最愛の兄
一週間前、兄ちゃんが死んだ。
一緒にする食事は久しぶりだったと思う。しかも食事は兄ちゃんの手作り。俺は昔から兄ちゃんの料理が好きだった。家で嫌われ者だった俺は時々ご飯がなくて、兄ちゃんはいつも冷たいけれど、そういう時はこっそり何か作ってくれた。
俺は兄ちゃんが大好きだ。心の底から、本当に。ぶっきらぼうで、でも優しい。俺のことを心配して、いろんなことを教えてくれる。強くて喧嘩じゃ負け知らず。カッコいい。俺の兄ちゃんは、すごくすごくカッコいい。
まあ、死んじゃったんだけど。
食卓にはスープがあった。他にも、俺の好きなものがいろいろ。最近は、同じ家にいるのに顔を合わせることは少なかった。ましてや一緒に夕食…だなんて、なかった。だから俺は上機嫌で兄ちゃんの向かいに腰掛けた。
先にスープを飲んだのは兄ちゃん。俺も真似して、スープの入った食器に手をかけた時、うめき声がした。兄ちゃんの声だった。そこからはあっという間で、何も考えられなかった。倒れて、吐いて、叫んで、俺の声なんて聞こえないみたいで、のたうち回ったかと思うと動かなくなった。俺は必死で名前を呼んでいた…無意味なのに。
慌てて人を呼んだ。俺の家だったから、すぐに王宮医師が駆けつけてくれて、兄ちゃんは運ばれていった。ずっと眩暈がしていた。頭痛が止まなかった。最期に兄ちゃんがこっちを見、何か言った気がしている。聞き取れず、聞き返し、その時にはもう兄ちゃんは気を失っていた。
兄ちゃんのポケットの中に毒があった。毒を仕入れた形跡もあった。兄ちゃんが俺を妬んで、俺を殺そうとしたけど間違って自分が死んでしまった。そう結論づけられた。
でも。兄ちゃんは、俺を殺そうとしたんじゃないんじゃないか。
あの兄ちゃんが。俺を殺そうとするだろうか。
俺は確かに敵将を討ったけれど…あんなのはどうでもいい。俺は祖国を守りたくて、祖国のために頑張った。だって、ここは俺と兄ちゃんの国だから。守りたい。
兄ちゃんは何度も、戦いを続けようとする俺を止めた。それはただの保身かな。違うって、俺は信じている。兄ちゃんはいつもそうなんだ。降伏した人が人道的な捕虜生活を送っているって噂はもちろん知ってた。兄ちゃんは一人では絶対に降伏しなかった。俺が首を縦に振るまで待ってくれた。振らなかったら、他の人と逃げればいいのに。俺を置いていかなかった。
「また、お兄さんの夢を見ていたんですか」
軍で俺の部下だった彼が、目覚めたら目の前にいる。
「え、ああ…うん。よくわかったね」
「泣いてます」
それでようやく目元に触れた。濡れていて、あーあ、と俺は声を漏らす。
「ごめん。悲しくて」
「家族が亡くなったんですから、当然です。僕は戦争で姉と妹を亡くしましたから…お気持ちは、わかっているつもりです」
部下はふっと笑って、俺に毛布をかけた。
「風邪をひいてしまいますよ。どうかお体には気をつけて。ね」
静かに頷いてみた。風邪を拗らせたら、もしかしたら死ねるかもな…なんて思ってしまったから、はっきりとは頷けず、曖昧な感じになってしまう。
「死んだら、駄目ですよ」
僕が悲しいので、とだけ言い残して、部下は去っていく。まるで心の中を読んだかのように。びっくりして、とりあえず心の中で大声で叫んだ。部下が振り向くことはなかったから、心の声が聞こえているわけではなさそうだ。
だけど、そうだよな。
近くにいる人が死んでしまったら悲しいんだ。俺は悲しかった。兄ちゃんが死んで悲しかった。泣いたし、叫んだ。気が狂いそうだった。というか、狂った。
兄ちゃんは、たぶん俺が嫌いで。それはなんとなくわかっていて。兄ちゃんが俺を見る目は随分冷ややかで鋭くて、凍てついてしまいそうだった。心が寒々しくなった。兄ちゃんの中で俺は極悪人なんだろうと思っていた。わかってた。
それでも俺は兄ちゃんが好きだったから。
そんな家族愛はおかしいかな。俺も決別に踏み切るべきだったかな。そのせいで兄ちゃんが死んだなら。俺を嫌うあまり、俺を悲しませたくて死んだなら。俺が殺したも同然だ。
ただ、俺は死んだりしないよ。
死んだら天国か地獄かわからないけど、兄ちゃんに会ってしまうから。まだ、顔を出すには早すぎる。離れていたら、兄ちゃんも俺に会いたくなってくれるかもしれない。
もう兄ちゃんに遠慮しないから…ずけずけものを言ってやるから、楽しみに待っていればいい。そう、兄ちゃんみたいに図々しくね。
ありがたいことにまだ俺には、慕ってくれる部下や最愛の仲間たちがいてくれるのだ。兄ちゃんのようにはならない。誰かを悲しませない。声を大にして言いたい。
ねえ、憧れの人。
今、どうしてますか。
嫌いな俺からの言葉なんてどうせいらないだろうけど…俺が守りたかったのは、兄ちゃんと俺の普通の日常なんだよ、とだけどうしても伝えたい。
兄ちゃんとは違う俺だから、直接兄ちゃんを守るなんてできっこなくて。がむしゃらに戦うしかなかった。わかってくれなくてもいいから、聞き流してくれていいから。
世界で一番カッコいい人。兄よ。
「お兄さんが亡くなってから、もう五年も経つんですね」
「お墓参り、来てくれてありがと」
「いえ…僕が弔いたかっただけです」
「おーい、花、買ってきたぞ」
「お兄様が一番好きだったっていう花!」
「あっ、皆さんいらしたようですよ」
部下が俺の手を取る。俺も走り出す。仲間たちが花を掲げる。兄ちゃんが好きだった、エーデルワイスという花を。『大切な思い出』を示す花。
退いた爵位。戦争は遥か彼方の出来事であり、俺だってとっくに英雄じゃない。外交や財政に戸惑う王家は俺にいつまでも構いやしない。終わってしまえば一瞬だ。兄ちゃんが時折夢に出てきては、俺を貶したり慰めたりする。俺は泣かなくなった。笑えるようになった。まだここにいるんだ、ってさ。
「兄ちゃん、そろそろ俺に会いたくなった?…ざまーみろっ」
意地悪く笑って、しばらくは会いに行ってあげないぞ、とだけ、告げてきた。
兄弟に贈る 紬こと菜 @england
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