3:絶対に言えないけど

 ――ガコンッ


 自販機から落下音が鳴った後、先客の男子生徒が去っていく。

 花田が自販機の前に立った。またいちごミルク買うんだろうな。せっかくだし、わたしも後でキャラメルラテ買っちゃおうかな。

 そう思いつつ、隣の自販機のラインナップを確認する。あ、まだ『あったか〜い』コーナーが頑張ってる。最近暖かい日が多いから、そろそろ『つめた〜い』コーナーに占拠されそう。


 ピッ――ガコンッ


 ピッ――ガコンッ


 あれ? 何本買ってるの? 連続で鳴った落下音に導かれるように視線を移した。

 自販機の前にかがむ花田が、取り出し口に手を突っ込む。その姿すら輝いて見えるのだから、きっとわたしは重症だ。


 彼が自販機から取り出した紙パックは、予想したピンク色ではなかった。


「いちごミルク売り切れ?」

「いや、あったけど押し間違えた」


 花田がもう一度自販機に手を突っ込み、紙パックを取り出す。今度は見慣れたいちごミルクだ。うーん、間違えることは誰にでもあるけどさ。


「花田、うっかりキャラだっけ」

「今から路線変更すっかなぁ」

「それは面白すぎる。丁度キャラメルラテ飲みたかったから、花田がいらないなら買い取りますぞ。それともどっちも飲む?」

「んー。…………ヨースケくんは今、二本のジュースを持っています」


 何か始まった。


「一本はいちごミルクで、もう一本はキャラメルラテです」

「ふふっ……はい、そのようですね」


 どうしよう、にやける。

 わたしは、花田の微妙に変なところが好きだ。もちろん他にも好きなところはたくさんあるが、やっぱり変なところが好きだ。真面目な顔で意味のわからないことを言ってくる時なんて、たまらなく可愛いと思ってしまう。

 だから唐突に始まる茶番に付き合うのが、とても楽しい。


「ヨースケくんは、ずっと前にした約束を守りたくて、リンちゃんとジュースを半分こにしようと考えます」

「っ!?」


 ……今、リンちゃんって言った? リンちゃん、りんちゃん……凛ちゃん?

 ――だ、誰か助けてっ!


 突然名前を呼ばれ、思わず叫びそうになった。今すぐにでも走り出したい。

 落ち着け、一回落ち着こう。胸がときめいて死んでしまうなんて笑えない。

 きっと林と書いてリンちゃんだ。わたしのことじゃない、違うに決まっている。いや違ってほしくないけど。多分わたしのことだけど。だって――


「約束って、もしかして花田が風邪で休んだ時のこと言ってる?」

「うん」

「そういえば、あれからほぼ毎日お菓子とか分けてもらってるような気がする、けど」

「リンちゃんと約束したので」


 以前適当に言った『半分ちょうだい』が、彼の中ではまだ有効だったらしい。一回きりのつもりだったのに。

「花田っていつもお菓子持ってるんだなぁ」くらいにしか考えていなかった自分を殴りたい。もっとおがむべきだった。


「約束の有効期限が、長すぎるのでは」

「期限とかないし」

「そういうものですか?」

「そういうものです。……では、話を戻します。ヨースケくんは、二本のジュースをリンちゃんと二人で半分こにしました」

「はい」

「ここで問題です」


 花田が顔の横にジュースを持ち上げた。


「リンちゃんはヨースケくんから、何本のジュースをもらえるでしょーか?」


 二本のジュースを、二人で分ける。


「……い、一本?」


 簡単すぎて答えに自信が持てなかった。

 けれども目の前の花田が頬を緩めたことで、これでよかったのだと安堵する。


「正解、お見事。こちら賞品のキャラメルラテでーす」


 差し出されたキャラメルラテを、両手で受け取る。くれるんだ。そうですか。


「ありが、とう」

「正解した子には、ご褒美あげんとね」


 なんだか凄く、ふわふわした気分だ。『つめた〜い』コーナーの飲み物なのに、持った手が温かくなった。


 紙パックにストローをさした花田が、不思議そうに首を傾げる。


「どうした、飲まんの?」

「え、ああ。……飲みたいん、だけど」


 花田からもらったキャラメルラテ。自分で買った時とは違って、その、なんと言うか。


「もったいなくて……」


 口からこぼれ落ちた言葉が、自分の耳に届く。そうだよ、それだよ。もったいないの。

 ――あれ? 今わたし、もったいないって言った?


「あ、いや、違うよ? 誰からとか関係なくて、人にこういう感じでもらうの初めてだから。花田が間違って買っちゃったものでも、その、嬉しいなと、思いました! はい!」


 お願いだから、誰かわたしを止めてください。これ以上一人でわけのわからない発言を重ねる前に。

 最後の「はい!」なんて小学生の初めての参観日よりも元気いっぱいだった。こんなに元気だったら先生も絶対指名しちゃうよ。あれ、わたし小学生だっけ。高校生だよなぁ。


「あのー。もしもし、花田さんや」


 馬鹿にしても笑ってもいい。とりあえず反応が欲しい。恥ずかしくて消えたくなるから。


「無視が一番、精神をやられると言いますか……え?」


 自分より高い位置にある顔を見上げると、面食らった表情の花田と目が合った。何その顔。


「……リンちゃんは、いちごミルクもお好きでしたよね」

「っ!? まだその呼び方、続いてたんだ……」

「お好きでしたよね、いちごミルク」

「は、はい。好きですが」


 花田の質問の圧が強くて、思わず一歩後ずさる。


「では次回は、いちごミルクをかけた問題を用意してきます」

「うん……?」

「その次はオレンジジュースで、その次はミルクティー。その次はゼリー入りぶどうジュースをかけた問題を用意してきます」

「よく、覚えてるね。わたしが飲んだことあるやつ」

「問題が解けたら、ジュースはすべて、リンちゃんのものです」

「え? 花田――」

「『もったいない』なんて思えなくなるくらい、何問でも用意してくるので」

「あの――」

「安心して飲みんさい」

「…………はい」


 どうやらわたしは、丸め込まれたようだ。

 一応返事はしたが、本当はまだもったいないなと思っている。でも花田が「飲むところを見るまで動きません」みたいな顔をしているので飲むしかない。


 プスッと音を立てて、ストローをさす。ああ、開けてしまった。飲みたいけど、飲みたくない。飲みたくないけど……どうしても飲みたい。

 ストローの先の方を唇でくわえて、慎重に吸い上げる。明るいブラウンの液体が透けて見えたのとほぼ同時に、大好きな味が口いっぱいに広がった。


 あー、甘い。今まで飲んだ飲み物の中で、一番甘い。

 語彙力がなくて、多分上手く伝わらないけど。


「……めちゃくちゃ美味しいです」

「そらよかった」

「ありがとう」

「さっき聞いた」


「そんじゃ、教室戻りますか」と、花田が体の向きを変える。それに続こうとした時、自販機に並ぶいちごミルクがふと目に留まった。

 花田が買う姿をいつも見ているから、場所も覚えてしまった。上から三段目の、右から二番目。

 わたしが手に持っているキャラメルラテは、上から三段目の、一番左だ。


「ねえ、花田」

「んー?」

「聞きたいことがあるのですが」

「どーぞ」


 こんなことを聞いても、花田は怒らないだろうか。


「……本当にボタン、押し間違えた?」

「……ふふっ、さあ」


 花田は前を向いたまま、こちらを見ない。

 でもこらえるように揺れる体が、緩んだ口元が、下がった目尻が、彼の心を教えてくれる。


 絶対に、絶対に言えないけど。


 ――やっぱり、好きだ。

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