第36話

「あらあらまあまぁ……お待たせ、待った?」


 そう言って私は『トラウマしかない元DV妻に子供と楽しかった思い出をネタにして復縁を強要された元夫』みたいな表情を浮かべていた久遠少年の視界を袖で覆い隠し、先に覆っていた口元の手を放しては少年の肩を掴んで私の方に抱き寄せる。


 てか――うん! 心臓がヤッバーい!! 駐車場入り口の看板にはここから少年が居るであろうゲームセンターの入り口まで歩いて約3分と明記。それをそこそこ本気で走っては少年が私と同じ学校の女子に腕を掴まれて怯えていたのを見つけるや否や持ってた杖を捨てて全力疾走。そのせいで心臓が凄く高鳴っている。ただ不思議と心臓の鼓動は思ったほど早まってはなくて呼吸も乱れてはいないが不思議ですわい。


「……よ」


「ん? なんだい?」


「待ってッ……ないよ」


「! あらあらまあまぁ、どうしてそんな……嗚呼どうしてそんなねぇ? 堂々として憎たらし気なの?」


 凄い。凄いね! 目の前の女子生徒様の顔から憎しみ的なものが滔々と垂れ流れてる。


「れ、梨先輩……?」


「お! あらあらまあまぁ……出会った昨日の今日とで初めて名前の方で呼んでくれたね? 嬉しいよ。これは梨先輩から梨兄さんに昇格するのも時間の問題とみた」


 私の腕の中で擦れた声で私の名を呼んだ久遠少年。出来る事なら少年の身体を反転させて正面から抱きしめてあげたいが、少年の腕をこの女子生徒に掴まれているせいでそれが出来ない。


 歯がゆい気持ちを抱く中、首を傾げていた女子生徒はそっと久遠少年に顔を近づけます。


「昨日? ……へぇ? だから家に帰ってきてくれなかったんだぁ、帯々君」


「ひっ!? ね、姉さんッ……」


「! あらあらまあまぁ、久遠少年の姉様であらせられましたか」


 久遠少年が”姉さん”と呼んだ事でこの女子生徒が久遠帯々の姉であり、自殺のキッカケとなった成神瑠々だとわかった。


 わかって、なんとなくだが少年の腕を掴むその手を放さなければいけないと危惧するが、


「その手を放して下さる?」


「私の弟を放して?」


 と、成神瑠々も私と同じことを思ったようで声が重なる。


「あらあらまあまぁ」


「……」


 クスッ、とした私とは対照的に彼女が垂れ流していた憎しみ的な感情がより一層濃くなる。さっきまでが無糖カフェオレなら今はコーヒーフレッシュを一つ入れた無糖コーヒーぐらいの苦味の濃さだと思った。


 ――まぁ? 一度もコーヒーやその親戚類を口にした事はありませんがね! なんせお父さんと同じく親子揃ってエスプレッソコーヒーの匂いを嗅いで気分が悪くなり、そのまま吐いた過去がございます。なので私とお父さんはお紅茶派なのです。


「は? ソレは私の弟。私はソレの姉さんでソッチは昨日知り合っただけの他人。もう一度言うけど私の弟を放して」


「放すのは別に良いけれども、その後はどうするんだい?」


「家に一緒に帰る」


「――……へぇ? あらあらまあまぁ悪趣味ね」


 口角に力が入ってどんどんと上へ吊り上がっていくのが分かる。この状態で今思っている事をそのまま口に出せばきっと只では済まないって事も。


 でもとてもとても愉しそうだ。


「今夜も弟に愛ある暴力をせがむのかい? それとも見て欲しいのかな? ご主人様である八條君に愛を入れて出されている所を」


「っ」


 平手打ちをしようと大きく腕を振りかぶられる。

 今のを言ったらそりゃそうだ! と、我ながら思っていたので甘んじて受け入れようとしたが彼女の平手打ちが私に届くことはなかった。

 

 遅れてきた二宮君が大きく振りかぶられたその腕を掴んで止めたから。


「お前今……梨じゃなくて弟の方を狙ったのか?」


「え?」


「あらぁ?」


 二宮棗の発言に私と久遠少年の声が重なる。


「止めた瞬間、力の向きが下側だった」


「!」


「あらあらまあまぁ」


 久遠少年は怯え、姉から逃げるように背中を私に押しつける。私はそんな少年の肩から手を放し、その手を少年の腕を掴み続けて離そうとしない成神瑠々の手に乗せた。


 ――が、乗せる前に彼女の方から少年の腕を放し『放したんだから放せ』と、言わんばかりの眼つきで二宮君を睨んだ。


「……」


「良いよ。放してあげて」


 どうする? と、確認を取るような視線を向けてきたので久遠少年と共に一歩下がってから放して良いと頷く。


「……」


 自由になった成神瑠々は何も言わずに歩き出し、3歩歩いた所で歩みを止めて振り返る。私は油断して久遠少年の視界から腕を退けていて、そのせいで二人の視線が再び交わってしまった。


「帯々君? 信じてるからね? 裏切らないでね? 見捨てないでね? 居なくならないでね? ――待ってるからね?」


「っ」


「あらあらまあまぁ」


 最後の最後で隙を突かれた事に感心しながら歩き去る成神瑠々を見送ると、居た事を忘れていた成神瑠々の連れである女子中学生が私を横目にすれ違い様に、


「邪魔すんじゃねぇよ糞兄がッ」


 と、恨めしそうに言う。


「兄? ――……兄?」


 あらあらまあまぁ聞き間違い? それとも私が覚えてないだけ? ――あぁでも確かにあの女子中学生を見ていると虚しい気持ちになるなぁ……あ! 丁度四季先生とすれ違ってる。よしあとで確認しようそうしましょう。


「さてと……あれ? 幼馴染君が見当たらない」


「え!」


 さっきまで居たはずの久遠少年の幼馴染である女の子の姿が何処にもない。念の為、ゲームセンターの中を皆で探してみたが見つからず、幼馴染の女の子の家に行ってみたら二階の一室に電気が付いていた。


「――でないね」


 チャイムを数回鳴らしたが残念な事に応答なし。完全に居留守を使われてしまいその日は小学校から回収した幼馴染のランドセルを玄関に置いて帰路についたのだった。

 

 此処からは余談。四季先生に例の男子小学生と女子中学生さんの事を聞いてみたら私の実弟と実妹との事です。

 名前なんだと思う? と、先生に聞かれたのでとりあえず私の名前の由来から考えて「りんごとみかん」と答えました。その日の夕食で使用した唯一の果実がりんごとみかんだったので。ちなみに不正解でしたが二人共文字数は合っていたので満足です。

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