第32話
「クソ零……」
直斗が教室へ向かいながら呟いた。ああ言って英研を出てきたが莉央を追いかけるつもりは毛頭なかった。
零の気持ちも解らなくはない。莉央と別れた時その事について責めるような言い方をされた。それは恐らく直斗が選んだ自分が男だということへの罪悪感……。
───俺が勝手に好きになったんだから関係ねえっつうの……。
直斗は教室に戻ると自分の席で腕を枕にふて寝し始める。
───明日で実習終わるってのに……
「ねえ!紡木先生から返事きたって!?」
『あの手紙』を書いた女子生徒の席で数人が集まり零への手紙を話題にしだした。
───は!?……あいつ……返事まで書いたの……!?
直斗の機嫌の悪そうな目が女子生徒数人に向けられる。
「先生なんだって!?遊び行ってくれるって!?」
「えー………読む?全部英語だけど……」
手紙を渡した当人が机から封筒を取り出すと他の生徒に渡した。
「いいの!?読みたい!読みたい!」
中でも成績の良い生徒が受け取り手紙を開くと読み出した。
「なんて書いてあるの!?」
「ちょっと待ってよ!今読んでるから……」
直斗も内容が気になり耳をそばだてる…。
「……………何これ!?」
しばらくすると読んでいた生徒が素っ頓狂な声を上げた。
「なになに!?」
「あんた……ラブレター直されてんじゃん!」
──ラブレターを……直す………………?
直斗が思わず顔を上げそちらを見つめる。
「ウケる!」
「なになに!?どういう事!?」
「文法が間違ってるって!ちょっとぉ!マジウケんだけど!!」
本人は机に肘をつき不貞腐れている。
「内容については何か書かれてないの!?」
「ちょっと待って……あ、最後に……」
読んでいた生徒が口の中で英語を読み砕いてから
「……連絡先は……大切な人がいるから教えられないって……」
その言葉にその場の数人が「キャー」と黄色い声をあげて騒ぎ出す。
───大切な……人………………。
直斗の顔が少し赤くなり本人も気付かないうちに微かに笑顔になっている。
───……あのバカ…………
ついニヤつく顔に気付き戻してはニヤつく…。そんなことを繰り返してる内に予鈴が鳴り康平が戻ってきた。
「あれ?機嫌いいじゃん。お前のことだから絶対ブスッたれてると思ったのに」
席に着く前に直斗に声を掛けに立ち寄ちより
「まあ…心配無いとは思うけど、零ちゃんと仲直りしろよな」
それだけ言うと自分の席に向かった。
───そう言えば…俺……腹立てて英研出てきたんだっけ……。後で……ちゃんと謝ろ。
直斗はニヤつきながら珍しく授業前から次の教科の教科書を出し支度を始めた。
「ねえ、アイス食べて帰らない?」
「いいね!そうしよう!」
「じゃあさ、ちょっと遠いけど新しく出来たお店行かない?」
授業が終わり数人で昇降口へ向かいながらこの後の予定を立てている。
「莉央も行くでしょ?」
その中のひとりが浮かない顔をしている莉央に笑顔を向けた。親友の愛だ。愛は直斗と別れてからずっと莉央を気に掛けている。
「そうだね…。私も行こうかな」
莉央が笑顔を返すために愛の方を向くと、ふと壁に貼ってある校内新聞が目に入った。昼休みに会った紡木の写真が載っていて、つい足を止め新聞に見入る。誕生日やら趣味やらちょっとした紹介文が写真の横に書かれている。
「なに⁉︎突然止まって……」
愛も立ち止まり莉央の視線をたどると『ああ……』と言い一緒に新聞を見始めた。
「紡木先生来た時に新聞部が作ったやつだよね。もう明日で終わっちゃうなんて残念……。イケメンもだけど授業も解りやすくて良かったって…3組の子が言ってたよ」
隣で大袈裟にため息をつく愛をよそに莉央は新聞を食い入る様に見ている。
———紡木…………『零』…………
「………莉央?」
「………ごめん……やっぱりやめとく……用事思い出しっちゃて……。先帰ってて」
莉央はそう告げるなり今来た道を戻って行った。英研で感じた違和感を今なら理解できる……。
———『零』の正体が…紡木先生なら…………
まさかそんな訳ないと頭で考える。
───直斗は無類の女好きで…紡木先生は男で……
なのにどうしても否定しきれない。
莉央は英研の前で立ち止まり少しの間考えてからノックをしてドアを開けた。
案の定、水野と零が振り返った。そして…また零が机に視線を落とす…。
「どうした?森下。遠藤先生なら職員室だぞ」
水野が優しく笑いかけ、莉央の英語の担任の名前を出した。
「いえ……その遠藤先生が…水野先生呼んできて欲しいって……」
「遠藤先生が?……なんだろうな…。とりあえず職員室行ってみるか……。ありがとうな森下」
そう言うと水野が英研を出て行き、莉央と零だけが残され、痛い程の沈黙が訪れる。静かな部屋に莉央の呼吸する音が響き
「『レイ』って……紡木先生のことですか?」
零を真っ直ぐ見つめそれを声に変えた。
零は机を見つめたまま動けなくなり鼓動だけが早くなっていく。
「……そうなんですか?」
莉央の感情の無い声が部屋に響いて聞こえる。直斗の事を考えても…あと一日で終わる実習の事を考えても…否定するのが正解だと頭では解っているのに、否定したくなかった。直斗が注いでくれる愛情を全て否定してしまう気がした。
「……そうなんですね」
零が顔を歪め
「……ごめんなさい…………」
絞り出す様に答えた…。
莉央が零の前まで行くと零の胸元を掴み
「先生男ですよね?……謝らなくていいから直斗と別れて下さい」
莉央の冷静な瞳が零を捉える。
「何のつもりか知らないけど……直斗を誑かすのやめてください」
「———誑かしてなんか………」
「先生はただの遊びかもしれないけど、私は本気で……」
莉央の言葉が止まり涙を見せまいと唇を噛んだ。
「……………ごめんなさい………」
「だから!謝らなくていいから!………」
「俺も本気なんだ……。だから……直斗くんとは離れられない」
零の告白に莉央の顔が切なげに歪む……
「直斗くんは誰にも渡せない」
零が莉央の瞳を見つめはっきりと告げた。これが正解なのかは解らない。直斗の将来のことを思えば自分が身を引く方が良いと判りきっている。それでも……直斗がいなくなるなんて考えることすら出来なくなっていた。
莉央が零を睨みつけ右手を振り上げるのと同時に英研のドアが開いた。
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