家の裏手には大きなリンゴ畑があった。ネスはシラユキからリンゴを三つ取ってくることを命じられていた。ネスはより赤々としたものを三つ摘み取り、静かに家へと戻った。


 リンゴはみんなで分けられるものだと思っていたが、そのうちの二つと半分はシラユキがぺろりと平らげてしまった。残りの半個はネスに与えられたのだが、小人たちに悪いと思った彼は「いらない」と答えた。すると「そうかい」とシラユキは言い、その半個もまた、大きな口を開けてひと息に食べてしまった。


 小人たちはせっせと働いた。パンを焼き、野菜を切り、シチューを煮込んだ。ほとんどの作業を肩車をしながら行なっていた。彼らはとても器用だった。シラユキが風呂場にいくと、ネスはすかさず席を立ち、小人たちの夕食づくりを手伝った。小人たちは彼らのなかで数秒話し合ったのち、少年にシチューを混ぜる役割を任せてくれた。ネスは喜んでその仕事を請け負った。


 「あら、そんなことしなくていいのに」と風呂場から出てきたシラユキは言った。毛羽立った白いバスローブを羽織っていた。「雑用は全部まかせておけばいいんだよ、そいつらに」


 「いいんです。これくらいはやらなくちゃ」とネスは応じた。するとシラユキはつまらなそうに鼻から息を吐き、代わりに小人たちに向かって毒づいた。


 「なあ、腹が減ったよ。もうできたんじゃないか、あたしの分くらいはさ。早く用意してくれよ」


 小人たちは返事をしなかった。だが、その言葉に従い、木皿を人数分用意し、そこにシチューを盛り付けた。ネスは木皿をひとつずつテーブルに運んでいった。だが、三つ目の皿に手をかけたところで小人のひとりが手を突き出し、それをさえぎった。そのあとで強く首を振る。


 「どうしたの?」とネスは訊いた。


 質問に答えたのはシラユキだった。彼女はぶっきらぼうに言った。「そいつらはとなりの小屋で食べたがるんだよ。寝床もあっちにあるんだ。好きにさせてやりな。あんたはこっちで食べていいんだからさ」


 ネスは小人のほうをふり返った。赤い三角帽を被った小人は力なげに肯いた。彼らがとなりの小屋で食べたがっているとは、ネスにはとても思えなかった。


 だが、ネスがなにかを言う前に彼らは自分たちの分の皿とパンを持って家を後にしてしまった。


 「さ、こっちに座りな。食べよう」言いながらシラユキはスプーンを忙しく動かしはじめていた。ネスは椅子にはついたものの、どうしてもシチューを食べる気にはなれなかった。心がざらつくのを感じ、その初めての感触に戸惑った。


 「僕も彼らと一緒に食べます」と、やがてネスは小さく言った。

 「はあ?」ネスの言ったことが聞こえたのか聞き取れなかったのかはわからないが、シラユキは弾かれるようにそんな声をあげた。

 「僕、彼らと一緒に食べてきます。お話もしたいし」

 言うと、シラユキが言葉を返すのを待たず、ネスはそそくさとテーブルを立った。


 「なんなんだい、いったい」

 シラユキのなかば怒鳴るような声が家に響いた。でもネスはかまわず外に出た。早足で明かりの灯った馬小屋に向かった。






 馬小屋のなかは外見以上に些末なものだった。


 真ん中に背の低い巨大な木製テーブルが配されているだけだ。床にはかなり古くなった干し草がぎっしりと敷き詰められている。小人たちは労働から帰り、ここで眠り、起きて、また次の日の労働へと出かけていくのだろう。


たてつけの悪い引き戸を開くと、なかにいた小人たちの動きが一斉に止まった。ぽかんと口を開けてこちらを見ている。シチューをすくったばかりの手も空中で停止している。一番小さな小人は怯えたような視線をこちらに送っている。


 ネスは言った。

 「僕もここで一緒に食べていい?」

 七人の小人はそれぞれに顔を見合わせ、この不思議な来客にどのような対応をほどこすべきか視線のうちに相談した。やがて、一人の—赤い帽子を被った—小人がネスのほうに歩み寄ってきた。そして、彼の両肩に優しく手を置いた。赤帽の小人はゆっくりと首を振り、シラユキのいる家を指差した。心配そうな表情でネスに伝えようとしていた。「お前はあちらで食べなさい」と。


 ネスはすぐにこの小人たちが、口をきけないことを知った。なので彼らが伝えようとしていることを正確に受け取ろうと、少しだけ身体を前に出した。


 「こっちで食べたらいけないの?」


 赤帽はとても残念だと言いたげに眉間へしわを寄せた。


 「なんで?」

 ネスがそう訊くと、後ろにいた小人たちは慌ただしく立ち上がり、赤帽の周りに集まってきた。皆が色の違う帽子をかぶっている。青、黄色、緑、紫、橙……。そしてそのどの色の帽子もくたくたにくすんでしまっている。


 小人たちは七人総出で軽い寸劇のようなものをネスに見せてくれた。二人と五人の組にわかれ、二人のほうは残りの小人たちに暴力を振るうフリをした。殴られたほうの小人は—彼らにはそんなつもりはないのかもしれないが—実にコミカルに床に飛んでいった。それが数十秒ほど続き、ネスは彼らの言わんとしていることがなんとなくわかってきた。


 「シラユキさんが、君らに暴力をふるうっていうこと?」


 七人はほとんど同時にうなずく。そしてそのままネスのことを指さした。

 「僕もそうなるということ?」

 彼らは苦い顔でそれを認めた。そのあとで、震える目をネスにむかって投げかけた。少年の身を案じ、あわよくば早急にこの場から立ち去ることを勧めているのだ。私たちのような目にあってしまう前に……と。


 だがネスはその意思に従おうとはしなかった。彼は大きく胸を張った。

 「そんなの間違っているよ。きみたちはもっと大切にされるべきだ。愛されるべきだ。それに、僕はその間違いに手を貸すようなまねはしたくない。僕はきみらの味方だよ。だからここで一緒にいる」


 わずかな沈黙があった。ネスの言葉が馬小屋のほのかな灯りのなかにゆっくりと溶けていった。かなり長い時間が経ったように、ネスには感じられた。


 静寂を破ったのはひとりの小人だった。小人のなかでもとりわけ身体が小さく、サイズ違いのぶかぶかのむらさき帽をかぶっている。さきほどまでネスに抱いていた彼の警戒心はすっかりとなくなったようで、しかめつらの代わりにへらへらとした笑みを浮かべ、ネスの両手を握った。そして、肩が痛くなってしまうくらいに上下に大きく振り、歓迎の意を熱心に表現してみせた。


 それを皮切りにして、馬小屋の小人たちはネスのことをやさしく迎えいれた。赤帽の小人だけはまだ不安そうな表情を浮かべてはいたが、それでも少年の来訪自体についてはとても嬉しく思っていた。小人の仲間以外から優しさを向けられたことなど、ほとんどはじめての経験だったからだ。


 ネスと七人の小人は楽しい夜を過ごした。夜が深まるとランプの灯りを消して、それぞれ干し草でできた寝床にもぐっていった。小人たちはネスのために、小屋の裏手から真新しい綿のシャツとズボンを持ってきてくれた。寝床に入ってからもぼそぼそとした交流はつづいた。ネスがしゃべり、小人たちがそれに身振り手振りで応じた。それはネスにとっても久しぶりの、真に心が落ち着けるような時間であった。小人たちに見守られながら、ネスは静かに眠りに入っていった。深い深い、ゆったりとした流れの眠りだった。




 ネスは少しずつ、彼女と彼らの家での生活を知っていった。


 そこには痛ましげな主従関係が広がっていた。シラユキは小人たちを奴隷のようにあつかい、小人たちは不満げな顔こそ見せるものの、律儀にもその要望に従いつづけた。食事の用意や洗濯、掃除、ありとあらゆる家事が小人たちの仕事だった。シラユキがすることと言えば、労働により体の芯まで疲弊した彼らに命令としての指示を飛ばすことだけだった。


 ネスには、実の親子のあいだにそのような階級的なつながりができてしまっている事実をうまく受け入れることができなかった。親子というものはどのような形であれ、お互いな存在を認めあい、助け合い、愛し合うものだと考えていたのだ。だが、シラユキと小人のあいだにはそのようなつながりは見られない。親子というよりは主人と従僕というほうがしっくりくる。


 シラユキはよく暴力を振るった。小人たちは抵抗しなかった。暴力を振るわれることに慣れているのが、傍目でもすぐにわかった。彼らは平手で頬を張られているあいだも、じっと両のこぶしを握りしめ、その屈辱に耐えるだけなのだ。


 ネスはそういうことがあるたび、シラユキに暴力をやめるよう訴えかけた。だが—予想できていた反応ではあったが—彼女はそれに対してまったく取り合おうとしなかった。そしてシラユキは自分を諫めようとしてくるネスをだんだんと鬱陶しく思うようになった。彼が小人の馬小屋に入り浸っていることも彼女には腹立たしく感じられた。それでもときおり、小人たちが労働に出かけていったあいだなどにはネスのもとを訪ねていった。よこしまな考えがあったわけではない。森の中心で老いさらばえた彼女は、やはり心のどこかに寂しさの空白を携えており、それを埋めてくれるものを探しつづけていたのだ。……自分自身の子ども以外のなにかを。


 ネスはなんとかしてシラユキと小人たちの橋渡し役になろうとしていた。彼女と彼らの意思を疎通させ、本来あるべき親子関係に戻そうと奔走した。シラユキの話を聞き、その返答として小人側が抱えている問題をそれとなく述べてみた。小人たちのなかに母親のことを思う気持ちがいくつ残っているか確認しようとしてみた。


 だが、そんなこんなの努力もあまり効力を発揮しなかった。シラユキと七人の小人。彼らの親子関係はもうかなり昔に、ぎっちりと形を定められてしまったのだ。液体セメントは流しこまれ、ぱさぱさに乾燥し、きつく固まっている。




 小人たちはネス対してにとても親切だった。まるで彼が自分たちの子供であるかのように、慈しみをもって接してくれた。ネスはすぐに小人たちが大好きになった。


 小人たちは彼らの背丈ほどもある大きなショベルとツルハシをもって、森のなかへと労働に出かける。なにを掘っているのかはわからないが、おそらくなにか鉱石の類だろうとネスはあたりをつけている。実際、後日シラユキから聞いた話ではまさしくその通りだった。


 「東にずっと行くと古い鉱山があってね。おっと、期待しても無駄だよ。ルビーやエメラルドみたいな宝石なんてひとつだって出やしないんだから。安い鉄鉱石しか掘れないよ、あそこからは。まあ言っていて悲しくなるけどね、この家の収入源はそれなんだ。あいつらが掘って、稼いでくるんだ」


 七人の小人たちは労働から帰ってくるとき、ひどく暗い顔をしている。これからどんな展開が自分たちを待っているのか、それを痛いほどに知っているからだ。


 彼らがドアを開ける。

 大声が飛ぶ。

 「遅いよ! さっさと飯を作りな!」

 そうして彼らは殴られる。蹴られる。追いやられる。




 そんな日々のなか、小人たちの帰りが遅くなった。


 最初の日、シラユキはひどく苛立っていた。彼らが戻らないせいで食事にありつけないからだ。結局その日、小人たちはいつもより一時間ほど遅れて家に戻ってきた。シラユキは激昂した。帰りが遅くなっていたにもかかわらず、採掘できた鉱石の量はいつもより幾分少なかったことも、その怒りに新たな薪をくべた。


 「お前たち、いったいなにをしていたんだい! さっさと飯の用意をしな! どうせどこかでグダグダしていたんだろう! 仕事もろくにしないで、いったいなんなんだい、ふざけるんじゃないよ!」


 シラユキは七人の小人にきっちり二回ずつ張り手を喰らわせた。ネスは身を挺してそれを止めたのだが、まだ幼い彼の体はシラユキの巨体にかるがると吹き飛ばされてしまった。


 「また同じことがあったらお前たち、どうなるかわかってるだろうね? こんなんじゃすまないよ! さあ、わかったらさっさと動きな!」


 小人たちは疲弊し切って重たくなった身体を無理に動かし、いつもどおりの家事にとりかかった。顔にはいつもよりずっと表情がなくなっていた。


 シチューができあがり、ネスは自分の分を馬小屋に運びに行った。だが、彼は小屋のなかに入れてもらえなかった。赤帽の小人が扉の前に立ちふさがったのだ。


 「なに? どうしたの?」

 ネスが訊いても、小人はなにも答えようとしなかった。ただ、有無を言わせぬ厳粛な面持ちで首を振るだけなのだ。


 「なんで入れてくれないの?」

 小人は首を振る。

 「なんでよ!」

 ネスは身体をひねり、強引になかに押し入ろうとした。なかにいる小人たちに助けを乞おうと思った。


 だがその瞬間、ネスは思いきり後ろに突き飛ばされていた。赤帽の小さな手が彼の薄い胸をおもいきり突いたのだ。


 ネスはその場にしりもちをついた。手に持っていた木皿は空中でくるりと返り、ネスの胸元へと落ちた。つい先ほどまでぐつぐつと煮立っていたシチューが彼の胸をじゅわりと濡らす。


 ネスはあまりの熱さに悲鳴にも似た声をあげた。

 「熱い!」


体から剥ぎ取るようにして、シャツを脱ぐ。乾いている部分で胸のあたりを押さえる。その下はすでに真っ赤に腫れあがってきている。


 ネスは睨みつけるようにして、赤帽の小人を見上げた。そこで、はっと息をのんだ。赤帽の小人の目にはたしかな困惑と後悔の色が浮かんでいたのだ。黒くつぶらな瞳がふるふると揺れている。火傷の痛みに身悶えするネスも、その目にはおもわず思考が止まった。なぜだか、怒りを向けることができなかった。


 小人はなにかに踏ん切りをつけるように、ネスの目の前で馬小屋の戸を閉めた。ばたんと大きな音がたち、そのあとは瞬く間に静寂の時間がやってきた。小屋のなかからは物音ひとつ聞こえてこなかった。




つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る