第81話 悪魔が最も恐れる悪魔

 門が完全に開く。


 マステマが門から離れこちらに来ると、門から黒い毛に覆われた巨大な腕が出てきた。

 そのまま門を掴み、這い出ようとする。


 これが魔王なのだろうか。


 だが、巨大な腕は何時までもそこから出ることはない。

 不思議に思って見ていると、どうやら這い出ようとしているのではなく、引っ張られるのを何とか耐えているのに気付く。


 何かに引っ張られている巨大な腕は、段々と門の奥に引き戻されていった。

 掴んでいる指が少しずつ門から引き剥がされていく。


 あと一本といったところで、マステマがその指に蹴りを入れた。

 門から手が放れ、巨大な腕が門へと吸い込まれていく。


 どうやらマステマの魔王ではなかったようだ。


「今のはなんだ」

「多分、ルシファーの部下。魔王様が引き摺り下ろした」

「そうか」


 ルシファーさんとやらの部下らしい。

 それから大きな衝撃音が門の中からしたのち、一人の女性が門から出てきた。


 紫色の髪を頭で丸く纏めており、肌は白い。

 来ている服は……確かずっと東の方で見たことがある。


 東洋のドレス、チャイナドレスだったか?

 黒いチャイナドレスを着ている。

 スカート丈が長い割に、鼠径部まで届くほど切れ込みが深く、慎み深いのか扇情的なのか判断に困る服だ。


 女性はこちらを見ると、ゆっくりと歩いてくる。


 ……俺の気のせいでなければ、こっちに歩いてくる女性の周囲の空間が完全に歪んでしまっていた。


 隣で物音がする。

 セピアが泡を吹いて気絶していた。


 そういえばヴィクターが居ない。

 天剣は稼働している筈だが……。


「おい、どうしたんだヴィクター」

「……話しかけないでください。私は剣でヴィクターという天使ではありません」

「何を言っているんだ?」

「私は剣。そう、剣です。剣は喋りません。では」


 そう言ってヴィクターは黙ってしまった。

 天使の癖に逃げたな。


 ……どうやら、あのチャイナドレスを着た女にビビってしまったらしい。

 確かにすさまじい力を感じるのだが、不思議と恐怖はない。


 本来なら生命の危険を感じてもいい筈なのだが、まるで身内に会ったかのような気がする。

 だが、会うのは初めての筈だ。


 女性は俺とマステマの前まで来ると、右手を上げる。

 俺は身構える。

 

「マステマちゃん見っけ」

「魔王様。久しぶり」

「元気そうだね」


 まるで親戚にするような挨拶だった。


「おや、随分と表情が変わったねぇ。人間界に居るのは分かってたけど、楽しかったかい」

「うん。最初はイライラして人間を全滅させてやろうと思ったけど、過ごしてみると結構楽しい」

「そうかそうか。地獄だと殺伐としてて、情緒を育てるのが難しいからね」

「うん。こいつに負けちゃった。なので世話になってる」

「へぇ。マステマが負けたんだ」


 そう言って女性はこちらを見る。

 切れ長の目だ。

 見た目の年は……皇女様と同じくらいか?


 マステマと同じく、完成された美しさを持っていた。

 身体のプロポーションも美しい。


「やぁ」

「どうも」

「おっと。そう言えば名乗ってなかったね。人間に会うのは久しぶりだなぁ」


 そう言って、女性は右手を胸に当てる。


「私はデモゴルゴン。魔王デモゴルゴン。マステマの……上司になるかな」


 魔王。悪魔を従える地獄の王の一人。


「アハバイン・オルブストだ」

「アハバインね。マステマが世話になったようだね」


 そういってデモゴルゴンが俺の肩に手を置く。

 その瞬間、俺は立っていられなくなった。


「あ、ごめん」


 そう言ってデモゴルゴンは右手に手袋をつけた。

 俺は素手で触られただけで、まともに立っていられなくなったのか?


 ヴィクターの加護も解除されている。


 とんでもない存在だな。

 これでは戦うなど不可能だ。


「マステマと繋がってるから身内だと思ってつい。人間は優しく触れないとダメなんだった」

「何のことだ?」

「おや。君、マステマと契約してるんだろう?」

「契約……?」


 世話はしているが、何か契約を結んだ記憶は無い。

 マステマが不満そうに口を尖らせた。


「こいつは自覚が無い。ちゃんと責任取ってって言った」

「そういえばそんな事も……」


 こいつを倒した後に何か言われた気がする。

 意識が保てず、最後には頷いてしまったような。

 もしかしてあれが契約となってしまったのか。


 まあ今更か。済んだことを考えても仕方ない。

 世話もしてるしな。


「なるほどね」

「ところであの門の事なんだが」


 聞きたいことは色々あるが、まず聞くべきことを聞かねばならない。


「なぜ悪魔がお前以外出てこない?」

「ボクの名前はお前じゃないぞ」


 そう言ってデモゴルゴンが俺を睨んだ。


 ……恐らく、マステマと契約をしていなければ、今ので死んでいただろうなと感じた。

 凄まじい寒気が俺の身体を突き抜ける。

 俺は咳払いして言い直す。


「デモゴルゴン、なぜ悪魔が出てこない?」

「簡単だよ。門から出ようとする悪魔は全部ボクが消し飛ばしてやったからさ」


 そう言ってデモゴルゴンが胸を張った。

 セナがいくら待っても門から悪魔が出なかった理由が分かった。


「ルシファーまで来るとは思わなかったけど、お帰り願ったよ」

「人間としては感謝する」

「いいさ。人間の為じゃない。今人間界にちょっかいを出すと良くないんだ」


 デモゴルゴンがマステマの頭を撫でる。

 マステマは素直に頭を撫でられていた。


「天軍が現れるからか?」

「はは。あんなのどうでも良い。そうじゃない」


 デモゴルゴンは手袋をつけた右手で俺の頬を撫でる。


「※※※・※※※に目を付けられると困る」


 恐らく名前を呼んだと思うのだが、俺には聞き取れなかった。


「ああ、伝わらないか。いいさ、とりあえず今回は心配しなくていいよ」


 デモゴルゴンはそう言って右手を俺から離した。


「ボクが行けるのもこの人間と地獄との狭間までだね。人間界に足を踏み入れるとアウトだ」


 何か向こうには向こうの事情があるらしい。


 悪魔が最も恐れる悪魔だと聞いていたが、その悪魔ですら恐れる事態とは何だろうか。


「マステマ、どうする? 今なら帰れるよ」

「んー」


 マステマが悩んでいる。

 最初出会ったときは、迷子のように魔王を求めていた。


 このまま地獄に帰るならば、それは仕方ない事だろう。


「もうちょっと居たい。良い?」

「もちろん。アハバインも良いだろ?」


 マステマとデモゴルゴンがこっちを見る。

 その気になれば俺の意思なんて関係ないだろうに。


 ああ、そういえば悪魔は契約を守るんだったか。

 これも一つの契約なのだろう。


 マステマは居れば役に立つし、最近は手伝いもする。

 何より、気を使わなくても良い相手だった。


「ああ、居たいだけいればいい」

「やった」

「うんうん。あ、そうだ」


 デモゴルゴンは何かを思い出したようだ。

 右手の人差し指と親指で丸を作り、左手の人差し指をその丸の中に通した。


「人間と悪魔って子供作れるから。なんならボクと作る?」


 俺は静かに遠慮した。

 物理的に命の危険を感じながら致したくない。






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