
優秀な魔導士で良かったと心底思った。
道は相変わらず一本道だ。
静かすぎて、歩くたびに靴の音が響くのが少し気に障る。
少し歩くと、正面に扉があった。
鍵は掛かっていない。
私はゆっくりと扉を開ける。
中はどうやら図書室になっている様子だ。
沢山の本棚が並んでおり、みっちりと本が詰まっている。
気になって本を一冊手に取って開いてみたが、中は白紙だった。
そこまで再現はされていないのだろう。
部屋の真ん中には机が置かれていて、便箋が一枚用意されていた。
机に近づき、便箋を手に取る。
白い便箋には何も書かれていない。
だが、中に鍵と手紙が入っていた。
それを取り出して読もうとすると、足音が聞こえる。
先ほど遭遇した何かとは違う足音だ。
(これは……馬の足音?)
室内で聞くことはまずないであろう足音が聞こえてきた。
どうやら、別の入口から入ってきたようだ。
息を殺す。足音を立てない様に少しだけ体を浮かし、沢山ある本棚で身を隠す。
馬の足音は図書館の中をぐるぐると回っている様子だった。
じっとしていると見つかってしまう。
便箋を懐にしまい、音に合わせてゆっくりと移動する。
この図書室の出入り口は私が入ってきた場所と、足音の主が入ってきた場所の二つ。
(戻っても行き止まりだし、行くしかない)
本棚で身を隠しながら、ゆっくりと出口を目指す。
今のところ足音がする以外問題は無さそうだ。
あと少しで出口に辿り着く。
様子を見る為に少しだけ振り返った。
すると足音の主の姿が見える。
それは文字通り人馬一体の怪物だった。
しかも本来人の頭がある部分が馬になっており、更に全体的に歪んでいる。
私がそれを最初に見て感じたのは、醜い獣という印象だった。
とてもまともな経緯で生まれたとは思えない。
馬の頭が私の視線に気づいたのか、こちらを振り返る。
急いで扉を開けた瞬間、足音が駆ける音に変化した。
こちらの存在がバレてしまったのだろう。
見る見るうちに馬が走る音が近づいてくる。
私の足ではとても逃げ切れない。
室内では危険だが、走りながら飛行の魔法を詠唱し、飛ぶ。
馬の巨大な口が私のすぐ後ろで噛みつこうとして、カチンと音を鳴らした。
馬の足の速さは私の飛行より僅かに遅いようだ。
だが室内で全力で飛ぶのは障害物が多すぎて難しい。
撃退しようにも、飛行を止めた瞬間噛みつかれるか轢かれてしまう。
せめて広い場所に出られれば……。
曲がり角に苦戦しつつ、飛行の魔法で進むと大きな扉が見えた。
このままでは衝突する。
咄嗟に衝撃の魔法をぶつけて大きな扉を強引に開けた。
中は大広間になっている。
私に続いて人馬一体の化け物が中に入ると、大きな扉が勝手に閉じてしまった。
そして、大広間のあらゆる場所で鍵が閉まる音がする。
……私は理解した。これも試練の一つだ。
ここでこの化け物を倒さないと、先に進めないと。
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