第35話

 僕――久遠帯々にとってあの子は幼馴染であり、血の繋がりのない家族であり、心が通った兄妹であり、かけがえのない半身だった。


 それが久遠九々という存在なのです。


『オレ、帯々兄ぃの頭の中は分かんないけど心の中なら分かる。だってオレと帯々兄ぃは血の繋がり以上の絆で繋がった兄妹だからな!』


 と、僕が三番目に辛かった時に満面の笑みを浮かべて僕に言ってくれた暖かい優しさと、


『一緒にっ……一緒に生まれて来るんじゃなかったッ!!』


 あの子が一番辛かったであろう時に僕に向けて言った悲痛な絶叫が木霊し、これが僕の一番辛い瞬間になった。


「ッ――」


 それでも僕は走った。僕の半身の元に。僕の大切な妹の元に。だって、あの子の前には姉さん――成神瑠々が居たから。


「!?」


「「!?」」


 九々が姉さん手を振り払うが、それでも姉さんは九々に手を伸ばし、再度九々が姉さんの手を振り払う前に僕が姉さんの腕を掴んだ。

 

 九々と姉さん、それと僕と同じ中学校の制服を着た女子が驚いた様子で僕を見る。


「――あぁ、偶然だね? こんな所で会うなんて」


「……」


 いち早く落ち着きを取り戻す姉さん。姉さんは僕に腕を掴まれたまま身体の向きを若干僕の方に向けた。


「帯々君。昨日はどうして帰ってこなかったの? お姉ちゃん、すっごく心配したんだよ? 寂しかったんだよ?」


「ぁ――姉さんっ……」


 鳥肌と共に血の気が引いていく。血の繋がりがあるからか、この人の言葉に嘘偽りがないとわかってしまう。

 徐々に姉さんの腕を掴んでいる手から力が抜けていったけど、最後の最後で踏ん張ってその腕を掴み続ける。この手を放しちゃいけないと思ったから。


 でも……それなのに――、


「偶然は、嘘だよね? だって姉さん、昔ゲームセンターは五月蠅くて臭くて気持ち悪いって僕達の前で言ってたでしょう? ゲームセンターなんかで遊ぶより洋服を見たり試着した方が健全で有意義だって。そう言って僕達の誕生日の日に無理やり洋服やアクセサリー店に連れまわしたよね? ――そ、それと最後の、昨日の今日とでよく僕に言えるね? ――!? ひっ――」


 手を放してしまった。

 姉さんの目から涙が溢れ、その一滴の涙が僕の手に落ちたから。落ちた涙が僕の手に掛かった瞬間、遠い昔に九々の悪戯でミミズを手の上に乗せられた時と同じ嫌悪感を感じてしまったから。


 でも、今度は姉さんが僕の腕を掴む。僕が知っている以上の握力でもって。


「どうしたの? どうしちゃったの? 私の弟はそんな事言わない。私の弟はお姉ちゃんにそんな事言わないの」


「ね、姉さん……?」


 一方的に話している内に更に力が込められてゆき、掴まれた所から指先までの感覚が消えていく。先ほどまであった対抗心は消えさり、もはや自力での振り払いは不可能だった。


「私の弟はね? 私が大好きな弟はね? この世界で唯一の家族である弟はね? この世界で唯一の味方である弟はね? お姉ちゃんが言って欲しい言葉しか言わないの。パパが私を殴って傷つけて、それをママが黙って見ていたあの家で唯一の味方。弟だけが私に優しい言葉を掛けてくれた。励ましてくれた。勇気を与えてくれた。そして――失ったと思ってたを与えてくれた」


「待って……」


 なけなしの抵抗虚しく、徐々に姉さんの元に引き寄せられてしまう。目の前にまで近づいた姉さんの顔は、涙を流しながらも優しく縋るような――そんな悍ましくて痛々しい表情を浮かべていた。


 そしての一言で僕は思い出す。お姉ちゃんが愛情を求めて僕に手を上げさせた光景がフラッシュバックする。


「はっ……はっ、はっ――」


 気が付けば過呼吸に似た荒れて乱れきった呼吸をしていた。口内の水分は枯れ、喉がカラカラに乾き、吐いた息の生温さで舌が震える。

 この状態は正に――姉さんが満足するまで殴った後、吐くためにトイレに向かう道中と同じだった。


「あれ? どうしたの? そんなに震えちゃって? 寒いの? それとも変な事を言っちゃったっと思って凄く後悔してくれてるのかな? ねぇ帯々君?」


「ァ――!?」


 姉さんの手がゆっくりと僕の顔に近づき、思わず悲鳴のような掠り声が漏れ出る。


「はっ――ごめんなっ――ッ!?」


 嫌だ、辞めて、助けてと、心の底から言いたかったのに出たのは謝罪。でもその謝罪を言い終える前に何者かの手が僕の口を塞ぎ、僕の顔に差し向けられていた姉さんの手を弾いてくれた。


「あらあらまあまぁ……お待たせ、待った?」


 と、六出梨先輩の声が聞こえたと同時に、僕の視界は先輩によって遮られたのだった。

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