第3話 人生は作業ゲーだ③

 応接室から体育館はそこまで距離もなく、俺たちはすぐに到着した。その日の体育館は、入り口が課外講習のために常時解放されていた。中では既に沢山の学生がパイプ椅子に座り、雑談をしながら講習の開始を待っている。


 須合すごうは体育館の中央まで敷かれたカーペットに飛鳥あすかを案内し、そのまま中の生徒へサインを送った。それを受け、館内にアナウンスが流れる。

「講師の飛鳥さんがご入場されます。皆さん、盛大な拍手でお迎えください」


 俺が後ろで飛鳥の入場を待っていると、彼は突然くるりと体を回して、こちらを向いた。

春斗はるとくん。僕のプレゼンをよく聞いておいてください」

「はえ?」

 急に話しかけられたことで声が裏返ってしまった。飛鳥はクスリと笑って正面を向き直すと、拍手の中へゆっくりと歩いて行った。


「お前、飛鳥さんと何かあった?」

 須合が腕組みをして、不思議そうに尋ねてきた。

「……いや、特に何も」

「ふーん、まあいいか。助かったよ。春斗ももう、自分の席に行っていいぞ」


 俺が目立たないようにコソコソと入場して席に座った時、飛鳥は講師用のテーブルに着いて、係の生徒からマイクを受け取っていた。

「ゲームクリエイターの飛鳥しょうです。よろしくお願い致します」

 挨拶にまばらな拍手が鳴った。生徒の大半は顔を下に向けていて、口には出さずとも「早く帰りたい」という思考が見て取れる。俺たちは今が大事な受験生だ。この反応も仕方ないだろう。


 俺が心の中で飛鳥に同情したのもつかの間、館内に大ボリュームで壮大な音楽が流れ始めた。

「え、なに!?」

「うるさ」

「これ、なんかのCMで聞いたことある」

 俺はこの曲を知っている。何を隠そう、先日タケルから借りていたゲーム『ドラゴンミステリー』シリーズのメインテーマだ。


 騒然としている生徒の声と流れている曲に引けを取らないボリュームで、飛鳥が声を張り上げた。

「えー、受験で張りつめている皆さんのために、本日は息抜き用のゲームを紹介させて頂きます」

 いや、将来選択のための課外講習じゃないのかよ。唐突な紹介宣言に、周りの生徒も困惑している様子だ。


「今流れているのは、発売中のゲーム『ドラゴンミステリー』の最新作で使われている曲になります。僕が作ったゲームなので、ぜひ遊んでみてください!」

「……マジ?」

 鳴り響く音に紛れるように呟いた。面白かったあのゲームは、目の前にいるこの癖毛男が作ったらしい。


「と、冗談は置いておいて」

 告知が終わると、音楽のボリュームが段々と小さくなっていった。飛鳥の声量も普通に戻っている。

「先ほどの曲か、ゲームを知っている人は、この中にどれくらいいますか?」

 生徒の中から複数の手が挙がった。俺は何となく気恥ずかしさを感じ、挙手を躊躇った。

「なるほど。では、それが僕の作ったゲームだと知っていた人は、手を挙げ続けてください」

 間もなく、全ての手が下がった。遊んだ俺ですら知らなかったことだ、無理はない。


「ふふ。皆さん正直で良いですね」

 飛鳥は落ち込むでもなく一呼吸ついてから、「例えば」と言葉を強調した。

「例えば、映画でもタイトルや俳優の名前は知っているのに、監督を知らないというのは良くありますよね。ゲームも同じです。タイトルやキャラクターは有名でも、作った人の名前は知られていないことが大半です」

 飛鳥の例えは、一理あるように思えた。


「そんな僕の仕事について、少しでも皆さんに知ってもらえたらと思います。改めまして、飛鳥翔です。本日はよろしくお願い致します」

 二度目の自己紹介に、今度はまとまった拍手が鳴った。先ほどと違い、周りには下を向いている生徒も殆どいない。瞬間的に生徒たちの関心をさらった飛鳥の腕前を見て、俺の胸は僅かに高揚した。


 講習は資料をプロジェクターで写しながら進行した。主な内容は、ゲーム会社の職種についてと、現代に至るまでのゲーム史についてだ。中には眠たくなるような話もあったが、その度に冒頭のようなサプライズや参加型のミニゲームなどが設けられ、生徒の心が逃げないような工夫が施されていた。正直、飛鳥の講習は今まで聞いたどの講習よりも、群を抜いて面白かった。


 時間も早々と過ぎて行き、気づけば最後の質疑応答まで進んでいた。始まる前は早く帰らせろと言わんばかりだった生徒たちも、常に誰かしらが手を挙げ続けている。そんな中、前方で挙手していた一人の女子が質問権を得て起立した。

 華奢な体つきと、後ろで二つに括ったレモン色の髪。彼女は確か、双葉愛ふたばあい。一年の頃に同じクラスだったが、休み時間は一人で絵を描いているおとなしい女子だった。


 双葉は係の生徒からマイクを受け取ると、飛鳥に一礼した。

「本日は貴重なお話、ありがとうございました」

 飛鳥は、いえいえと手を振る。

「質問とはちょっと違うんですけど、大丈夫ですか?」

「はい、問題ないですよ」

「ありがとうございます」


 発言の前に、マイクから双葉がスッと息を吸い込む音が聞こえた。

「私には、ずっと憧れている男性がいます。でも、その人に近づく勇気が出ません。こんな私に、アドバイスを下さい」

 まさかの恋愛相談に、体育館がざわついた。どこかで口笛なんかを吹いている生徒もいる。


「なるほど、アドバイスですか」

 そんな外野とは打って変わって、飛鳥は先までの質疑応答となんら変わりないテンションで対応している。

「少し話が逸れるのですが」

 飛鳥が話し始めることを察して、私語をしていた生徒たちも口を閉じた。この学校の生徒たちは、その辺の礼節をわきまえている。


「皆さん、ゲームで一番大事なものは、なんだと思いますか?」

 飛鳥の問いに対し、他所から様々な声が聞こえてきた。

「なんだと思う?」

「音楽とか? さっきも凄かったし」

「グラフィックだろ」

「ストーリーじゃないかな」

「遊んでて面白いかの方が大事じゃね?」

 俺も『面白さ』だと思った。つまらないゲームは、音楽やグラフィックが凄くても結局続かないものだからだ。


 飛鳥はしばし生徒の意見に耳を傾けてから、口を開いた。

「それは、どんな選択肢が用意されているか、です」

 選択肢?

 予想外の回答に疑問を持ったのは俺だけではないようで、他の生徒も前を向いて、じっと次の言葉を待っていた。飛鳥はそんな俺たちを諭すように、話を続ける。


「ゲームとは言ってしまえば、プレイヤーの選択が合っていれば褒め、間違っていればペナルティを与える。これの繰り返しです。不正解の悔しさがあるからこそ、正解した時の喜びがあります。どんなゲームにも必ず選択肢が存在し、その種類によってプレイヤーが受ける体験も異なるのです。選択肢が、そのゲームを決めていると言っても過言ではありません」

 俺は今まで遊んできたゲーム達を思い返した。なるほど。セリフの選択肢に限らず、攻撃タイミングやどの道具を使うかも、分解すればつまりは全てが選択肢になっているという事か。


「……そして、それは人生においても同じことが言えると、僕は思っています」

 その言葉に、胸が震えた。

「進路、仕事、恋愛。これらは全て、小さな選択の積み重ねで出来ていて、結果はその集大成です」

 なんだ、この感情は。


「さて、憧れの男性に近づく勇気が出ない、でしたね?」

 飛鳥は改めて双葉の方を見た。

「どんな選択肢を取るかはあなた次第です。それによって得る体験も変わってくるでしょう。ただ、たまにはゲームを遊んでいる時のように、思い切った選択をしてみるのも良いと、私は思います。選択しなければ、このままの日常が続いていくだけですから」

 選択しなければ、このままの日常が続いていくだけ……。


「……ありがとうございました!」

 双葉は係の生徒にマイクを返却して、椅子に座り直した。こちらから彼女の表情を見ることはできなかったが、その声色からはどこか吹っ切れたような印象を受けた。


 マイクを受け取った生徒は、当人でもないのに照れくさそうだ。

「ありがとうございました。いやー、熱い質問でしたね。では、時間も迫ってきましたので、次が最後の質問です! 質問のある方は、挙手をお願いします!」

 双葉の質問で場が盛り上がったのか、今まで以上に沢山の手が挙がった。


「……では、そこの彼」

 飛鳥に手を向けられた。俺は腕を下ろして椅子から立ちあがり、いそいそと近づいてきた係の生徒からマイクを受け取った。

「連続で恋愛相談は止めてね」

 うるさい、余計なお世話だ。胸はまだ、大きく鼓動を続けている。


「質問です。……ゲームクリエイターは楽しいですか?」

 またしても、生徒がざわついたのを感じた。「最後の質問がそれ?」とでも言いたいのだろう。分かってる。俺だって、こんな目立つ真似したくない。だが、今ここで聞いておかないと、俺は人生の選択肢を一つ失ってしまう気がした。


 飛鳥は真っすぐにこちらを見て、今までのどの表情よりも、喜びにあふれた笑顔で答えた。

「ええ、もちろん。ゲームクリエイターは、最高に楽しいですよ」

 この時俺は、初めて他人に憧れた。ああ、きっとこの人は本当にゲームを作ることが好きで堪らないんだ。俺もこの人みたいになりたい。人生という退屈な作業ゲーを、楽しい神ゲーに変えたい。

「ありがとうございました」

 マイクの電源を切り、隣で訝しげな表情をしている生徒にそっと返却した。その後、講習は滞りなく終了した。飛鳥は最後にもう一度『ドラゴンミステリー』の宣伝を挟んで笑いを取ると、盛大な拍手に見送られて体育館から退場していった。



 その日は下校が遅くなった。生徒会として、体育館の片づけを手伝っていたからだ。辺りはすっかり暗い。肌寒い公園を、街頭の青白い灯りだけが静かに照らしていた。

「どうでしたか? 僕のプレゼンは」

 飛鳥は、昨日と同じベンチの背に寄りかかっていた。

「最高でした。特に『ドラゴンミステリー』の曲が」

「ふっ、そうですか。作曲者に伝えておきます」


 俺は少考の末、次の言葉を紡いだ。

「飛鳥さん。俺、ゲームクリエイターを目指します」

「ほう」

「飛鳥さんみたいになれるかは分からない。けど、今の作業ゲーみたいな毎日はもううんざりなんです。俺も人生を楽しい神ゲーにできるよう、ゲームクリエイターを目指してみます」


 飛鳥は「よっ」とベンチに寄りかかるのを止め、俺の正面に立った。

「僕を目指すだけでは、楽しくないですね」

「え?」

「僕を超えるくらいの気持ちでやってもらわないと」

 そのまま飛鳥は胸を張り、挑発するように俺を見下ろしてきた。

「まあ、僕は負けないですけどね。この人生ゲームの主人公は僕なので」

「なるほど……上等です。俺をクリエイターの道に引きずり込んだこと、いつか必ず後悔させてやりますよ。この人生ゲームの主人公は、俺ですから!」


 お互いにニヤリと笑みを浮かべた時、公園の静寂を切り裂くように「あ!」と女性の声が響いた。

「また、こんなところでサボってたんですか!」

 暗闇に目を凝らすと、スーツの女性が眉間にしわを寄せて、こちらに駆け寄って来ていた。

「おや、瑞樹みずきさん。見つかってしまいましたか」

「おや、じゃありませんよ! 次の電車を乗り過ごすと、夜のプレゼンが間に合わないかも知れないんですよ!」

 言うが早いか、瑞樹は飛鳥の袖を掴んで半ば強引に連行し始めた。


「あ、瑞樹さん、ちょっとだけ待ってください!」

「待てません」

「お願い、ちょっとだけでいいんです!」

「え、なんかいつにも増して必死? ……分かりました、二十秒だけ待ちます」

 何なんだ、この二人は。


 瑞樹に解放された飛鳥は、改めて俺の前に立ち姿勢を正した。多少雰囲気の違うその佇まいに、思わず背筋が伸びる。

「春斗くん。ゲームクリエイターを目指すというのは、案外大変な道です。でも僕は、君ならきっと立派なクリエイターになれると信じています」

「……どうしてですか?」


 飛鳥は背中を向けて何歩か進んだ後、こちらを振り返って笑った。

「君と僕は、似た者同士だからです」

 俺も、思わず笑みがこぼれた。

「ふっ、なるほどっす」


 不意に、瑞樹がパンっと手を叩いた。

「はい、時間です」

 彼女はツカツカと飛鳥に歩み寄り、先ほどと同じように腕を掴んで歩き始めた。デジャブだ。

「ちょっと瑞樹さん、雰囲気ぶち壊しですよ!」

「知りません。このままだとプレゼンがぶち壊されます」

「分かりましたって! だから、腕は放してください!」

 二人はそのままギャーギャーと騒ぎながら、夜の闇に姿を消していった。


「……なんか、嵐が通り過ぎたみたいだ」

 ここ数日の出来事が未だに信じられない。まさか俺がゲームクリエイターを目指すようになるなんて。それでも、胸の鼓動は確かに高鳴り続けている。俺は暗闇に向かって、誰に言うでもなく興奮を吐露した。

「ゲーム、スタート」

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