第48話 列車の旅とお供のワイン

 ノエルはドレスについた汚れを払う。

 幸い高級なドレスに汚れの痕がない事にノエルはほっとする。


「はぁ。ああいうのに絡まれたくないから高級座席の方にしたんだが」


 獣人のバーテンダーが申し訳なさそうに近づいてくる。


「申し訳ありません。お客様。あの貴族様にはこちらは利用できないとお伝えしたのですが……お連れ様にもご迷惑を」


 ノエルは謝罪を受け取る。


「気にするな。アンタが力付くでどうこうしようとすれば、あの貴族がすぐにペシャンコだ」

「少しばかり猶予を取りすぎました。反省いたします」


 そう言ってバーテンダーは頭を下げた。

 魔道列車に乗る客は最低でもそれなりに地位か金のある人間だ。

 扱いが難しいのは分かる。


 まあ次からは俺が割って入らなくても大丈夫そうだ。

 というかこのバーテンダーなら威嚇だけでどうとでもできるだろう。


 見た目よりも温厚な性格か。


「お詫びと言ってはなんですが、こちらをお持ちください」


 そう言ってバーテンダーは一本のワインボトルを差し出す。

 俺はそれを受け取る。帝国産のワインのようだが……。

 ボトルはキンキンに冷やされている。


 大抵のワインは飲んだことがある。だがありがたく貰うか。


 そう思ってラベルを眺めると、俺は久しぶりに心臓が跳ねるような感覚があった。


「良いのか? これはそう簡単には手に入らないだろう。下手すればこの魔道列車のチケットよりも」

「構いません。本来は何度も乗って頂いたお客様にお出しするものですが……どうぞお持ちください」


 そういってグラスも用意してくれた。


「あの、アハバイン様。このワインはそんなに貴重なものなのですか?」

「ノエルは知らないか。いや当然だな。貴重すぎて知られていないワインだ」


 このワインの特徴は、凍った葡萄から凍らせたまま採れる僅かな果汁から生成されることだ。

 帝国内で、冬季に葡萄が凍り付くほどの寒さになる場所は少ない。

 その中で営まれる葡萄園は当然少なく、採れる葡萄の量は限られている。


 凍り付いた葡萄は水分が凍り、葡萄のエキスだけが採れる。量が劇的に減る代わりに甘みが凝縮され、その果汁で作られたワインは甘く香り高い。


 毎年10本に満たない僅かな量がこうしてラベルされて、好事家の間で取引される。


 俺も飲んだことは一度しかない。皇女様との食事の席で一度出されて、余りにもうまくて手に入らないか調べたんだ。


 残念ながらその時は手に入らなかったが……金ではなくコネが無ければ手に入らない。


 簡単に説明してやるとノエルは感心しながら耳を傾ける。

 聞き上手だな。


「些か気が引けるが、頂こう」

「ええ。グラスもボトルも出る際に部屋に置いて頂ければ我々共が回収いたします。ボトルはお気に召したならそのままお持ちいただいても構いません」


 俺はアイスワインを、ノエルはグラスを持つ。


 残った二人に良い土産が出来たな。


「ああ、そうだ。一仕事頼んで良いか?」

「何なりと」

「フルーツの盛り合わせを持ってきてくれ」


 アイスワインのつまみにはフルーツやデザートが適している。

 皇女様からの受け売りだ。


 バーテンダーはすぐに用意します、と言ってバーに戻った。


 周囲には他の客の姿が見え始めた。

 俺達は個室に戻るか。


 空いた手でノエルの肩を抱き、個室に戻る。

 そうして魔道列車が動き出す。


 個室を開けると、赤いドレスを着たマステマがアーネラに膝枕されて寝ていた。

 青いドレスを着ているアーネラは窓を眺めながらマステマの髪を撫でている。

 まるで妹にするような、優しい手つきで。


 アーネラが部屋を開けた俺に気付く。


「お帰りなさいませ、アハバイン様」

「ああ、良いものが手に入ったぞ。マステマは……勝手に目を覚ますだろう」


 ワインの匂いで目を覚ますのは目に見えていた。

 ノエルがグラスを並べる。

 俺がワインの封を開け、コルクを開けた。


 そしてグラスに注ぐ。

 ボトルは小さく、四つのグラスに半分も注げば無くなってしまう。


 甘い香りが部屋に満ちると、マステマが目を覚ました。

 起きる拍子にドレスが乱れて足が露わになるが、アーネラがすぐに直してやる。


「甘い香りがする。その飲み物からか」


 マステマは鼻をグラスに近づけ、匂いを嗅いでいる。

 俺達はワイングラスを持つ。


「これからの旅路に、乾杯」


 グラスの腹同士を軽く合わせて、チンという音がする。

 そしてゆっくりとグラスからアイスワインを口に入れる。


 香りが口内に満ち、ワインとは思えないほどの甘口の味わいが広がる。

 少量だけを飲んだだけで、無駄な力が抜けていくような感覚がする。


 深い味わいに舌が集中しているのか。

 酒精はそれなりだが、この量ならば気にならない。


 ノエルやアーネラも驚いてグラスに入った液体を見ている。


 マステマは半分ほど一気に飲み込み、気に入ったのかそのまま全部飲み込んでしまった。

 味わうという事を覚えさせるべきだったな。


 マステマはアーネラから少し分けてもらい、届いたフルーツを摘まみながらアイスワインを楽しんだ。


 列車の乗り心地は良かった。馬車のような揺れがない。

 ただ景色が高速で流れてゆく。


 運ばれる食事も上等なものだった。

 マステマにテーブルマナーを教えながらゆっくりと食べ終える。

 道中で偶にある揺れは魔物を轢き殺した時の衝撃だろう。


 しばらく優雅な旅が続いたのだが、夕方に差し掛かり世界が赤色に染まる頃に少しトラブルが起きた。


 やれやれ、平和な旅が良かったのだが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る