第45話 原風景

 自宅の近辺に着いて、俺は足を止めた。

 視界を覆う雪景色。その中で、ふらふらと夢遊病のように蠢く何かが目についた。

 

 ユキウサギは冬になると身体を真白くして、外敵から身を隠す。タカの目も欺く隠密性。この雪の最中で白い毛のそいつを見つけることができたのは運が良かった。


 親父が置いていった。突如として俺の家に住み着いた居候。

 そいつは勝手に親父の部屋に閉じ籠もって無言で機械を触り続けている、得体の知れない宇宙人。


怜音れおんかくまってくれ』


 この少女こそ、俺の悩みのタネだ。

 怜音という名前以外、どこの誰だかも、日本人であるかもわからない年下の少女。

 病人みたいに真っ白な髪と肌。食事を与える時以外、生気のない瞳で、モニターを四六時中凝視している。

 何もかもが不気味だった。


 親父がウチにこの子を預けて以来、母さんはずっと気をやっている。

 一番に気にしているのは、この子が誰の子なのかということだ。もしかしたら親父と別の女性との間の子供かもしれない。

 問い詰めてやりたいところだろうが、肝心の相手が姿をくらませている。

 真偽も知らずに、そんな少女と共に過ごすのは気が気じゃないだろう。


 それにこの子は身元がわからない。普通なら警察に相談すべきだろうが、母さんはこの子を匿い続けている。何せ、連れてきたのは他でもないウチの親父だ。やましい理由があれば、問い詰められるのは親父になる。

 母さんは親父をまだ信じているので、親父が帰ってくるまでは内密に面倒を見ようと俺に言った。


 多大なストレスを抱えながら、日銭を稼ぐために仕事も始める。

 日に日にやつれる母さんを俺は見ていることしかできなかった。


 母さんは夜遅くまで仕事なので、当然俺が家に帰っても誰もいない、どころか、未知の侵略者に乗っ取られている。

 そんな状況に嫌気が差して、俺は家に帰るのを避けるようになっていた。

 

 以前であれば、夕方に家に帰ると母さんが温かく迎え入れてくれた。夕食を食べ、宿題を終わらせて、リビングで動画やらテレビやら映画やらを見る。そうしていると親父がこっそり帰ってきて、一言二言会話をすると今度は自室へ。

 満ち足りているわけではないが、何の不自由もない暮らし。


 それが、家族がたった一人入れ替わっただけで、俺の世界は一転した。かけがえのないものは、いつも手のひらから落として気がつく。


 俺は、おぼつかない足取りで雪を踏みならす少女に歩み寄る。

 突然家を飛び出して、どうするつもりだったのか、まるで理解できない。

 これ以上俺達に迷惑をかけるなと、怒鳴るつもりだった。

 お前のせいで、俺の生活はめちゃくちゃだと鬱憤を晴らすつもりだった。


 だが、あと一歩で手が届くというところで、少女が体勢を崩した。

 ずぼっと白雪に小さいシルエットが落ちる。

 

「……おい!」


 思わず、手を取って引き上げる。

 少女の手は、煮立っていた俺の頭まで冷え切るほど、冷たかった。


「何やってんだよ。お前は」


 人に迷惑ばかりかけて、そのうえ心配までさせて、何がしたいのか。

 少女は遠い目でうわごとを呟いた。


「――――――会いたいよ。……に」


 震える唇から出てきたのは、会いたいという言葉と、親父の名前。


「親父に? どうして?」

「一緒にいるって約束してくれた……から」


 ハッとした。

 俺は大きな勘違いをしていたのかもしれない。

 

「会いたい……会いたい」

 

 少女の頬を涙が伝う。

 そうか、この子は親父に会いたいから外に出たのか。


「…………」


 親父に会いたい、俺だって同じ気持ちだ。

 それを、この子も思っていたのか。


 少しだけ親近感を覚える。

 俺は自分のジャンパーを少女の肩にかけて、縋るように泣きつく少女の手に、俺は手を重ねた。


「だからってこんな日に出かけることないだろ……」


 呆れ混じりに、苦言を言う。

 暖まって意識がはっきりしてきたのか、少女はこちらを向いて言葉を発した。

 

「……わたしは部外者だから、迷惑、だったでしょ」

「…………っ」

「だから、雪の降る日に、こっそり抜け出そうと思って……」


 俺は盲目だった。なにも見えていなかった。

 この子は、狙って、姿の見えにくいこの日に外に出たのか。わかっていて、冷たくて体が震えるこの日に。


 俺は自分の境遇にいっぱいいっぱいで、この子の気持ちを一切考えていなかった。

 無表情で、何も感じていないように見えても、辛かったに決まっている。心細くて、逃げ出したかったに決まっているじゃないか。


 俺は自分を恥じた。

 相手を意思疎通の出来ない宇宙人だと決めつけて、よく確かめもせず、追い込んでいた。

 そして、幼い少女に酷な選択をさせた。


「すまない……」


 少女は俺の表情から心境を汲み取って、言葉を返す。


「悪いのはあなたじゃない。勝手に飛び出したわたしのせい」

「いいや、悪いのは俺だ」


 俺は知らず知らずの内にこの子を追い詰めていた。

 自己中で、周りが見えていなかったのは、俺の方だ。


 懺悔を続ける俺に、少女は困ったようにほんの少しだけ眉を寄せた。


「そうまでいうのなら、お願いを聞いてくれないかな」

「もちろんだ。俺にできることなら何でも聞く」


 少女は、無色透明の瞳で俺をじっと見て、こう言った。


「わたしの――家族になってほしい」


 



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