第31話

『直斗と康平が英研に入り浸っている』という噂は莉央の耳にも届いていた。


───行くの……嫌だな…………。


莉央はクラス全員分の課題を持ち英研に向かっていた。英語の担当の教師から届ける様に言われていたのだ。

直斗に別れ話をされた日から数回廊下ですれ違っていたが、お互い視線を合わせることは無かった。それでも、もし直斗が戻りたいと言えばビンタの2、3発はするかもしれないが、それが2番目であろうが3番目であろうが喜んで戻った。


「零ちゃんが決めることだろ!」


英研の前に立ち、ドアに手を掛けると廊下まで康平の声が聞こえてきた。康平がいるということは恐らく直斗もいるだろう。

莉央はドアに手を掛けたままため息をついた。

『直斗の新しい彼女』の話は勿論莉央にも届いていた。


───今……康平…『レイちゃん』て言った……


莉央は再びため息をつくと英研のドアを開けた。逃げるのは性にあわない。


「うるせぇ!零にちょっかい出すな!」


ドアを開けた瞬間直斗の声が莉央の耳に届いた。

直斗と康平の視線が一斉に向けられる。そしてもう一人……教育実習に来ている学生の視線も向けられ、一番無難なその人の視線を莉央は捉えた。学生と言っても一応『先生』と呼ばれていたし、莉央のクラスは担当していない為面識もほとんど無かった。

それなのに……その人は驚いた様に莉央を見つめ視線が合うと慌てた様に逸らした……。


───何あれ……感じ悪……


「失礼します」


莉央が軽く頭を下げて入っていき、担当の教師の机に向かう。すぐそばに直斗が立っていて鼓動が早くなっていく。

莉央が来たことで部屋が沈黙に包まれた。しかし莉央は直ぐに違和感に気付いた。


──なんで……たかだか3週間来てるだけの教育実習生と新しい彼女の話してるの…?


しかもその実習生と直斗の距離が……触れそうな程近い……。

直斗はよく教師に嫌われていると言っていたが、直斗自身も『教師』を嫌っていた。それに短時間で人と打ち解ける程、社交的な性格でも無い……。


「……あー……莉央…元気?」


康平が直斗と零にチラッと視線を向けてから莉央に声を掛けた。


「元気だよ。康平も…相変わらず元気そうだね」


莉央が目当ての机の前まで来ると康平に笑顔を向けた。何となく……自分から目を逸らした実習生の方へ目をやる。


───紡木先生……だっけ……。


すると…直斗が莉央とその実習生の間に入り視線を遮った。驚いて直斗を見上げるが顔は相変わらず康平の方を見ている。


───なに……?どういうこと………


莉央の目にはわざわざ直斗がそうした様に見えた。まるで……莉央の視線から実習生守ろうとしているかの様に。


「……なんだよ…」


ずっと見つめる莉央に直斗が視線を向ける。以前とは全然違う冷たい目が莉央を見つめる。


「───え……」


思わず莉央がその冷たい瞳に怯んだ。


「用が済んだんならさっさと出てけよ」


直斗から初めて投げかけられる冷たい眼差しと言葉に涙が込み上げそうになった。


「──直斗くん!!」


直斗の冷たい言葉に思わず零が声を上げた。


「───言われなくても…出てくわよ!」


莉央は涙を見せまいと俯きそう言うと、直斗目掛けてパンチを繰り出し、見事にそれが腹を捉えた。

直斗が「─うっ……」と、声にならない声をあげ、腹を押さえ込むのと同時に莉央が踵を返し部屋を出ていく。誰にも涙を見られたくなかった。


「……相変わらず怖ぇ…………」


康平が激しい音と共に閉じた扉を見ながらボソッと呟いた。


「───直斗くん!大丈夫…!?」


今繰り広げられた光景に呆然としていた零が我に返り直斗に歩み寄ると心配そうに覗き込んだ……。




「お前ってさ……Mっ気が強えんじゃねぇの?」


まだ痛がっている直斗に向かって康平が呆れたように言った。


「はぁ!?なんでそうなんだよ!?」


直斗が莉央に殴られた腹いせも兼ねているのではないかと思う程の勢いで康平に噛みつく。


「だって……怒ると怖い子好きじゃん」


言いながら零に視線を向ける。


「───え!?…………」


まさか自分がそこに含まれているのが信じられないとでも言いたげに零が眉間にしわを寄せた。


「アホか……」


直斗は呆れ顔で莉央に殴られた腹をさすっっている。


「けど……あんな言い方しなくても良かったんじゃないのかな…」


零が窘める様に言うと


「あんな言い方ってなんだよ…」


直斗が面白くなさそうに零に視線だけを向けた。


「あんな…冷たい言い方しなくても良かったでしょ……。って言うか…あんな事、言わなくても……」


零の言葉に直斗の視線が鋭くなり、零をバカにするように鼻で笑った。


「じゃあ、莉央に優しくすれば良かった?そうすればあんたはお気に召した?」


「……そう言う訳じゃ……」


零が思わず目を逸らした。


「俺はあの時最善の事をしたと思ってるよ。俺が優しくしたいのも、守りたいのも莉央じゃない」


「でもっ……」


零がほんの一瞬直斗を見て再び視線をずらし


「好きな人に……冷たくされるのは……凄く辛いと思う……」


独り言の様に呟いた。


──さっき直斗が『出てけ』と言った時…森下さん……泣きそうな顔してた……。俺だって……


「…………あっそ……」


直斗が呆れた様に立ち上がりドアへ向かった。


「直斗くん!?」


零が慌てて声を掛けると


「莉央に優しくしてくりゃいいんだろ?そしたらあんたの気が済むんだろ?」


振り向き零をバカにしたように笑うと直斗は部屋を出ていった。


「……………………」


黙って俯く零に康平がため息をつき


「今のは零ちゃん悪いよ。俺はアイツが言ってる事のが正しいと思うよ?」


顔を覗き込む。


「莉央にだって優しくして変に期待させる方が酷じゃねぇ?それに……零ちゃん莉央にビビってたでしょ?入ってきた時さ。直斗、それもちゃんと気付いてたと思うよ?」


───確かに俺は……森下さんが入ってきた時……申し訳なくて顔を見られなかった……


「あいつは自分勝手だし短気だけど、本当優しいし……自分のやるべき事はちゃんと考えてると思うよ…」


零が康平を見つめた。


───俺は…何も考えず、ただ昔の自分と森下さんを重ねていたに過ぎない……


今にも泣きそうな零に康平は優しく微笑むと


「後でちゃんと謝んな?」


そう言って予鈴がなるまでの間零のそばに座っていた。







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