第2話 地縛霊とタケオ

「ぐん、と弾力に富んだ感触がいきなり顔面を襲って。人とぶつかったということはすぐにわかったんだけど、その次の瞬間、目の前を黒髪がふわーっと」

「ほほう」

「ぶつかった衝撃でのけぞったんだけど、あごを引いて衝突したモノを確認しようとしたら、女と目が合ったんだよ」

 バイスは再び手を止めてこちらを見た。

「同い年くらいの普通にかわいい子で」

「ぶつかるまでは全く気が付かなかったと言ったな。気配もなかった?」

「まあ、その辺は自信ないけど。肉まんのことしか考えていなかった」

「――まあ、いい。続けてくれ」

「ぶつかった衝撃でこけたら、その拍子に肉まんはどこかに行ってしまって」

「肉まんの話はもういい!!」

「……もう出てこないよ」

 バイスからの返事はなかった。

「それで、僕はすぐに立ち上がって顔を上げたのに」

「そこにいるはずの『ぶつかった相手』が見当たらない、というわけか?」

 ご明察。

 まあ、バイスではなくともここまでの話の流れからこの展開は誰でも読めるだろう。

 そういう意味で、実にありふれた一幕なのだ。

「そうなんだよ。左右前後、上下にまで目を向けたものの、あたりには猫の子一匹いない……。これって間違いなく地縛霊だよね。16歳にして初めてのオカルト体験だ」

と軽く冗談めかして返答できたのもあの瞬間からだいぶ時間が経ったからで、実際その瞬間は寒気どころか、体中につららが刺さったような衝撃を受けた。

「地縛霊、か」

 バイスはうなった。

「その場所で死んだ人、生き物の怨念が具象化し、姿を見せ、時に襲いかかり、呪いを放つ――スタンダードな悪霊だな。予兆なく現れ、煙のように消えたという観測結果が真実ならば、タケオのいうとおり科学的に説明がしづらいな」

 冷静に分析するバイスだったがオカルト的結論をそのまま飲み込むことはしなかった。

「だがま、それよりも、タケオの頭が肉まんのせいでどうかしてた、という結論のほうがまだしっくり来る」

「ひどくない、バイス?」

「地縛霊の仕業だ、という説明内容がすでにタケオの脳内に何らかの問題が発生していることを示していまいか?」

 意地悪そうに笑いながら、バイスはこちらを見た。

「確かにその線は捨てがたいけどね……」

 そういうことなら僕は自らの欠陥を素直に受け入れるしかない。

 すべての苦しみは認識のゆがみから生じるし、僕は僕がどうにかなっていない自信などない。

 しかし、どうしても納得いかない点が一つあった。

 のこだ。

 あのとき、僕は何度も周りを見返しながらかいだ、華やかでありながら、さわやかさを感じさせるその香りをはっきりと覚えている。

 嗅覚は、感覚器としては比較的原始的であるという。

 ということは、遺伝子の運び手である生命を連綿と維持させるために「ごまかしがききづらい」とは言えないだろうか。

 そんな嗅覚が、僕に違和感を与え続けているのだ。

 しかしそれを伝える前にバイスは、

「今まで君から聞いた話の中で、一番おもしろかったよ。なかなかに『リアリティ』が感じられたよ、いや、皮肉ではなく。さすがは我がパートナーだ。またおもしろい話があったら必ず聞かせてくれ」

とだけ言ってまた作業へと戻った。

 こうなると、気が弱すぎかつ肝が小さすぎる僕は黙るしかない。

 まあ、本日の作業前の会話の役割は十分に果たしたのだからこれ以上は野暮というもの――そんな言い訳を即座に思いついて、僕は違和感を伝えることを後日に回すことにする。

 これで本当に幕引きだ。

 僕はモヤモヤの一部を吐き出せたことに満足しつつ、自分の作業を始めるための道具を取り出すべくカバンを開いた。

 後から見れば、こんなリアリティだなんだという議論自体がたいして意味のない話となるのだが、それは置いておくとしてもこの『彼女』との出会いは相当に奇跡的であった。

 「奇跡だからすばらしい」というのも拙速だけど、結果的には僕はこの出会いはみんなにとっていいものであったと思う。

 その思いを誰かに押し付けたりはしないけれども、いつかみんなもそう思ってくれたらいいな、くらいに思い続けているのだ。

 そして、それからわずか数日後、「奇跡」は別の形でもう一度起こることとなる。

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