第8話 ニューゲーム①

 入学式当日。朝の新宿は予想以上の人通りで、行き交う人々を避けながら前進するのですら一苦労だった。どうやら新宿に通学する以上、この手のストレスとは縁が切れないらしい。


「おあよー」

 待ち合わせ場所の『新宿の目』でスマホを眺めていると、前方からタケルが欠伸混じりに歩いてきた。若干残った寝ぐせから、急いで家を出た形跡が見られる。

「おはよ。めっちゃ眠そうじゃん」

「ヤバいくらい眠い。春斗はるとは眠くねえの?」

 俺たちは昨晩も遅くまでゲームを遊んでいた。入学式は午前十時からで、駅での集合予定は九時半。イベントの重大さを鑑みると、夜中三時までの夜更かしは際どいラインだ。


「正直、眠い。でも俺は家が近い分、ギリギリまで眠れたから」

「ずりー。俺も学校の近くに住めばよかったわ」

 タケルは家賃の安さを一番に物件を探していたらしく、住まいが新宿から若干離れた場所にあった。

「この辺りで安い所だと、ボロか訳アリ物件しかないだろうけどな」

「そうなんだよなー。東京の家賃は高すぎるぜ」

 入学式を控えた晴れ晴れしい朝だというのに、校舎へ向かう俺たちの会話はなんだか後ろ向きだった。


 校舎には迷うことなく到着した。引っ越し後、道を覚えるために何度か駅と校舎を往復した努力の賜物だ。

 入り口へと続く階段には「入学式」と書かれた立て札があり、周りには同じ新入生と思われる若者や、その保護者らしき人物が散見した。説明会で訪れた時の人気ひとけのなさと比べ、まばらに人の溢れる校舎前はある種の賑わいを感じさせた。


「なんか、俺たち見られてない?」

 タケルの言う通り、入り口を通る際に周りからの視線を感じた。同級生と一緒に入学してくるという生徒は、案外珍しいのかも知れない。


 校舎の中では、説明会でも見た受付の女性が、新入生向けの案内をしていた。

「おはようございます。新入生の方は、あちらの階段から地下のホールまでお願い致します」

 入学式は地下のホールで行うらしい。説明会の時には地下を見ることができなかったため、ホールの中に入るのは今回が初めてだ。


 階段を下りると、コンクリートがむき出しの奥まった空間に出た。右側の壁にはホールへの入り口と思われる二つの大きな扉が開いている。扉の傍には細長いテーブルが設置してあり、職員と思われるスーツ姿の男女が計三人、門番のように立っていた。


「お、水口みずぐちくんと相葉あいばくん。おはよう!」

畠山はたやまさん! おはようございます」

 どうしたものかと棒立ちしていると、扉の中から畠山が現れた。彼は爽やかに祝辞を述べ、手元にあるバインダーを確認し始めた。どうやら、ここでの案内を任されているようだ。

「ええと、君たちは二人とも、真ん中の彼女から教材を受け取ってください」


 指示に従ってテーブルの中心を見ると、茶髪を後ろで一つに結んでいる若い女性が、微笑みながらこちらにピースを向けていた。それを見て、畠山が苦笑する。

一ノ瀬いちのせ先生、あまり新入生を威嚇しないで下さい」

「威嚇じゃないですよ! 元気ハツラツです!」

 先生と呼ばれているということは、彼女もこの学校の教員なのだろう。いきなりピースで元気ハツラツというのは、どういうことなのか分からないが……。


 そんな心中がつい顔に出ていたのかも知れない。段ボールからビニールで梱包された教材を取り出しこちらへ渡す際、一ノ瀬が絡んできた。

「元気ないね、水口くん。入学式なんだからもっと元気に! ほら、ピース!」

「あはは……。ピ、ピース」

 作り笑いとぎこちないピースでその場をやり過ごす。タケルは隣で「ピースだぞ春斗!」「そうだそうだ」などと言って一ノ瀬と笑っている。この二人は、ちょっと面倒なところで波長が合っているのかも知れない。


「あそこから中に入って、あとはテキトーに空いてる席へ座っちゃって大丈夫だから! また後でね」

 教材を渡し終えた一ノ瀬は、扉の方を指しながらウィンクで俺たちを見送った。「また後で」という言葉が気になりつつも、ひとまず二人でホールの中へ向かった。


 先ほどの閉鎖感がある部屋とは打って変わって、ホールの内部は広々としていた。床に敷かれた赤いカーペットは、校舎と空間の違いを強調するかのようだ。俺たちの立っている場所からは三本の階段が下に向かって伸びており、それぞれの階段の間には、横長のテーブルと椅子が一定間隔で配置されている。最奥には舞台袖もある大きなステージが鎮座し、天井から複数のスポットライトが浴びせられていた。


 ステージ近くの段には既に人がまばらに座っていたので、俺とタケルは少し階段を下りて、中腹辺りのテーブルに腰を下ろした。椅子は体重で沈み込むタイプ。木製のテーブルには、物をしまえる穴も開いていた。場合によっては、ここで講義をすることがあるのかも知れない。


 式が始まる前のホールは、上映前のように暗く静かな雰囲気を漂わせていた。夢へと続く学校生活がこれから始まるのだと考えると、期待と不安が入り混じった高揚感で胸がざわつく。

「なんかこう、変にワクワクしてきたかも」

「んー? そうだなー」

 気の抜けた返事に違和感を覚えた。隣を見ると、タケルは呆けた顔で明後日の方を向いている。

「何見てんのお前」

「……天使」

 要領を得ないタケルの回答はスルーして視線の先に目をやると、テーブルで教材を眺めている双葉の姿があった。なるほど……。彼女の入学を改めて確認し、タケルは安心しているようだ。


 席が半分埋まったかという頃、ステージにマイクを持ったミディアムヘアーの男性が現れた。その外見には見覚えがある。あれは確か、見学した授業で教鞭を執っていた人物だ。

「皆さんお待たせ致しました。只今より、第七回ブレスクリエイト入学式を執り行いたいと思います。私は本日の進行を務めさせて頂きます、主任の黛琢磨まゆずみたくまと申します」

 黛の進行は落ち着いていた。主任というだけあって、こういった機会には慣れているのかも知れない。

「では早速、校長先生の方から式辞を賜りたいと思います。皆さんは着席したままで結構です。では、よろしくお願い致します」


 袖にけた黛と入れ替わるように、真っ白な短髪をワックスで整えた初老の男性がステージの中央まで歩いてきた。校長と言うには、その風貌はいささか若く見える。

「皆さん、この度はご入学おめでとうございます。ブレスクリエイト校長の、伊吹大五郎いぶきだいごろうです。あまり長く話しても仕方ないので、手短に済ませます」

 おおらかに話す伊吹を見て長丁場になることも覚悟していた俺は、その台詞に少し安堵した。


「この学校は、私が自らを育ててくれたゲーム業界への恩返しをしたくて立ち上げた学校です。日本のゲーム業界が永久とわに、力強く、息吹いて欲しい。そんな願いを込めて、ブレスクリエイトという名前を付けました。まあ、半分は『伊吹』という私の名前から取ったダジャレなのですが。ふふ」

 伊吹の誘い笑いに対しては、「あー」と感心する声の方が多かった。


「とはいえ、例年多くのクリエイターを輩出している我が校の実績は、間違いのない物です。ぜひ皆さんにも、全力で学校生活を楽しみつつ、勉学にも勤しんで、ゲーム業界へ邁進まいしんして頂ければと思います」

 伊吹は「以上です」と話を締めくくると、深く頭を下げ、ステージの袖へと戻っていった。それに入れ替わるように、黛が再び登壇する。

「ありがとうございました。それでは続きまして、新入生代表挨拶に移ります。代表の生徒は、ステージの方までお願い致します」


 最前席から「はい!」という声がホール全体を通り抜けた。テーブルから立ちあがった代表生徒の青年は、遠目にも分かるほど良い体格をしていた。彼はライオンのような金髪を白いヘアバンドでオールバックにまとめており、髪型としてはあまり式に向かないように思えた。ただ、ゲームクリエイターは服装に寛容だとも聞いたことがあるので、この場では特に問題ないのかも知れない。


 青年はステージ脇の階段からツカツカと舞台に上がり、黛からマイクを受け取った。その顔は緊張からか、かなり強張っているように見える。マイクを渡した黛は、今度はステージの傍らで彼を見守る態勢に入った。


「暖かな春の風に吹かれ舞い踊る花弁のように、私たちは新しい学校生活に胸を躍らせています。この度は、私たち新入生の為に式を挙げて頂き、誠にありがとうございます」


 代表生徒の青年は、厳かに挨拶を語り始めた直後、急にニヤリといたずらっぽく破顔した。

「それでは僕も、校長先生に倣って早めに話を終わらせます」

 俺はこの時、控えている黛の表情が、確かに曇ったのを見た。


「えー、新入生代表の名瀬恭也なせきょうやです。俺はこの学校で一番面白いゲームを作りに来ました。クリエイターに就職するのはそのオマケです。お前らには絶対負けないから、よろしくな」

 名瀬はブチっとマイクのスイッチを切ると、呆気にとられている黛へマイクを押し付けて、スタスタと元の席に戻っていった。


 型破りな挨拶にホールがざわついた。タケルも隣で苦笑している。

「なんだあれ。挨拶って言うか、宣戦布告じゃん」

「だな。黛先生めっちゃ焦ってたよ。あれ絶対、予定と違うこと言ってた」


「あー、あー」

 ホールを鎮めるように、黛がマイクを入れ直した。

「ユニークで素晴らしい挨拶、ありがとうございました。名瀬くんは、式の後に職員室までお願いしますね」

 黛のアドリブでホールには軽く笑いが起こり、その場は丸く収まった。やはり、というか当然、あの挨拶は想定外の物だったらしい。どうして彼は、急にあんなことを言い出したのだろう。何にせよ、名瀬くんはご愁傷様……。

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