第16話
「混んでんな……」
猫用のキャリーバッグを持ち直斗が広い待合室を見回す。
色んな種類の猫や犬が飼い主と共に順番が来るのを待っている。
受付を済ませた紡木が戻ってくると
「2時間くらい待つって……」
直斗と同じように見回し
「……車で待ってようか……?」
座る場所も無い待合室に紡木が苦笑いした。
「動物病院て意外と混んでんだな……」
車に戻ると、直斗がキャリーバッグから子猫を出してやり膝の上に乗せて首を撫でてやる。
「口コミで評判良かったから…。けどこんなに混んでると思わなかった。病院が混むのは人間だけじゃないんだね」
紡木が直斗と猫を見ながら笑った。
──そう言えば……ラーメン屋行った時、身体大丈夫なのかって言われてた……
直斗は今の言葉が妙に引っ掛かり紡木の顔を見つめた。
「ん?」
それに気付いて微笑む紡木に
「あんた……どっか悪いの?」
直斗が率直に聞いた。
「───え……?」
「前にラーメン屋で、身体心配されてたから」
真っ直ぐ見つめる直斗の瞳に一瞬戸惑って
「前にね…。今は全然元気だよ」
そう言って微笑んだ。
───答えになってる様でなってないけど……。これはそれ以上聞くなってことだよな……。
そう考えて「へえ……」とだけ答えた。
「藤井くんは……森下さんとは長いの?」
突然の質問に
「莉央?」
意味が分からず聞き返した。
「水野先生が森下さんはすごくいい子だって話してたよ」
──ああ……。莉央と付き合って長いのかってことか……。
「莉央とは……高校入ってすぐ付き合い出したから二年ちょっとかな」
直斗が肩を竦めた。
「藤井くんから告白したの?」
「え?……あー……まぁね……。あいつ目立ってたから……」
「藤井くんだって目立つでしょ」
「……悪い意味でもね。俺、昔から『先生』って職種の人に好かれないから」
直斗が笑った。
「水野先生はすごく可愛がってる様に見えるけど?」
「あいつはね……。良くしてもらってるなって思うよ。ウザイけど……」
直斗の言葉に紡木が笑った。
「俺も藤井くん良い子だと思うよ。まあ、まだ『先生』じゃないけどね」
紡木の何気無い一言ににドキッとした。
──『良い子』ね…………
そう言われた事が妙に嬉しくて、頬が少し熱くなるのが分かる。
「あんたは…………どんな学生だったの?」
「俺?」
「そう。高校ん時とか……その前…とかさ」
自分でも何でそんな事を聞いているのか不思議に思ったが、気になって素直に口から出ていた。
「普通だよ。普通に勉強して…遊んで……。ただ今より大分……短気だったかも」
そう言って笑った。
「そうなの?」
「父親と折り合いが悪くてね、よく喧嘩して家飛び出してた」
「マジかよ……。そんな風に見えないんだけど……」
「まだ親の有難みも分かってなかったし…、俺の姉がよく出来た人でね。出来の悪い俺はあんまり好かれてなかったから」
「先生になれるのに出来が悪いの!?」
直斗が驚いて声を上げると紡木は「ははは……」と笑って
「うちは両親とも教師でね……。あんまり出来が悪くて高校の時家庭教師をつけられたんだ……。大学くらいは行けって……」
───あ……それで……
「それで……まぁ……色々あって教師になろうって思ったって感じかな……」
「へぇ……。なんか……意外だな。もっとこう……学生の時から優等生なんだと思ってた……」
「そうだったら良かったんだけどね……」
そう言って笑った。
「あんたってさ、いつから…………」
直斗が思わず口をついて出そうになって止めた……。
自分が酷く無神経で失礼なことを言おうとしているか気付いたからだ。
「……いつから……同性が好きだって気付いたか?」
紡木が直斗の聞きたかった言葉を口にした。
「──!?……あ……いや…………」
思わず口篭り、目を逸らした。
「あんな風に言われれば気になるよね」
紡木の声は相変わらず優しく、直斗の聞こうとした不躾な質問にも気分を悪くした様子はなかった。
「中学くらいになると、色々意識し始めるじゃない?……その頃から女の子に『好き』だって言われる事に違和感があってね…」
紡木は今までの学生時代の話をするのと同じように話し出した。
「嬉しいんだけど…恋愛感情だと思うと少し……違うなって言うか……それでその頃初めて好きな人が出来たのが、仲の良い友達だった。もちろん同性だし片思いで終わったけど……自分の中で凄く自然に納得できたんだ。『自分は同性にしか恋愛感情が持てないんだな』って…」
直斗が顔を上げると、紡木が優しく笑っている……。
「…………付き合ってたヤツは……いるんだろ……?」
直斗の心臓が激しく動き始めた。
自分には関係ない……と思いながら紡木のことを『知りたい』と思う衝動に勝てない……。
「……………まぁ……一人だけね……」
少しの沈黙の後、紡木が困った様に笑って答え、これ以上聞いてはいけないと直斗は少し後悔しながら
───じゃあ……俺が……二人目なんだ……。
と…安堵した自分に気付いた。
「───!?何が!?違うだろ!」
思うより先に口からついて出る。
「え!?何!?」
直斗の突然の言葉に紡木が驚いて声を上げた。
「え!?」
「……え……?」
「あ……いや、何でもない……」
直斗が顔を真っ赤にして呟いた。
心臓の音が紡木にまで聞こえるのではないかと心配になるほど激しくなっている。
───何が……違うんだろう…………
紡木が真っ赤になっている直斗を見つめる。
───やっぱり……誤魔化して、答えるべきじゃなかったのかな……藤井くんは…生徒な訳だし…………。
昨夜の出来事が頭をかすめる……。
───あんな事があった後だし…妙にリアルになっちゃったのかな……。
紡木は答えてしまった事に後悔して直斗に気付かれない様に小さくため息をついた。
「疲れたぁぁぁ!」
紡木の部屋に入るなり直斗がソファーに倒れ込んだ。
「俺、病院とかマジ嫌いだわ」
紡木が笑いながら猫をキャリーから出してやり水と餌を与えている。
「お疲れ様」
「もう4時になるじゃん。もっと効率良く出来ないんかなぁ!?」
「まあ…それはそう思った」
紡木は子猫の頭を撫でながら
「けど…とりあえずは怪我も病気も無くて良かった……。後は血液検査の結果だけだね」
微笑んでいる。
直斗はソファーに寝転びながらその様子を見ていた。
───あいつ……本当に優しく笑うな……
「何か飲む?」
見つめていた笑顔が急に自分へ向けられて、直斗の心臓が『ドクンッ』と跳ねた。
みるみる顔が赤くなる……。
「藤井くん?」
「え!?」
「……何か…飲む?」
「あ……じゃあ……コーヒー…………」
───ヤバい……何がヤバいか解んないけど……相当ヤバい………………
直斗がキッチンへ向かう紡木の背中を見つめる。
さっき凄い勢いで跳ねた心臓がまだ暴れている……。今まで、ただの一度だってこんな経験をしたことが無かった。
ただ……『触れたい』…………
紡木から目が離せない……。
───なんで……こんな事思うんだよ……あいつは……男だぞ…………
頭では理解しているのに、心がついていかない…………。
キッチンでお湯を湧くのを待っている紡木の足元に子猫が身体を擦りつけ、それを少し躊躇いながら微笑む紡木が優しく撫でる……。
嬉しそうな子猫と──
───凄く優しく笑っている紡木───
直斗はずっとその様子を見つめていた。
───俺………あいつのこと─────
「ブラックでよかった?砂糖とミルク持ってくる?」
紡木が相変わらずソファーに寝転がって自分を見つめる直斗の前にマグカップを置いた。
「…………起こしてよ」
直斗が立っている紡木に手を差し出した。
「仕方ないなぁ」
笑いながら直斗の手を取ると、勢いよく直斗がその手を引いた───。
その勢いで紡木がバランスを崩して直斗の上に倒れ込み直斗は紡木の身体をすかさず抱きしめた。
「ごめんっ……」
謝まる紡木の口を直斗が塞ぐ───。
今回は自分で何をしているか解っていた。
紡木にキスをしたくてしている自分を──
素早く紡木の舌を見つけ出し絡める…
抵抗出来ない程激しく……。
「…………んっ…………」
紡木の喉の奥から声が漏れ、直斗は自分が高揚するのが分かった。
───離したくない………………。
「───藤井くん!」
紡木が何とか直斗の唇を逃れ窘める様に名前を呼んだ。
「……………なに……?」
「なにって……離してほしいんだけど……」
紡木が顔を赤くして、自分を見つめる直斗から目を逸らした。
「無理」
「──無理って……」
「俺は、あんたを離したくないから」
「…………何……言って……」
「俺の事嫌い?」
「嫌いって……そういう問題じゃなくて……」
「嫌いなの?俺に抱かれてるのヤダ?」
直斗の目が真っ直ぐに紡木を捉える。
「……嫌じゃ……ない……けど……」
直斗がフッと笑うと
「分かった。じゃあ離すよ」
そう言って紡木を抱きしめる手を緩め力を抜いた。
紡木が真っ赤になって軽くため息をつき起き上がろうとした瞬間────
再び直斗が身体を抱きしめ紡木の身体を自分の下に組み敷いた。
「俺の勝ち」
嬉しそうにニッと笑い再び紡木に口付ける。
しかし……紡木は固く口を閉じ直斗の侵入を拒んだ。
「…………なんでだよ……」
直斗が不貞腐れた様に紡木を見つめる。
「とりあえず……起き上がろう……」
紡木が直斗にも分かるように大きなため息をついた……。
「嫌じゃないって言ったくせに……」
直斗が紡木を睨みながら不貞腐れ文句を言った。そして…同じことが簡単に起こらない様に二人の間には机が挟まれている。
紡木は困った様に再びため息をつくと
「……確かにそう言ったけど……なんで…突然…………」
「キスしたいって思ったから」
「………………俺が……同性が好きだって言ったから……面白がってるの?」
「まさか!!———俺そんなことでキスしねぇし!」
「じゃあ、なんで…………」
紡木が数回目のため息をついた。
───からかわれてるんだろうか……。
「俺……多分……あんたのこと好きになったみたい」
「は!?」
「なんか……好きになってるっぽい。俺も正直びっくりしたけど……まあ、好きになっちゃったもんは仕方ないじゃん?だって好きなんだから」
───仕方ないじゃん?って……
「あんたから目が離せないし……昨日からずっとあんたのことばっか考えてるし……。今も、あんたに触れたいって…キスしたいって思ったから、した」
頬を少し染めながら真っ直ぐ自分を見つめる直斗の瞳が、それが真実であることを告げる。
───キスしたいって思ったからしたって……そんなこと……急に言われても……
紡木の顔が再び赤く染まり始める。
「……迷惑?」
直斗が急に自信なさげに紡木の顔を覗き込んだ。
「迷惑なら…………諦めるけど……」
───これは…もちろん『迷惑だから』って答えるのが正解だ…………。受け入れたところで……もし……また…………
「いや」
「え!?」
「……ごめん……嘘言った……」
「……嘘……?」
──俺を……好きだって言ったこと……?
「あんたが迷惑だって言っても……諦めらんねぇわ」
真っ赤な顔で……耳まで赤くして……
直斗は真っ直ぐに紡木を見つめた。
紡木の鼓動が早くなって、思わず直斗から視線を逸らした。
───本気……なのかな…でも……何で俺……?
「……藤井くんてさ……誰にでもそういう事言うの……?」
「え……?」
「例えば……非常階段でキスしてた娘とか……」
────あ………………
「最初に送ってった時も……降りたの家の近くじゃなかったよね……」
────ヤバっ………………
「あれは…………けどっ…俺、やらせてとは言うけど好きだなんて簡単に言わねぇよ!」
直斗の言葉に紡木の顔が一層赤くなった。
───やらせて……って…………
「それはっ……出来たらラッキーくらいな感じで……好きだからとかじゃなくて」
直斗が必死で言い訳しているのを紡木がチラッと横目で見る。
────素直って言うか……なんて言うか……
「けど……あんたが嫌なら………もう言わない。それで、あんたが少しでも……俺を好きになってくれるなら……」
視線を逸らしていても、直斗が自分を真剣に見つめているのが分かる……。
───鼓動が早くなりすぎて……胸が苦しい……。
「だから……ちゃんと考えてよ。俺のこと……」
直斗がひざで立ち上がり机を挟んだまま紡木の顔を自分へ向かせると再びキスをした。
逃げようと思えば簡単に逃げられた…。
身体を少し後ろに反らせればいいだけだ……。
けど────逃げられない…………。
触れるだけのキスが徐々に熱を帯び……。
やがて静かな部屋に舌の絡まる音が響いた……。
その時、二人きりの部屋に直斗のスマホが着信を知らせた。しかし全く気にせず続けようとする直斗の肩を紡木が押して離した。
「───藤井くん!電話!」
「いいよ……。気にしなくて……」
「いや、ダメでしょ!ちゃんと出なきゃ…」
紡木がこれ程赤くなれるのか不思議な程顔を赤くして睨みつけた。
直斗は不満そうな顔で「チッ」と舌打ちしてから電話を取りだした。
「……なに?」
───そんな出方ある……!?……
明らかに不機嫌になっている……。
『お前いつ帰ってくんの!?ノブくんとこ行くんだろ!?』
「……ああ……分かってるよ……」
康平が帰ってこない直斗に痺れを切らし電話をしてきたのだ。
『何でお前がキレてんだよ!今日5時から店開けるってさ、お前連れて来いって言われてんだかんな!』
「行くって…………」
そう言って俯いている紡木に視線を向ける。
───いいとこだったのに…………
『とにかく早く帰ってこいよ』
「あー…………俺、直で向かうわ」
『嘘こけ!またバックれる気だろ』
───バレてる………………
「分かった……。帰るよ…………うっせーな」
そう言うとまた「チッ」と舌打ちをしながら電話を切った。
「ごめん……今日約束あって……。俺帰るわ」
直斗が肩を落とし本当に残念そうに紡木を見つめた。
「今日は別に……動物病院行くだけの予定だったし……謝らなくていいから……」
───考えて……って言われたけど……このままじゃ考える時間すら貰えなさそうだ………………。
「明日も来るよ」
「───え!?」
「……迷惑?」
「いや……迷惑…じゃないけど……」
「じゃあ、来るよ」
そう言って直斗は立ち上がり
「約束通り、絶対ナンパとかしないから」
驚く程真剣な瞳が、急な展開についていけていない紡木を見つめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます