第7話 蛇とラクダ
願書を提出した数日後、ブレスクリエイトから正式に入学許可書が届いた。定員の都合などから入学が認められないケースもあるという噂を耳にしていたため、大丈夫だろうとは思いつつも、書類が届くまでは心が落ち着かなかった。
俺とタケルは互いに入学が許可されたことを確認しあい、そこから高校卒業までの半月は、引っ越し先の選定やノートパソコンの購入など、入学前の準備に奔走した。
引っ越し先については、登下校での電車ストレスをなるべく減らしたいと考えて、距離を中心に物件を検索した。色々な賃貸の情報を見ながらそれぞれの長所や短所を鑑みて住まいを決める工程は、ロールプレイングゲームの使用キャラクターを選択しているようで楽しかった。社会人になれば、もうワンランク上の
ノートパソコンは、結局最後まで何を買えば良いのか分からなかった。相変わらずネットの情報は錯綜しており、ゲームを作るならある程度のスペックは必要だとか、スペックを上げると排熱が大変だとか、そもそもノートパソコンはゲーム制作に不向きだという意見もあった。それだけ、パソコンという物は奥が深いらしい。
素人が一朝一夕で調べた情報をもとに購入するのは危険だと判断し、最終的には入学許可書に同封されていた学校推奨のカタログから注文する運びとなった。ノートパソコンは、高校卒業の一週間ほど前に到着した。
「三十四番、
「はい」
「おめでとう」
祝いの言葉へ無感情に一礼を返し、再び自分の席に戻る。機械的に繰り返されるその工程は、昔の職場体験で見た製品出荷のライン作業によく似ていた。
俺にとって高校の卒業式は、ただの通過儀礼で終わってしまった。感極まるようなことも最後までなかったが、毎日会話していた級友と明日から顔すら合わせなくなるという事実には、自分の部屋から物が少しだけ無くなったような寂しさを覚えた。
生憎、校庭の桜は多くが蕾のままだ。それでもこの日、俺たちの高校生活は幕を閉じた。
数日後。俺は
ベージュ色の外装にはところどころひびが入っており、晴天の元で下見をした時には気づかなかった、独特の哀愁が漂っている。入り口には何枚か葉の枯れた観葉植物が飾られていて、手入れの雑さを強調しているようだった。
業者から事前に渡されていたキーをエントランスのデバイスにかざすと、ピッという音と共に自動ドアが開いた。入り口を抜けてすぐ右に曲がると長い廊下があり、一番手前の部屋に俺の名前が入った表札が出ていた。今日からここが、俺の新しい帰る場所だ。
鍵を差し込んで部屋の扉を開けると、中には山積みの段ボールが置かれていた。実家から荷物の運搬はすでに済ませてある。後は荷解きと家具の配置だけだ。俺は段ボールを一つずつ開封して、部屋作りを開始した。
「よし、ひとまずオッケー」
昼過ぎに始めた家具の配置作業も、気づけば配置したばかりのアナログ時計が十八時を回っていた。配置がひと段落したところで、回線の確認をするためにノートパソコンを起動する。新調したばかりのルーターは緑の光を放っており、ネットにも問題なく接続できているようだ。
「それじゃ、今日もやるか」
ブレスクリエイト入学に際し、引っ越し以外にも準備を進めている物があった。それは、タイピングだ。パソコンが届いたその日から、毎日三十分ほど無心でひたすらタイピングの練習を習慣づけていた。
俺は今までパソコンに触れてこなかったこともあり、キーボードのタイピングが下手だ。授業見学で当然のようにキーボードを見ずタイピングを行う生徒たちを目の当たりにして、本格的に訓練する必要があると考えた。
「毎日文字打つだけなんてつまんねえだろ。どうせなら俺と対決しようぜ」
引っ越しが完了して数日が経過した頃、タケルとオンラインゲームを遊んでいる際に、そんな提案があった。
「対決?」
「そう。『蛇とラクダ』ってゲーム、知ってる?」
「いや、知らない。何それ」
タケル曰く『蛇とラクダ』は、表示された文字を素早く入力してゴールを目指す、ウサギと亀を模したレースゲームとの話だった。
「俺、実は結構タイピング得意なんだぜ。昔は全国六万位くらいだったかな」
「全国順位あるのかよ。ってか、六万位って凄いのか?」
「それは、これからお前が身をもって味わうことになるだろうな」
タケルの含みを持たせた言い方に釣られた俺は、その時遊んでいたゲームを終了し、パソコンを立ち上げてタケルと『蛇とラクダ』の対決をすることにした。俺だって、ここ最近の練習がある。その成果を発揮するいい機会だ。
結果は二勝三敗で、俺の惜敗となった。
「しゃあ! 俺の勝ち!!」
顔は見えずとも、タケルの声からは嬉しそうな笑顔が容易に想像できる。
「くそっ、最後にYとUを押し間違えなければ……」
「ま、春斗の順位は八万位くらいかな。引き続き精進したまえ」
今頃、憎たらしいドヤ顔を浮かべているに違いない。そこまで差は無かっただろうが、ちくしょう。
タケルの鼻を明かしてやろうと決意した俺は、その日からただのタイピング練習ではなく、『蛇とラクダ』をやりこんだ。
目標に向かって何かをやりこむのは得意だ。そこから数週間が経つ頃には、俺とタケルの戦績は日に日に逆転していき、ここ数日は完全に俺がタケルの速度を上回るようになっていた。
「くそー、もう完全に勝てなくなっちまったなー」
「つっても、タケルだってやりこみ始めたのは最近だろ。それに俺たち、客観的に見てかなり早い部類になったと思うぜ」
「まあなー。ブラインドタッチも精度上がった気がするし、いいリハビリになったわ。上には上がいるけどな」
そう、上には上がいた。この数週間で俺は、最高順位を二千位台まで上げることに成功していた。しかし、そこから上を目指すには、練習量と才能の分厚く高い壁を感じた。特に、一度だけマッチングしたランキング一位の『Angel』というプレイヤーには、俺のラクダがまだスタートから踏み出したばかりの時点で、相手の蛇にゴールされるという圧倒的な差を見せつけられた。
「まあ、もう明後日は入学式だし、今後はゲーム作りの勉強に専念しようぜ」
「くうー、やっぱ悔しい。俺はもうしばらくタイピング練習続けるかんな。それと春斗、もう一戦だ!」
これは、タケルが勝つまで終わらないやつだ。かと言って、露骨に手を抜くとタケルは怒る。こういう所は面倒なんだよな、こいつ……。
その後は、俺の集中力が切れタケルが勝ち越すまでの一時間ほど、『蛇とラクダ』に付き合わされたのであった。
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