いっそこの想いも夢ならばいいのに
弥生奈々子
いっそこの想いも夢ならばいいのに
メレンゲを最初に作った人ってもっと歴史の教科書とかで讃えられるべきよね。生卵を割って黄身と白身に分けようってだけで、凡人とは一線を画す発想なのに、見るからに栄養豊富そうな黄身ではなく、白身の方にフィーチャーするなんて。それをかき混ぜてしかもかなり根気よくカシャカシャカシャカシャかき混ぜて、出来上がった見た目だけ綺麗な味もそっけもない細かい泡を焼いてスイーツにしようって言うんだからこれはもう瞠目……。
二月一三日、世間がバレンタインなる腑抜けたイベントで浮足立っているだろう今日、私森永千代子は調理室でただ一人メレンゲを作っていた。何を隠そう私もその浮足立つ人間の一人なのである。何故私が自宅でなく調理室でしかも一人でメレンゲを作っているかは至極簡単で私が調理部(正確には同好会)の部員だからである。
そしてもう一人の調理部部員である川端久喜が来ていないから一人というわけだ。部活の時間はとうの昔に来ているのだが時間にルーズな彼女には関係がないのだろう。
それにしても遅いな。あの女まさか忘れてたりしていないだろうな。今朝教室で言ったはずなんだけれど。でも久喜だからなあ。「忘れてた」でこの世の大体がまかり通ると思っているような奴だし。考えただけでイライラしてきた。来たら無茶苦茶文句言ってやろ。
「おいすー」
我慢の限界を迎えそうになったその時、間延びした声とともにガラガラと扉が開けられた。
「あんたね、約束の時間から何分経ったと……」
「やあやあ、お邪魔しますよ」
「じゃあカメラここにセットするねー」
遅刻した彼女に文句をぶつけるという予定は久喜の後ろにいる二人の女生徒によってあえなく失敗してしまった。誰だよこいつら。一人はなんか馴れ馴れしいし、一人はビデオカメラ設置してるし。脳の処理が追い付かない私は助けを求めて久喜に視線を送る。
「ああ、カメラ設置している人は加州紅美さん。同好会紹介の記事を書くための活動見学だってさ。多分責任者の千代子にも連絡いってるはずだけど」
なるほど、そういえばそんなことを聞いたような聞いていないような。大富豪とかしている日じゃなくてよかった。聖ウァレンティヌスに感謝である。
「それでこの子が」
「どうもどうもお初にお目にかかります。私麿山真朱と申します。以後お見知りおきを」
久喜の説明を遮り麿山さんははきはきと大きな声で(ボリュームが壊れている)自己紹介をしてくれた。手まで差し出してくれている。
苦手なタイプだ。
「それで麿山さんはなんでこの時期にわざわざ料理同好会に? 制服のリボンを見る限り同じ二年生よね」
私は敢えて彼女の手には気付かない振りをして質問する。
「それがですね、私まだ部活や同好会に所属していなくてですね。中学生である時間は有限であるのにそれは勿体ないと思い立ったわけです。天啓を得たわけです。すると料理同好会はバレンタインに向けてチョコケーキを作るというではありませんか。料理が出来ると一目置かれると言いますし。友達と彼氏一挙両得出来る好機だと思い川端さんに話をすると快く引き受けてくれたわけですね。もちろん皆様にも友チョコなるものをあげますよ。お礼は三倍返しでお願いします。それじゃあチョコレートならぬ超高レートですか」
麿山さんはなんつってと言いながらタハハと笑う。言動の一つ一つが本当に鼻につく。
てかお前のせいかよ。久喜を睨むと当の本人はスマホを触っている。なんで他人事でいられるんだよこいつ。メンタルどうなってるんだ。
スマホが振動する。見ると久喜からメッセージが来ている。このためにスマホを触っていたようだ。なんだろう、直接言えばいいのに。
「そいつ学校で浮いてるらしくて雨宮先生から頼まれちゃって断れなかった」
文章の後には謝罪のスタンプが送信された。雨宮先生というのは料理部の顧問である。なるほどそれで。まあそういうことなら仕方ないだろう。私も同じ状況ならそうするし。今度ジュースでも奢ってもらうことで許すことにしよう。
しかしそうなると困ったな。
「えっと、麿山さん。言いにくいんだけれど、実はメレンゲ作りは終わっていて、もう後は料理という料理の工程が残っていないのよ。完成品を少しあげるくらいならできるんだけどね」
それはつまり、素人が変なミスを起こさないということで私からすれば万々歳であるのだが、部を体験したい麿山さんからしたらあまり喜ばしくないだろう。しかし予想とは裏腹に麿山さんの表情は曇るどころかどんどん晴れ渡っていった。
「つまり、まだ生地作りの段階ってことですよね?」
「まあそういうことになるわね」
「いよっしゃー! イエスイエスイエス!」
麿山さんは急に叫んだかと思うとガッツポーズをしながらくるくると回り出した。とち狂ってる。
怖すぎるだろこいつ。情緒どうなってるんだよ。然もありなん。こんな奴が日本で、いや地球で馴染めるわけがない。何が料理が出来ると一目置かれるだよ。普通にお前は距離を置かれるよ。
「これ入れましょう。いや入れてください!」
呆然としていると麿山さんはカバンからペットボトルを出してきた。中身はなんだろうか。水っぽいけれど。
「これはですね、一か月間私が呪文を詠唱しながら周りをぐるぐる周ってできた魔法の聖水です!」
気持ち悪。マジでなんなんだよこいつ。呪文の下りがなくても水なんか入れないし。水をギリギリ許容しても一か月越しの水だし。ダメだ。ちょっと普通にイライラしてきた。
「すみません、お手洗いに。久喜も行くよ」
「あたし一切尿意も便意もないんだけれど」
「いいから!」
「へいへい」
有無を言わせず久喜を連れて私は調理室から少し離れた空き教室へと向かった。
「もうなんなのあいつ!」
教室に入ってすぐ私は麿山さんへの怒りを久喜へとぶつけていた。彼女に言っても詮ないのは百も承知であるが、何かしらで発散しないと怒りで気が狂いそうだった。王様の耳はロバの耳である。気狂いは麿山さん一人で十分だ。
訂正しよう。一人もいらない。一人たりともだ。
愚痴を吐いている間、久喜は何も言わず静かに聞いてくれていた。全く良い友人を持ったものだ。変に反論されたら連れてきたことを無茶苦茶に責めていたと思うけど。
「何してるの? こんなところで」
言いたいことも言い終わり少し落ち着いてきた頃、急に背後から声を掛けられる。見れば先ほど見た顔だった。確か新聞部の加州さんだったか。麿山さんが濃すぎてすっかりこの子のことを忘れていた。
てかどうしよう。流石に麿山さんの悪口とは言えないし……。
「え、えっと」
「移動教室で忘れ物したからついでに寄ったの。じゃあ戻ろうか」
全く良い友人を持ったものだ。
そこからお菓子作りはつつがなく進んだ。麿山さんも水を入れたいと言ってこなかった。冗談だったのだろうか。焼きあがるまでの待ち時間も恋バナで会話が尽きることはなく先ほどの嫌悪感はどこへやらといった感じである。やはり久喜に話したのがよかったのだろう。やはり人間余裕が大切である。因みに麿山さんはサッカー部のキャプテンである佐藤先輩が好きらしい。なんだ、彼女も少し変わっているだけで私たち恋する乙女と何ら変わらないじゃないか。
そうこうしている内にオーブンレンジは焼き上がりを知らせるメロディーを奏でる。
「お、焼きあがったみたいだね」
レンジを開くと見るだけで身体中からよだれが出てきそうなチョコレートケーキが……。あれ? どうしたことだろう。全然美味しそうじゃない。なんかべちゃべちゃしている。全体的に水分量が多いような。水分?
「つかぬことを聞くんだけれど、麿山さん?」
「なんですかなんですか。水臭いですね。あなたのお仲間。いや、『同じ釜の飯を作った仲』もとい同釜ことこの私、麿山真朱に何でも聞いちゃってくださいよ!」
麿山さんは両手を大きく広げて、答える。嫌悪感は解消されどお仲間(同釜)は流石に言いすぎなのだがそれはまあいい。今は真相を突き止める方が先である。
「私たちがトイレに行ってる間にあの水入れた?」
「私が? あの水を? みんなで作った生地に? ないないないないないない。流石にやりませんって」
「そういうのいいから。ちょっとカバンの中のペットボトル確認するね」
「あ、ちょっと。プライバシーの侵害ですよ。もしかして千代子ちゃん、彼氏のスマホとか勝手に確認するタイプですか? 老婆心ながらやめておいた方がいいと思いますよ。あ、私と千代子ちゃんは年齢が同じだから千代子ちゃんも老婆になっちゃいますね。更年期コンビイエーイ!」
麿山さんの言葉を無視してカバンからペットボトルを取り出した。大方の予想通り水は明らかに減っている。流石に麿山さんもこれを見られたら言い逃れができないだろう。
「蒸発しちゃったんですかね」
当然のように言い逃れしてきやがった。なんでこんなに平然と嘘を付けるんだよ。不快通り越して怖いわ。
「麿山さんビデオカメラに水入れてるのガッツリ映っちゃってるけど……」
嫌悪感や不快感が不死鳥の如く蘇ってきたその時、加州さんがおずおずと声を出した。
「だそうだけど」
「ま、まあまあ過ぎてしまったことは仕方ありません。お詫びに私の分食べていいですから。それで水に流すということで。水だけに!」
麿山さんは悪びれもせずそんなことを言ってきた。それだけでは飽き足らずチョコケーキを手で千切り私の口の方へ持ってきた。
「ちょ、やめ、やめて……マジでやめろって! 気持ち悪いんだよお前!」
怒りと恐怖でぐちゃぐちゃになった私は声を荒げて、チョコケーキを手で払った。当然、チョコケーキは物理法則に従い床へと落下する。麿山さんは涙ぐみながらケーキを見ているが、私の心には一切の罪悪感が芽生えることはなかった。
「ちょっと、どうしたの? 廊下まで大声が聞こえてきたけれど」
騒ぎを聞きつけて雨宮先生が調理室に入り麿山さんへと駆け寄る。大方、チョコケーキをうっかり落としてショックを受けていると勘違いしているのであろう。
「大丈夫よ麿山さん、誰にでも失敗はあるから。ほら、こことか食べられるんじゃない?」
何も知らない雨宮先生はケーキを口へと運ぶ。
「おいしいいい! 麿山さんあなた最高ね! 今日からあなたは料理同好会のエースだわ!」
は?
いやいや嘘だろ。呪いの水が入れられてるんだぞ。百歩譲ってあの水がただの水だとしても生地がべちゃべちゃのあのケーキが美味しいわけがないのだ。先生が麿山さんを慰めるためにうった一芝居に違いない。あまりにも過剰だと思うが。当の麿山さんは演技を真に受けて、破顔させている。もう彼女の一挙手一投足が不愉快だ。
「ちょっと私も食べてみようかな」
「じゃ、じゃあ私も」
全てを知っているはずの加州さんと久喜がチョコケーキを口にする。なんでだよ。美味しくないのは火を見るよりも明らかだろ。
しかしこれで麿山さんも現実を知ることが出来るのなら万々歳である。二人にはそのための礎となってもらおう。言ってくれ不味いの一言を。
「うままままままままままま!」
「麿山お前最高!」
私の期待を裏切り彼女らも先生と同様にチョコケーキをほめたたえる。この光景ははっきり言って異常である。これはもう洗脳と言った方が正しいのではないだろうか。
私の心中は既に嫌悪感や不快感よりも恐怖で満たされてしまっていた。
怖い。怖い。怖い。怖い――
ここから逃げないと。
「おい、千代子も食えって!」
「まだ森永さんは食べてないの? みんなで食べましょう!」
三人は調理室から出ていこうとする私を補足するが早いか組み伏せてきた。力の限り抵抗するが、非力な私では三人の人間をどうすることもできなかった。私は口を無理矢理開けられ件のチョコケーキをねじ込まれる。
「美味しい……。私は今まで一体何をしていたんだろう。真朱ごめんね。私達大親友よ!」
「言われなくても元より私は大親友のつもりですよ、千代子ちゃん!」
「真朱料理部に入ってくれ! 千代子だけじゃ物足りねえよ」
「考えておきますね、久喜ちゃん」
「真朱、私あなたの記事が書きたい。一生の全てを真朱の記事に懸けたいの」
「私という素晴らしい人間の記事、任せましたよ紅美ちゃん」
「真朱あなたは本校の自慢よ」
「もう、言いすぎですって雨宮先生」
真朱!
真朱!
真朱!
真朱!
真朱!
真朱!
「真朱! 真朱! 早く起きて」
「ん……?」
「真朱今日は学校どうする?」
「行かない……」
「そっか……。わかったわ。これお母さんからね。じゃあ仕事行ってくるから」
「んー」
「何これ……」
「ああ、チョコレートか」
「そっか、今日……」
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