思春期の娘が便器にハマっていたので、久しぶりに親子水入らずで語らいました。
モブ俺製作委員会
第1話 悩みもわだかまりも、きっとトイレが水に流してくれる
最後に娘と会話と言う会話を交わしたのはいつ頃だろうか。
昔はよく学校での出来事とか、委員会での苦労とか、友達との仲が上手くいってないとか自発的に話し、色々と相談しにきたと言うのに。
今では「んー」とか「うーん」とか、つなぎ表現であるフィラーを頻繁に用いるようになって、上手く意思疎通が図れない。
多感な時期だからこそしっかりと向き合わなくてはならないのに、生活リズムが噛み合わないこともあってか気付けば登校し、帰宅後はすぐ自室にこもってしまい、なしのつぶてだ。
たまの外食の機会にも、スマホ片手にひたすら無言。味なんて、これっぽっちも分かりゃしない。
おまけに、純粋で素直さが自慢だった娘が、いつしか髪を茶色に染め、耳たぶに穴を開けるようにもなっていた。
妻には「思春期なんだから大目に見て」と言われるけど、茶髪とピアスなんて非行まっしぐらの典型じゃないか!
(今日だって朝っぱらから遊びに行くとか言ってたし。ったく……ちゃんと、誰とどこで何時くらいに帰るかくらいメモに残していけっての! 何かあったら迎えに行くんだからさ!!)
などと面と向かって言えたら苦労はしない。思春期の子にとって、過干渉は最高にウザがられる要因らしいからな。
(でも、娘は可愛い。もし、出かけ先で悪い男にナンパされて騙されたりなんかしたら……)
よく晴れた初夏の日曜日。今日も俺は娘のことで悶々としながら朝刊片手にトイレのドアを開けると、そこは――。
「……お前、なんつーカッコしてんだよ」
桃源郷だった。
いや、正しくはピンクか。淡くて、とにかく目に優しい愛されカラーのランジェリー。
「きゃあああッッ! ば、バカッ。パパのバカッ! 見ないでよぉっ!!」
「ムチャ言うな。お前が見せてるんだろう」
「見せてなんかないっ。はずみでこうなっちゃったの!!」
「と言うかお前、出かけるんじゃなかったのか?」
「だ、だから! こんな身動き取れない状況で出かけるもクソもないでしょうがっ!」
「トイレだけにクソか。なかなか面白いじゃないか」
「面白いことを言った覚えはないわよ!」
こういうとき、父親としてはどんな顔をしていいか分からない。
なんせ娘の尻が便器にハマって開脚しているところを目撃するなんて、人生の中で体験したことがないのだから――。
とにかく、外に大声が漏れるのもアレだし、鍵を閉めるか。
「で、どうしてこうなった」
「スマホが手から滑り落ちそうになって、必死にキャッチしようとしたらバランスを崩して、そのまま……」
「ぶはははは!!」
「笑い過ぎ!」
「あ、ああ。すまんすまん。そのときの光景が頭に浮かんできて、つい。で、スマホはその後どうした?」
「たぶん、すみっこの方に転がってると思う……」
「お、これか」
「あっ! 返して。それ返して」
「ほー、なかなか派手なスマホケースだな」
「ちょ、あんまりイジらないでよっ」
「おい。いったい誰がこのスマホを買って、月々の料金まで払ってると思ってるんだ」
「う、ぐぅ……。ぱ、パパに買ってもらって、パパが払ってくれてます」
「だよな。じゃあカネを払ってる俺がイジっても文句はないはずだよな」
「そ、それとこれとは話が別っ!」
ブンブンと両手を振り回し、俺からスマホを奪い取ろうとする娘。
しかし、ケツがハマりながらの状態では上手くいかない。
「それにしても、便器にハマるほどに成長したんだな。嬉しい限りだ」
「捉え方によっちゃ、セクハラだよそれ」
「どうして?」
「だ、だって。色々な部分が大きくなったって言いたいんでしょ。と言うか、さっきからジロジロ見過ぎ!!!」
少しダメージの入ったデニムのミニスカートに、ボーダー柄のTシャツ。
シンプルだけどなかなか良く似合ってるじゃないか。
「今さら恥ずかしがることもねぇだろ。お前のオムツ、何千回取り換えてやったと思ってんだよ」
「赤ちゃんの頃と違うから!」
「そうだな。違うよな。変わったよ、お前は」
「えっ……」
「さて、お邪魔のようだし俺はそろそろ出るよ」
「あっ、ちょっ、ちょっと待ってよ! 私、一生このまま過ごせって言うの!?」
「大げさな。母さんが帰ってくるまでだよ。ヨガが終わって買い物済ませて帰ってくるまでせいぜい二、三時間の辛抱だ」
「冗談じゃないわっ。ママに見られたらそれこそ大笑いされるじゃない! 周りにも言いふらして、私はあっという間に近所の笑いものよ!」
「別にいいだろ、便器にハマったくらい。人のウワサも四十九日って言うし」
「それを言うなら七十五日だっての!」
「おっ、このボケとツッコミのやり取り、懐かしいな」
ふと、父娘同士まだ会話があったときの頃を思い出す。
と言うか俺、めちゃくちゃ会話してないか? 思春期の娘と。
「お、お願い。お願いだから助けてっ」
あれ? これはもしや、娘との距離を改めて縮めるチャンスなのではないか? つまり、トイレの神様が俺に与えてくれた奇跡――。
「そう焦るな。狭いトイレで父娘水入らず。もう少し話をしようじゃないか」
「トイレを流すには水が必要だってば!」
「それはそうか! こりゃ一本取られた」
「あのねぇ!」
「ま、それはさておき。お前最近どうなの?」
「なにが」
「学校のこととか、委員会のこととか、友達のこととか、昔はよく話してくれてただろ」
「べ、別に普通だよ……」
「普通って? もっと言いようがあるだろ」
「話して何になるのよ」
「話さないと、余計何にもならないぞ」
「そ、それはそうだけどさ」
「困ったこととか、悩んでることとかないのか」
「だから! パパに言っても解決しないって」
「解決しないかもしれねぇけど、話を聞くことはくらいはできるぞ」
「な、なによそれ」
「お前なぁ、漫画じゃあるまいし困ったことや悩んでることがスパッと解決できると思ったら大間違いだぞ」
「え……?」
「人間、生きていれば心配事や悩み事のひとつやふたつくらいは必ずあるもんさ。でもな、一人でずっと解決策を探してても埒が明かないのもまた事実なんだ」
「それは、どうして?」
「同じ考えが堂々巡りするからだよ。こうするしかない、これしか方法がないの一点張り、その考えが一番正しいと思って頭の中でループする」
「……うん、確かに。でもそういうときはどうしたらいいの?」
「簡単だよ。誰かに相談すればいいんだ。ただ、まったく知らない人じゃダメだぞ。学校の先生とか、仲の良い友達とか、家族とか。とにかく自分以外の信頼できる人間に」
「信頼できる人間……?」
「そう。俺も経験があるんだけど、人それぞれやっぱり考え方が違うんだよな。俺がお前ぐらいの頃、バイト先でポカをやらかして会社に大損害を与えちまったことがあるんだ」
「うんうん」
あれ? どうして俺は過去の苦い思い出を語り始めちまってるんだろう。
(ま、いいか)
娘も、いつになく真剣な面持ちで俺の話に聞き入っているようだし。当然、便器にハマりながらだけど。
「血の気が引いたさ。上司に腰が折れるほど謝って、同僚にも白い目で見られて。対応に追われる数日間、とにかく俺は生きた心地がしなかった。そんなときにさ」
「う、うん」
「たまたま、幼馴染の友達とばったり会ったんだ。で、俺があまりにひどい顔をしてるもんだから、アイツの方から何か悩みがあるんだろうと聞いてくれてさ、洗いざらい話したんだ。そしたら――」
「友達はなんて言ったの?」
「失敗しちまったことはしょうがない。でも見方を変えれば、この失敗を通じて、会社の人間全員がお前の名前を覚えてくれたんだろ。有名人になって良かったじゃんって言ってさ」
「ふふっ、なにそれ」
「正直、吹っ切れた。俺一人の考えじゃどうしようどうしようって塞ぎ込むだけだったのにアイツは、大損害を与えたなら逆に大利益を上げて取り返せばいい、とも続けたんだ。恐れ入ったよ」
「なんか、カッコイイかも。その考え。で、結局取り返したの?」
「取り返せるわけねーだろ。現実は甘くないんだよ」
「ズコッ! 普通その手の話って、めでたしめでたしで終わるんじゃないの?」
「もちろん、取り返す努力はしたさ。翌日以降は人が変わったように働いて。上司も同僚も、あんなことがあったのにメンタル強いなって呆れてた」
「そりゃそうよね……」
「で、いつしか俺の失敗のことを誰も口にしなくなった。四十九日を待たずにな」
「だからそれは七十五日だって……」
「もし俺があのとき幼馴染に合わなかったら、どうしようどうしようってずっと怯えた顔で仕事をして、失敗のことも周りから言われ続けていたかもしれない」
「そう、だね。顔に出てたら自分も、周りも気にするもんね……」
「俺は別に進んで失敗しろって言ってるわけじゃないぞ。できれば成功ばかりしたい。でもさ、いつかは必ず壁にぶち当たって悩むときがくるんだ」
「……」
「そんなときに頼りになるのが、やっぱり自分以外の信頼できる人間なんだよな。自分では想像のつかなかった突拍子のないアドバイスを与えてくれるかもしれない」
「アドバイス……か」
娘はその言葉を噛み締めるようにつぶやきながら、何度が目を泳がせた後――静かに話し始める。
「もし、さ。もしも……だよ。私がパパに悩みを相談したら……アドバイスをくれる?」
「当たり前だろ。そのために俺がいるんだ」
「そ、そっか」
「何か悩みがあるのか」
「あ、う、うん。実はさ、最近さ、仲の良かった友達と上手くいってないの……」
「上手くいかなくなった心当たりはあるのか」
「それが分からないんだ。気付いたときには会話が少なくなって、気まずくなって、そのまま……」
「分からないのは辛いな」
「ね。パパもこんな経験ある?」
「そりゃあるさ。昨日まであんなに仲が良かった男友達に突然シカトされたときはさすがに悲しかった」
「シカト……? 結局原因はなんだったの」
「高校生のとき、俺はずっと憧れだった女の子に思い切って告白して、何とOKを貰って付き合うようになったんだ。でも同時に分かったのは、男友達もその女の子のことが好きだったってこと」
「あ……」
「横取りされて悔しかったんだろうな。でも、だからと言って俺もせっかく実った恋を手放すわけにもいかず、そのまま貫き通した。ま、結果一年でフラれちゃったんだけどね」
「フラれた後、友達とはどうなったの?」
「一言も話すことなく卒業した」
「なにそれ、悲し過ぎるじゃん」
「お互い、そっちの方が気楽って気付いたんだよ。人間関係はとにかくしんどい。学生時代も、社会に出てからもそれはずっと続いていく」
「それは、そうかもしれないけど……」
「でも、そのたびにあーだこーだと悩んでたら気が滅入っちまうよ。そりゃあ、心にわだかまりを抱えたままってのもイヤだけど、何より時間がもったいないだろ」
「う、うん」
「一度きりの学生生活、自分は何をしたか? と大人になってから思い返したときに、ずっと悩んでました、苦しんでました、なんてそれこそ悲し過ぎる」
「そう、だね。その通りかもしれないね」
「お前の友達が疎遠になった原因は分からないけど、本当に今までの関係を取り戻したいと願うなら悩んでないでしっかり向き合った方がいい。案外、些細なことかもしれないぞ」
「パパ……。なんだか今のパパ、スゴくかっこいい。ヨレヨレのパジャマで、寝ぐせもあって、無精ひげだらけなのに」
「じゃあ背広を着て、髪を整えて、髭もさっぱり剃ればデートしてくれるか?」
「ぷっ、あはははっ! もぉ、デートとかおっかしい。パパは娘とデートしたいものなの?」
「そのために休日はいつも予定を開けてるんだよ。いつお呼びがかかってもいいようにな。それなのにお前ときたらまったく誘う気配もねぇんだからな……」
「あははははっ♪」
便器にハマりながらも娘が見せる数年ぶりの笑顔に、俺は思わずドキリと胸が高鳴った。
「あー、なんか大笑いしたら悩んでたのがどうでもよくなっちゃった。うん。私、さっそく明日聞いてみる。面と向かって、腹を割って話してみるよ」
「できればトイレの中がいいかもな。お互い逃げ場がなくなるし、それに――」
「水にも流せるから? って、私今上手いこと言ったよね。ね?」
「おい。俺が言おうとしたセリフを取るなよ」
「先に言ったもん勝ちだよ~♪」
「ったく……」
「ね、オチがついたところでいい加減抜いてよ。さすがにお尻、痛いー」
「はいはい」
と、ようやく娘を便器から引っ張り出したまでは良かったが、その現場を妻に見られてひと悶着あったと言うのはまた別のお話である。
結果はどうあれ、思春期の娘とガチでトイレで数時間。面と向かって語り合ったおかげで、長年のわだかまりが一気に解けたような気がした。
そして今では――。
「パパ~。今日は予定がないし、一緒にデートしてあげる」
「とか言って、また何かねだるつもりだろ」
「ち、違うって。パパと面と向かって相談したいことがあるんだ。学校のこととか、委員会のこととか、友達とのこととか」
「そうか。分かった」
「やたー♪ じゃあ駅前のショッピングモールでお茶しながら聞いてくれる? ついでにケーキもあると、より話しやすくなるんだけどー」
「やっぱりねだってるじゃねーか!」
「きゃはははっ」
小さい頃と比べて娘は変わった――。
と思っていたけど、それは俺の勘違い。娘はやっぱり可愛い娘のままだった。
これからも苦労は絶えないと思うけど、できる限りは娘と向き合い、共に悩んで、共に解決策を模索してやるのが俺の役目、父親としての役目なんだろう。
悩みや不安を持っている人はどうぞ、トイレにこもって数時間考えてみるといい。
人間関係でつまずいたりギクシャクしたら、面と向かってトイレにこもり、腹を割って話してみるといい。案外、水に流せるかもしれない――。
最後に、娘の尻でぶっ壊れて天寿を全うした便器、ありがとう。
思春期の娘が便器にハマっていたので、久しぶりに親子水入らずで語らいました。 モブ俺製作委員会 @hal-ford
★で称える
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