兄弟に贈る

紬こと菜

英雄とその兄

「嫌だ!俺は戦う!」

 こいつはずっとそう言って譲らない。

 降伏しようぜ。もう無理だ。どうにもならねえ。オレら、もう負けてんだよ。力の面でも、気持ちの面でも。

 何度も言った。何度も、この馬鹿をどうにか説得しなければと諭した。それでも譲ってはくれないのだった。それが嫌で、嫌で嫌で嫌で。いつもオレの言うことを、こくんと首を縦に振って聞いていたこいつが、刃向かってきたから。


 結局あの馬鹿は逃げなかった。

 オレたちは勝利した。厳しい戦争だったが。あの馬鹿が敵将を討った。果敢に、果敢すぎるくらいに勢いよく攻めていった。死ぬつもりだったんだろう。あいつは「お国」が好きすぎた。祖国のためならなんでも、と。戦争の前はそういうやつじゃなかったのに。もっと優しくて、穏やかで、目の前のことしか見えていないようなぼやっとしたやつだったのに。

 オレの後ろをとことこと、短い足で追いかけてきては、すぐにこけてわんわん泣いていた。オレは冷たく放っておいて、それでもあいつはついてきた。

 …嫌いだった。

 純粋な瞳でオレを見る。喧嘩じゃ負け知らずだったオレだが、あいつにだけは敵わなかった。あいつが笑っているだけで、オレはすっかり毒気を抜かれた。

 弟だから、かもしれない。


 あいつは讃えられ、一躍時の人となった。あいつをかつていじめていたやつらも手のひらを返して、あいつは誰からも信頼され尊敬される兵士になっていた。爵位を貰うのも時間の問題だと囁かれる。どうやら敗戦国から多額の賠償金が支払われるらしく、王家はずいぶん裕福になる……予定だとか。金回りが良くなっているのもひしひしと感じた。節約家な方のオレすらも予定外の散財をしてしまうほど、国全体が恵まれた空気に包まれた。あいつは高い品や金銀財宝を積まれた。最初は困った顔をして断っていたけれど、次第に受け取るようになった。オレたちの家はどんどん狭くなっていく。あまり話さなくなって、オレはあいつの名前を呼ばなくなった。別に寂しい変化ではなく、むしろ気が楽で。

 気がつけば、オレとあいつの間にはとても深い溝があった。違うか。距離があった。オレが一方的に空けた距離。強くなって認められたあいつと、かつての強さに縋って、保身ばかりなオレ。生まれた時から、父さんと母さんに愛されたオレと、父さんと不倫相手の間の子だから毛嫌いされたあいつは、あまりにも違いすぎた。不倫相手が死んで、あいつはうちに来た。虐げられていたあいつを、気付かぬうちに見下していたオレがいたんだと今さら思い返す。天罰が下ったような気がした。


 なあ、英雄。

 今、どんな気分だ。

 爵位をもらって嬉しかったよな。退いた時、本当はどう思ってた?オレに遠慮しただろ。オレのかつての恋人に求婚されてどうした?オレを理由に断っただろ。好きだったのに。

 お前は言ったな。「俺なんかより、強くて立派な兄にこの冠を」って。オレがどんなに惨めで苦しかったか、お前にわかるはずもない。お前には仲間がいるわけで、地位もあって、金も名誉も愛も羨望も意志も全部全部全部全部全部持ってる。

 世界で一番嫌いな人間。弟よ。


「兄ちゃんと一緒に食卓囲むの久しぶりだよね。嬉しい!」

「そうか?お前が忙しそうにしてたからな」

「いつでも空けるのに〜。兄ちゃん、気ぃ遣ってたの?」

「まあな。ほら、早く食べようぜ。手作りなんだ。感謝しろよ」


 毒を呑んでオレが目の前で死んだら…、

 こいつは泣くもんな。きっと。

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