第6話

「――ゴホッ」


 血の味がほのかに舌の上に広がる。息苦しさも感じる。酸欠で頭がクラクラする。


「ヒヒっ」


 それもそのはずだ。なんせ四季先生に預けていた薬袋を何者かに盗まれたのだから。そしてその盗人は目の前にいる。静かな怒りをもって私の薬袋を今にも握り潰さんとしている――面白いですね? 霧島海先輩。


「そんなに面白いのか? 何が面白いんだ? 南帆を泣かせた事か? それとも南帆の泣き顔か? それとも嘘まみれの思い出か?」


「さぁ! どうでしょう? 全部違うかもしれませんし、あっているかもしれない。それか不良漫画でしか見た事がないこの多勢に無勢な状況かもしれない」


 と、周囲を見回して十数名のいかついお兄さん方を見る。残念ながらリーゼントヘアーなんて気合の入った大爆笑要員はいなかった。


「! あらあらまあまぁ……私を呼んだ当人がいませんねぇ」


 改めて周囲を見回せても私をここに呼んだ奈々氏景隆の姿が見えない。


「あいつはいない。この後の事に首を突っ込ませたくない。妹には……南帆には景隆が必要だから」


「ほぉ! つまりは結構ヤバい事をされると?」


「あぁ。下手すればテメェは死ぬ」


 霧島海先輩は私の薬袋を足元に落としそれを踏みつける。――最後には無残な姿になった薬袋にジッポライターのオイル垂らし、火を点けたジッポライターを無残な薬袋に落として燃やした。


「こうすればテメェは最悪死ぬんだろう?」


「あらあらまあまぁ……良い。今まで何度か殺害予告を受けたけど、ここまでされたのも心に訴えかけられたのは初めてだぁ」


 何度かあった中身のないただの言葉でしかなかった殺害予告を思い出す。相手を委縮、恐喝するための常套句を向けられるたびに嫌悪感を感じていたが今は違う。しかも感情任せの殺意ではなくちゃんと理性と感情が合いまった上に行動もしている――最高かな。


「――なぁ質問して良いか?」


「はいどうぞ! 喜んでお答えします」


「今、この状況が楽しいのか?」


「はい!」


「今までの人生だと?」


「4番目に楽しいですな!」


「南帆達との思い出の中だとどれくらい?」


「一番!」


「あいつらとの思い出で一番楽しかった思い出はなんだ?」


「それはもう乱交写真の件ですよ! 電話であれだけワクワクしたのは初めてでしたからね!!」


「――」


「――」


「――――」


「――――」


「なぁ」


「はい」


「梨にとって南帆、姫島、景隆はどんな存在なんだ?」


「――? ……? ――……? ――…………気づいたらーなんか居ましたねぇ」


 と、このなんて事のないつまらないあやふやな返答をする。しかしそんな返答を導き出すのに数秒だったような数十秒だったような数分だったような時が止まったようなそんな珍しい体感を味わった。


 ――そのせいで霧島先輩の不意打ちに反応しきれなかった。


「ッ――!?」


 回し蹴りが腕に直撃して私の身体は横へと吹き飛ばされる。まったくの不意打ちでなかったので転倒はなんとか防げたものの膝から崩れ落ちた。


「――……あっは! グッときましたね物理的にッ! 心臓にィッ!?」


 一回一回の呼吸が重く鈍い痛みが呼吸と共に広がっていく。


「そうかよッ」


「あ”」


 と、今度は頭に回し蹴りが炸裂。折角転倒は避けれたのに努力虚しく床に転ばされた。


「! 先輩流石にそれはッ――!?」


 と、周囲からそんな慌てた声が聞こえたと思えば、私の頭部に人生で二番目の強い衝撃が走る。


「うぇ――? あぇ? ……ぁア?」


 涼しい――でも温ったかい。軽い――何かが抜け続けている。そして――キラキラ輝く視界とこのフワッとした感覚が懐かしいと思うのだった――。



「これで7回」


 と、俺――霧島海は小さく嘆く。

 両親仕事親友嫉妬幼馴染すれ違い恋人自己犠牲恩師病気先生ストレス――そして幸せになってほしいと思っていた妹の人生は壊れた。俺という人間は呪われているらしく、俺が大切だと思っている奴らは俺が知らないうちに勝手に壊れていきやがる。気づかせて貰えるのは全てが手遅れになってからだった。


 ――本当になんだよ。なんだってんだっ? 俺が一体なにをしたってんだよッ!? 


「き、霧島先輩? マジで殺しちまったんですか」


 と、何処に向けて良いのかわからない怒りに一人震えていると後輩が怯えながら俺に聞いてくる。他の後輩共もビビった様子で俺と俺の足元に転がっている六出梨を見ていた。


 まぁ気持ちはわかる。なにせ目の前で殺人か殺人未遂を犯した犯罪者だ生まれたんだから。俺自身、自暴自棄に陥っていたし殺してもいい――と、自暴自棄特有のやんわりとした気持ちで六出梨の頭に踵を落としをした。気持ち的にはやんわりとだったが、踵から伝わる痛みはこれまで以上で尋常じゃない。まるで抱いた気持ち以上の殺意を孕んでいたと訴えているようだった。


「なぁにビビってんだよ後輩共!」


 と、唯一ビビらず、逆に誇らしげにする同学の奴らの一人が至極真っ当な感性を持った後輩共を一喝し歩み寄ってくる。


「さっすが数多の格闘家崩れを病院送りにした霧島さんだ。これで三門会に持っていける土産話が増えたぜッ! ――ッ」


「――何がだ?」


 歩み寄ってきた同学の奴の胸倉を掴んで引き寄せてそう質問をする。――が、頭が悪くて楽な方に逃げてきた奴の頭じゃ俺がなぜこんな質問をしたのか理解できない様子だった。


「一般人に……しかも身体が弱ぇ奴を一方的に暴力を振ったんだぞ? 命に係わる場所に暴力を振るって血を流させた」


 血の付いた踵でわざとらしく床を蹴る。胸倉を掴んだ同学の奴は俺の表情と床を蹴った音にビビったのか不細工な福笑いみてぇな顔つきになった。


「そ、それはほら! 『俺はどんな相手でも容赦はしねぇ!』って事でしょう? ヤクザになる前にそこん所を行動で証明しとこうとしたんでしょうッ! ……! 安条の兄貴だって非情になれる奴が極道の道に片足を突っ込めるって言ってたからそれを実行したんでしょうッ!?」


「オイッ!!」


「ヒッ」


 ふざけた事しか抜かさない口を黙らせる。


「俺がやったのは制裁だ。テメェが言ってる戯言とは訳が違う。テメェのは道理やら仁義やらを無視したただの暴力で俺がやったのは俺が大事だと思っている奴らを裏切って泣かせた馬鹿野郎に少しでも泣かせた相手の辛さを分からせる為のもんだッ!」


 と、南帆の泣き顔が脳裏をチラつかせて胸が張り裂けそうになる。『私の11年、全部無駄だった。――あぁ、こんな形で私の初恋を終わらせたくなかった』と、泣いて言った南帆を俺は一生忘れられないし、忘れない。

 

 俺は掴んでいた同学を押し退けて足元に倒れている六出梨を見下した。


「――……ぁ」


 頭から血を流しピクリとも、呼吸すら怪しい状態で横たわる六出梨を見続けていると右手の平に痛みが走る。なんだと思って見てみると無意識に手が握られていて爪が食い込んだ手の平から血が滲み出ていた。


「ハッ」


 爪で皮膚を破くほど強く握られた拳に思わず冷笑する。一目見てから六出梨は何処かおかしい危険な奴だと認識していながらも南帆の笑顔と幸せを願い目を逸らした結果がこれだ。


「見る目がねぇ……今も昔もっ」


 どうしていつもこうなるっ? どうして俺が大切だと思った奴は俺が知らねぇうちに壊れちまうんだ? どうして俺は人が変わる決定的な場面に立ち会えない? 見る事すらできないんだよッ!?


「糞がッ」


 家族、親友、幼馴染、恋人、恩師、先生、妹――俺が知らねぇ所で壊れてった奴らが頭を過って更に握る拳に力が入る。


「毎度毎度手遅れになってからだ……」


 俺は血が滴る拳をそのままにして六出梨に背を向けて歩き出す。


「先輩? どこに行かれるんですか? 救急車は呼ばないんですか?」


「あぁ呼ばねぇよ。――俺は呼ばねぇ。それは南帆達が決める事だ」


 俺はスマホを取り出し今日は帰るなと伝えておいた南帆達に連絡を入れてここへ来るように伝える。そして後輩2人に廊下で南帆が来るまでの見張りと、用意しておいた南帆と景隆宛の手紙を渡たす。

 

 俺ができるのはここまでだ。――いつもここまでだ。南帆、心の傷が癒えるまではあの男に縋っていい。――でもいずれ立ち直ってくれ。そしてどうか幸せになってくれ。


 ――――と、届くかわからない願いを抱いた瞬間だった。


「ア”――?」


 視界が突然点滅したかと思えば右側の視界が圧し潰れて消失し、消失した右側から直接脳に言葉が響く――。


「あらあらまあまぁ駄目じゃないですかァ~? 人間、頭をカチ割った程度じゃあ死にきれませんよぉ」


「あ……あっ? ぁあっ――あっあっ――!?」


 吸った息が吐けない。吸った息を吐けないまま俺はゆっくりと振り返る。――振り返るとそこには赤みがかった前髪を無造作に後ろに流した六出梨がにんまりと笑っていて、そのにんまりと笑っていた口には俺の身体の一部であった物が収まっていた。



 ――。


 ――――。


 ――――――。


『――緊急ニュースです。本日未明、〇〇高等学校で数十人程度の学生同士による乱闘騒動が発生。重軽症者多数。そのうちの2名は大量出血により意識がなく病院へ緊急搬送されました』

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