第2話 人生は作業ゲーだ②
俺が公園で不審な人物に絡まれた翌日のこと。その日の科目がすべて終了したホームルームの終わり際に、担任の
「今日は課外講習があるから、みんな体育館に集まるように」
帰宅に待ったをかけられた生徒たちは、口々に愚痴をこぼした。
「あー、今日は課外の日かー」
「今日の課外ってなんだっけ?」
「早く帰って勉強しないといけないのに」
課外講習とは、三年生へ向けた学内行事の一つだ。社会で活躍している卒業生を講師として学校へ招き、将来選択の参考になるような講習を開いてもらう。
強制参加で放課後を拘束されることになるので、内容に興味がない生徒からの評判は良くない。まして今は受験の真っ只中であり、卒業生の話を悠長に聞いていられるほど余裕のある生徒は、殆どいないだろう。
ただ、俺は今回の課外に少しだけ興味があった。なんでも、今回の講師はゲームクリエイターだという噂だ。開発の裏話なんかを聞けるのだとしたら、いつもの講習よりは楽しめるかも知れない。
ノートとペンを準備していると、教卓にいる須合から名前を呼ばれた。
「
俺はこのクラスで唯一の生徒会員だ。暇つぶしにでもなればと思って入ったものの、実際は何かにつけてイベントの雑用を任されるだけの損な役目だった。
面倒だとは思ったが、断るわけにもいかない。「わかりました」と返事をして、筆記用具を手に持ってから須合と共に教室を出た。
廊下を歩いていると、下級生の教室からはまだ授業の声が聞こえた。三年次の冬という事もあり、俺たちは他の学年よりも早く授業を終えている。
「春斗には、講師の卒業生と機材の使い方を再確認して欲しいんだ。事前に一通りお伝えしてはいるんだけど、一応な」
向かう途中に、須合から役割の説明をされた。彼は機械オンチで有名だ。俺は雑用の一環で学校機材に触れることも多かったので、なおさら今回は白羽の矢が立ったのだろう。
「わかりました。大丈夫だと思います」
「よし任せた! 頼りにしてるからな」
あんたも毎回生徒を頼ってないで、いい加減に機材の使い方くらい覚えてくれよ。と思ったが、残念ながらそれは口に出せない。
一階の応接室に到着した。須合が部屋のドアを三回ノックする。
「
すぐに中から「はい」と返事があったので、須合はドアをガラガラと開けた。
「あ」
俺は思わず声が出た。須合に続いて応接室の中に入ると、ソファには昨日遭遇した癖毛の男性が座っていた。男性は昨日と違いスーツ姿だったが、遊んでいる携帯ゲーム機は同じ物だ。
「あ」
俺の声に反応してか、男性もこちらを見て声を上げた。
『チュドーン ゲームオーバー! コンティニューする? コンティニューする?』
静かな応接室には不釣り合いな、携帯ゲーム機の機械音声が繰り返し流れた。
「……失礼しました。ゲームで遊ぶのも仕事の一環でして」
男性は軽く頭を下げて、パチッとゲーム機の電源を切った。
頭の整理がつかない。どうして昨日の男性がこんなところに?
もしかして、他人の空似とか? もしくは、間違って入り込んだ不審者?
そもそも、この出来事が夢だってことも。手の甲を軽くつねってみると、想定通りの痛みが走った。少なくとも、夢ではないようだ。
須合は「お気になさらず」などと言いながら、平然と会話している。須合が普通に話しているということは、ここに入り込んだ不審者でもなさそうだ。
「どうした春斗、ぼさっと突っ立って。体調でも悪いのか?」
「あ、いえ……」
癖毛の男性はゆっくり立ち上がると、礼儀正しく頭を下げた。
「こんにちは。今回の課外講師を務めさせて頂きます、飛鳥
「……初めまして、
先ほどは驚いた表情をしていた飛鳥も、今では口元に余裕のある笑みを湛えている。
「いえいえ、かわいい後輩の為ですから。それに、君と僕は初めましてではありませんよ」
それを聞いた須合が「そうなのか?」と俺の方を見た。
やはり、昨日の男性で間違いなさそうだ。ただ、公園で恥ずかしい独り言を聞かれた挙句、僕が走って逃げ出したんですよ、と説明する訳にもいかない。どうしたものだろうか。
「彼には昨日、僕が落としたミカンを一緒に拾ってもらったんです」
俺が返答に困っていると、飛鳥が平然と噓をついた。助け舟を出してくれるのはありがたいが、今時そんなコテコテの嘘が通用するのだろうか。
「なるほど、そうでしたか。感心だな、春斗」
須合は俺の肩をポンポンと叩いた。作り話はどうやら通用したらしい。
その時、校内放送が流れた。
『三年二組担任の須合先生。至急、職員室までお越しください。繰り返します――』
「おっと」
須合は申し訳なさそうに、俺と飛鳥をそれぞれ一瞥した。
「すみませんが、少し席を外します。その間と言ってはなんですが、お二人で機材の確認を行って頂けますか?」
……ん?
「お忙しいですね。承りました。春斗くん、よろしくお願いします」
飛鳥は再び、ソファに深々と腰を下ろした。
ちょっと待て。俺と飛鳥が二人きり? 気まずいなんてレベルじゃないぞ。頼む須合、行かないでくれ。そんな願いも虚しく、須合はそそくさと応接室から出て行ってしまった。
応接室に、しばしの静寂が訪れた。落ち着きを取り戻した空間が、普段はあまり生徒を入れることのない特別な雰囲気を漂わせている。そういえば俺は、この静謐さが好きだった。今は、それどころではないのだけれども。
「どうぞ、お掛けください」
先に沈黙を破ったのは飛鳥だった。対面のソファに手を向け、俺に腰を下ろすよう促している。
「あっ、ええと。ありがとう、ございます」
ソファへぎこちなく腰を下ろすと、光沢のある皮が、俺の体を包み込むように深く沈んだ。
「昨日はすみませんでしたね。いきなり声をかけてしまって」
俺が昨日のことに触れようかと迷っていた矢先、飛鳥の方から話題として挙げてくれた。
「あ、いえ。僕も昨日は慌てちゃって。突然走りだしたりして、すみませんでした」
返すように謝りはしたものの、冷静に考えて自分は何も悪くないという、釈然としない思いは残った。
「では、これで昨日のことはチャラですね」
飛鳥は両手の指を二本クイクイっと曲げて、歯を見せるように笑った。その笑顔にはどこか憎めない魅力があり、きっとこの人はこうやって世渡りしてきたんだろうな、と思った。
「ところで、春斗くんは三年生ですか?」
さっきから気になってはいたが、どうやら飛鳥は人を下の名前で呼ぶ性分らしい。それにしても、初対面でいきなり名前呼びするのは中々だ。
「はい、そうです」
「では、二月はちょうど受験の時期ですね。ゲームで言うなら、ルート分岐の真っ只中だ」
飛鳥が受験生である俺を前に、学生の一番大事な時期をゲームに例えるのは少し無神経な気がした。
「ルート分岐……。そうですね。なので、頑張って勉強中です」
「ちなみに春斗くんは、将来なりたい職業など、もう決まっていたりするのですか?」
飛鳥は矢継ぎ早に質問をぶつけてくる。誰に対してもこうなのだろうか。
「ちょっと、今のところはないです。あはは……」
「そうですか。なら、ゲームクリエイターを目指してみませんか?」
思わず「は?」と声が漏れた。
「あっ、すみません!」
飛鳥は眉一つ動かさず、依然として微笑んだままだ。質問の真意を汲み取ることができず、先ほどまでと変わらないはずの微笑みが、今ではなんだか不気味に見えた。
「春斗くんは昨日、人生がつまらないと言ってましたよね」
恥ずかしいので、掘り返さないで下さい。
「……はい」
「もしそれが、課題をこなしたり、テストに正解するだけの毎日がつまらない。という意味ならば、ゲームクリエイターをお勧めします。ゲーム作りには、終わりも正解もありませんからね」
驚きが隠せなかった。「お前って、いつも退屈そうにしてるよな」と言われたことはあるが、その理由まで他人に見抜かれたのは初めてだ。
「どうして、俺がそう感じてると思ったんですか?」
飛鳥に対して、素直に疑問を投げかけた。遠回しな聞き方をしても、きっとこの人には意味がない。
「どうして、ですか」
飛鳥はソファにもたれて、「うーん」と顎へ手を当てた。
「そうですね。強いて言えば、似た者同士だと思ったからです」
……ニタモノドウシ? 俺と、あんたが?
俺が「どこが」と次の質問に口を開きかけた時、応接室のドアが鳴った。
「いやー、すみませんでした。部活でトラブルがありまして」
今度は返事を待たずにドアを開けて、須合が部屋の中に入ってきた。
「どうですか、機材の確認は終わりましたか?」
それを聞いて、体の血がサッと冷たくなった。飛鳥との話に夢中で、機材確認のことなどすっかり忘れていた。
「はい。早々に済ませて、余った時間で楽しく雑談していました」
飛鳥は、またも平気な顔で嘘をついた。須合からは見えない角度で、OKサインまで出している。確認できなかったのは完全に俺の過失だ。
「ならよかった! 丁度お時間も近づいてきましたので、これから体育館にご案内します」
「はい、よろしくお願いします」
須合が開けっ放しのドアをくぐって廊下へ出ると、飛鳥もゲーム機を背広の内側にしまい、ソファからスッと立ち上がった。それでも俺は、すんなりと立ちあがれずにいた。飛鳥は、俺のどこに似た所を見出したのだろう。その疑問が歯に挟まっている間は、まだここから出発したくなかった。
すると、その飛鳥が退室前、素知らぬ顔でヒョコヒョコと近づいて来た。彼はそのまま姿勢を落とすと、目の前でひっそりと囁いた。
「君も、人生をゲームだと思っているでしょう?」
その後、飛鳥は何事もなかったかのように部屋を出て行った。
俺はと言えば、逆に疑問の根がより深くなってしまっていた。「君も」という事は、飛鳥も人生を退屈な作業ゲーだと考えているのだろうか。いや。彼の人生観は、自分の思っている物とは根本的に違う気がする。
「おい、春斗? 何してるんだ?」
ソファに座ったまま考え込んでいると、須合が廊下からこちらを覗き込んできた。
「あ、すみません。今行きます」
俺は応接室を出て、ガラガラと応接室のドアを閉めた。
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