第31話

『――ン”ッ”! ヴェ”ッ”――』


「……」


 見慣れた自宅の二階にあるトイレの個室で僕が僕を見下ろしている。トイレの便座に跪いて涙と嗚咽と嘔吐を一緒くたに吐き出しているそんな異常な僕を僕はただただ見下ろしている。


 これは夢。されど現実の光景。僕――久遠尾々の日常のその一つの光景。お父さんが亡くなってお母さんが消えた日から始まった光景なのです。


『――ィヒッ』


「……」


 金属音にも悲鳴にも笑い声にも聞こえるそんな擬音に、気が付けば僕は僕と同じように自身の右手を見ている。僕を見下ろしている僕自身の右手には何の変化はないが、見下ろされている僕の右手はきっと統一性の無い震えと皮膚が赤くなっているだろうね?


 で、この次は決まって、


『イッ――ヒャ――……ンヒッ――ン”ッ”! ヴェ”ッ”――!?』


 と、また涙と嗚咽と嘔吐を一緒くたに吐くんだよね。これを力尽きるまで何度も繰り返すんだ。


「……」


 これを何度も繰り返す。夢の世界でも現実でも。この悪夢は変わらずに今日まで続いている。そして目覚めればこの夢の続きである明日が始まる。


 ――筈だった。


「ッ――!?」


 唐突に夢から覚める。僕は眠っていた真っ白いベットからゆっくりと起き上がり、震えだした身体を思わず抱きしめた。


「ェ……誰か、が……居たぁ――……?」


 確かに感じた人の気配。あれはなに? 僕の錯覚? もしそうじゃないなら、あの光景を誰かが見ていた? あの家にはもう僕と――ッ!?


「先輩っ!」


 と、僕はこの先を考えるのが怖くなりベットの横に置いていたスマホを手に取って六出先輩に電話を掛けようとした。


 そしたら、


「あ」


 電源を入れたスマホの画面。電話のアイコンに着信不在のマークが表示されており、タップしてみると履歴の一番上にかつての幼馴染が通っている小学校の名前があった。



 時刻は少し遡って14時00分を回った5時限目。

 朝一で連行された病院での検査が無事終了し、異常が無かったので私――六出梨は四季先生の送迎で我が学び舎に登校いたした次第で候。


 ――ふっ。あらあらまあまぁ教室に着くなり授業をサボって寝ている悪い生徒が居ますなぁ!


「――」


「……」


「――」


「……スゥ」


「――」


「おはよおぉおおぉぉぉおおおぉございますぅぅぅ!?」


「!?!?!?!?(ドガッ)」


「机さぁぁああぁん!?」


 と、私の元気いっぱいの挨拶に眠っていた悪い生徒こと二宮棗が飛び起きて自身の机を思いっきり膝で蹴り上げる。余程の驚きだったのか蹴り上げられた机は私の胸元まで打ち上げられた。


「――」


「……」


 目と目が合う~♪ と、私達の視線が交差する。不満と愉悦が交差する時、物語は始まる――てか?


「――」


「ん? あらあらまあまぁ、電話越しの麻紗姉さんスケベ声か、元気いっぱいで起こすかで悩みに悩んだ結果、元気いっぱいで起こすと言う至極健全な選択肢を取った私を私は褒めたい」

 

「いや!? 普通に起こすと言う選択肢は無かったのかお前さんにはっ」


「――……起こした事も無ければ起こされた事がありませんっ! 世間一般の普通の起こしとはどうやるのですかっ!!」


「そっ、それは……身体を摩ったり……み、耳元で囁くとか……だよきっと」


「ほぅ? 身体を摩って耳元で囁くのが世間一般と――? ほぅ」


 身体の何処かを摩りながら耳元で「おはようございます」と囁く。これが世間一般の起こし方とな?


「一体全体何処を摩りながらどんなイントネーションで”おはようございます”を言うんだい? 参考にするから詳しく教えてくれないカナ?」


「うぜえって! うぜえって!」


「ンハハハハッ」


「笑い方まで再現してんじゃねぇ!?」


「えぇ? マジ似てたぁ?」


 と、V〇uberにハマってから一度はしてみたかったやり取りの一つ、そのオマージュ的なのが出来て大はしゃぎをする私。私の意図を汲んでくれたのかわからないけどそれっぽい返しをしてくれた二宮君に感謝感激。素直に楽しいし嬉しいです。それとイントネーションの練習だけでもしておいて良かった!


「たくよー……あーはいはい似てた似てた。で? こうして来れたって事は身体の方は問題なかったって事で良いんだな?」


「ぅん? あらあらまあまぁなんだね心配してくれてたのかい?」


「は? 当たり前だろ。心配しないわけないだろうが」


「! あらあらまあまぁ」


 素直にして不服。ド直球にしてドストレートの「当たり前だろ」に、嬉しいとこそばゆいが同時に込み上げてくる。

 

 全くもって罪な男ですたい。仮に私が女だったらストーカー人生をエンジョイする所だったよ。


「ありがとうね。まぁ大丈夫だったよ。その証拠に四季先生より腕の良いお父様からお墨付きを貰ってる。――まぁ、激しい動きはするんじゃねぇ! と、釘をいつも以上に打たれましたがね」


「だろうな。でもまぁそうかそうか……良かった。なら淳さん達にも……って、寝てるか」


「多分ね。二人共今日は夜職のみって言ってたからあと二時間は寝てると思う」


「ならメッセでも送っとけ。多分四季先生がもう送ってるかも知れないけど、ちゃんと梨から送っとけ。あの2人ならその方が嬉しいだろうし」


「oui」


 スマホを取り出しては淳兄さん達に『今日も元気だ病院食が普通に不味い!』と、吐いている顔文字を添えてメッセージを送信。数秒程待って未読なのを確認して二人がまだ寝ている事を確認。


「――! おや」


 スマホの画面を消そうとしたら、それに待ったを掛けるように今朝振りの人物からの着信が鳴る。通話に出るボタンとスピーカーボタンをタップし、二宮君の机の上にスマホを置いた。


『あ、もしもし。こちら六出梨様のお電話番号でお間違い無いでしょうか?』


「「!」」


 え? なんかお堅過ぎない? 前に特別授業で来た社会人マナー講座の厄介先生みたい。


「あ、大変お待たせいたしました。こちらは確かに○○高等学校2-1配属の六出梨の電話番号で合っています」


 とりあえず私もにわか知識の社会人お電話対応で対抗してみる。そしたらスマホから『あ!』という声が上がった。


『あ! ごめんなさい癖でつい……』


「「癖? 癖なのかぁ?」」


『――癖です。癖なので気にしないで下さい!』

 

「「お、おう……ふっ」」


 難儀な癖だなと私と二宮棗は視線を交わし、少し笑ってしまった。


「で、なんだい? お兄さん達の声が聞きたくなったのなら今から会いに行こうか? 丁度こっちは暇を持て余していたとこだから二人揃って会えるぞい?」


「まぁ……うん、そうだな。暇だな」


『! あのっ! ぁ……その……あ…………ぇと…………』


 何かを伝えようとする久遠尾々。しかし第一声とは打って変わって『あの!』の続きは大分弱々しくなっていった。


 で、私――六出梨はふと昨晩の就寝直前の事を思い出す。


「! あらあらまあまぁ、もしかして今日も一緒に寝て欲しいとかかい? 良いよぉ。大歓迎だよぉ。好きなだけいらっしゃい」


『!?』


「あらあらまあまぁ」


 スマホから声にならない悲鳴? が聞こえ、私の隣にいた二宮棗は私の口癖を口にしてほんのりと驚く。


 とまぁ? ここまでしておけば良いだろう。


「だからまぁ、これぐらいのお願い事なら私は大歓迎だからさ? お願いしたい事があるなら言ってごらん? もしも申し訳ないって気持ちに押しつぶされそうなら今日も皿洗いとか、お風呂掃除をお願いしようかな?」


『! はい、ありがとうございます! それじゃあ――ちょっと、急ぎで連れて行って欲しい所があります』


「ん。良いよ。何処だい?」


 そう言って私は久遠尾々から話を伺い、四季先生に連絡をして車を手配してもらう。


 目的地はそう――久遠尾々のかつての幼馴染が通う小学校であり、私と二宮棗の母校であった。

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