第25話 誘惑

「ほらほらー、どうしました~?」

「ぬおおおおおおおおおお」


 自身の身体をスリスリと、まるでマーキングするようにこすりつけてくる九里くのり

 たまらず、思考が混濁する。


 だってこんな……こんなことって!?


 キューを持つ手がガクガク震える。ゲームをしっかり終わらせて、九里の暴走を止めなければいけないとわかっているのに、身体が言うことを聞かない。


「何を惚気のろけているのですか。せっかく差し上げたチャンス。逃したらただでは済みませんよ」


 六瀬にあきれた口調で言われる。

 わかってる。わかってるんだけど!


 フーフーと荒い鼻息を抑えて、念じる。

 これはただの脂肪の塊。そう脂肪の塊なんだ……。

 九里はそっと耳元に口を寄せて、


「ちなみに、アタシまだ誰にもおっぱい触らせたことないですよ」


 そ、そんな情報が付け加えられたところで、ど、どうってことないし!

 余計な情報とわかっているのに、何故だか余計混乱が進む。


「小凪ちゃんのためにも、ここで終わらせましょう南条先輩! それと――女の子の価値は胸の大きさじゃありませんから!」


 有原の声が届く。

 そうだ、このFカップのふわふわした胸にそれほど価値なんて……。


「センパイ意地を張ることはないですよ。失敗しちゃいましょうよ。そうしたら次は生乳でおっぱい攻撃をしてあげますよ☆」

「ぶっ――ッ!」


 鼻の頭の方に血が上る。

 いや、すでに頭全体がゆでだこみたいに煮えている。

 頭部に熱を帯びた影響で、視界がふらふらしていて。


 ああ、ダメだ……。俺は負けるしかないんだ……。

 ブツリと今にも意識のブレーカーが落ちそうになる。

 そして――。


 走馬灯だろうか。いつかの雪景色に包まれる。

 道ばたに無数の山を作る雪。

 これは俺の原風景、きっと死んでも脳に焼き付いているであろう白色。


 機銃のごとく吹雪く最中、記憶のままの、寒々しい少女が口を開く。


『おにーちゃん』


 何よりも大切な少女が、切迫した表情で俺に訴える。


『――おっぱい攻撃に負けないで、おにーちゃん』


 ――――そうだ。俺はこんなところで負けるわけにはいかない。

 俺は君のお兄ちゃんだから。

 お兄ちゃんとして、認めて貰える人間でありたいから。


 学校の屋上で誓った言葉をもう一度胸に灯して、


「れおちゃん!! 俺は――!! 俺は、こんな誘惑に屈したりしない!!」


 煩悩を振り払い、目覚める。

 クリアになった視界。心臓が落ち着きを取り戻している。

 身にあたる感触をゼロにして、真っ直ぐに右腕をく。


 放たれた手球は、次の番号の的球にぶつかり、更にその先の9番へ。

 

 カコンと小気味よい音が響いた。


「やった……のか?」


 おぼつかない瞳で状況を探る。

 幾度目を巡らせてもテーブル上に9番の球がない。

 俺は、ついにやり遂げたのだ。


「あー! これからがお楽しみだったのにー!」


 九里は俺から離れて、9番の球が落ちたポケットを真上から覗き込む。

 楽しみを奪ったことに後悔は一切ない。


「ふん、やればできるじゃありませんか」

「ふぅ……。これで一安心です」


 素直にならない六瀬と胸を撫で下ろす有原。

 六瀬に尋ねたいことがある。


「念のため聞くが、約束は忘れてないよな」


 九里のせいで有耶無耶になりかけたが、俺と六瀬は賭けをしていたはずだ。


「ええ、無論です。言われずとも、後日連絡いたします」


 それならいい。

 なんやかんやあったが、当初の目的は果たせた。

 六瀬とも(ほんの少しは)わかり合えた気がする。

 ビリヤード台にもたれて落ち込んでいる九里の元へ行き、声をかける。


「機嫌直せよ。俺たちの目的に近づいたんだからそれでいいだろ?」

「そうですケド……」


 俺はまだ尾を引かれている様子の九里にこういった。


「とりあえず服着ろ」



    ◇    ◇



「ついにここまで来ましたね」


 勝負から数日。

 これまでより更に高いマンションを九里と一緒に見上げる。

 タワーマンション大好きかよ、あいつら。


 このマンションこそが、賭けで手に入れた『エロゲーの所有者たる清滝に会うことができる権利』を行使して暴いた清滝の現在の居場所だ。


「しかしなぁ。エロゲーを取り戻そうとしてたら、まさかここに行き着くとは」


 クラスの内紛とは無関係でいるつもりだったのに、どういうわけか、今俺はその最前線に立っている。

 皆が皆、清滝の居場所を喉から手が出るほど知りたがっているのに、最初にたどり着いたのが俺とはな。

 

 まあ、ゲームを取り返すついでとはいえ、俺だって興味がないわけじゃない。


 音信不通の王子Prince――清滝千里きよたきせんりは今どうなっているのだろう。

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