空中散歩
朝。
教室に入ると浮石くんが物理的に浮いていた。
バチッと目が合った。浮石くんはニコッてした。
その間もずっと浮石くんは宙を舞っていた。
思いっきりドアを閉めた。
たぶんきっと疲れてるんだよね、うんうん。昨日も夜遅くまでゲームしてたからちょっと現実とゲームの区別が付かなくなったんだよね、私ったらお茶目さん。
その場で深呼吸してもう一回ドアを開けてみる。
浮石くんがニコニコしながらこちらに手を振っている。空中で体育座りをしながら。
「真田さん、なんで中に入らないの?」
浮石くんは少し空気が読めないみたいだ。
***
八時になっても誰も教室に来なかった。この時間になると十人くらいはいるだろうに。
クラスでちょっと浮世離れしてるよねって言われている浮石くんと二人きり。しかも現在進行形で物理的に浮いている浮石くんと一緒の空間にいるのは少々キツイところがあった。
「まだ誰も来ないね、みんなどうしたのかな」
チラッと浮石くんを盗み見る。
いつもボンヤリとしている男の子は何を考えているのか分からない。
「う~ん、今日が日曜日で休みだからじゃないかな」
「え?」
「今日って日曜日でしょ、朝から幼児アニメ見てきたもん」
「え?なんでここにいるの?」
「僕も教室に来て気付いたんだけど、真田さんが来たからまぁいっか~って思って」
「じゃあとりあえずそれは置いといて、なんで浮石くん浮いてるの?」
二十分もの間ずっと気になっていたことがようやく聞けた。こんなこと簡単に聞けるほど私は心臓強くない。浮石くんはキョトンとしている。
「なんか教室に来てボーッとしてたら浮いた、あ、そうだ、今から真田さん帰るでしょ?窓から帰ろうよ」
少し曇ってるね~と言いながら私の手を握って窓の方に引っ張っていく。
「いや、まって、ここ四階だよ!嫌なんだけど!」
私は散歩を嫌がる犬のように必死に抵抗した。
「う~んそれなら、」
私の手をパッと離して体勢を崩しかけた私を背中と膝の裏を支え、俗に言うお姫様抱っこをされた。
「は、ちょ、まって、」
「よっしゃ、行くよ~」
しゅっぱ~つと言いながら、バスケ部のエースとして鍛えている私を軽々と抱えたまま、浮石くんは窓から飛び出した。
「うわ!」
いきなり浮遊感に襲われた私は思わず浮石くんに抱きついた。
「大丈夫、目を開けてみて」
恐る恐る目を開くと、十秒前に飛び出した窓と同じ高さにいる。
「落ちてない…」
「落ちない落ちない」
徐々に私たちは空に上っていく。遠くを見れば海がキラキラと見えた。潮風が肌に触れて、ああ夏が来るんだなぁって実感する。
「ねぇ海の上を歩いてみようよ」
そう言って私をお姫様抱っこの状態から変えようとする。
「全部離すとか止めてよね!私落ちちゃうからね!」
「大丈夫だってえっと先にこっちを離して…」
「ばか!先にこっちでしょ!」
それからなんだかんだあって五分後。なんとか手を繋いだ状態になれた。
「なんだかもう疲れたよ」
「まあまあいいでしょ、ほらもうすぐ海だよ。海まで歩いてみようよ」
右足だして、左足だして、
隣で浮石くんが無意識に声を出しながら前に歩いている。私もそれに習って合わせて足を出す。
足がさっきから宙を空振ってはいるけれどなんだか心地いい。幼い頃見ていた絶対に叶わないと思っていた願いが遂に叶った。
いや、そんなことより
「浮石くんってどうやったら飛ぶの止めれるの?ずっと浮いてる訳にもいかないでしょ」
「それが分からなくって、あ!」
「ん?どうしたの??」
「僕昨日おばあちゃんに飴を貰って、嫌なことがあったら舐めなさいって言われて舐めた。確か効果は三時間だって」
スマホの時間を見たら十時前。私が教室に着いたのは七時四十分。とすれば、
「早く!砂浜に戻らないと!」
それから必死に砂浜の方に戻った。思いのほか進んでいたみたいであと五分でも気付くのが遅かったら、海にドボンだっただろう。
「なんとか助かった……」
久しぶりの地面が心地よくて安堵している私と違い、浮石くんは申し訳なさそうな顔をしていた。
「あのね真田さん、実はもう一個飴貰ってたんだ…」
「なんで先に言わなかったのよ…もう一個舐めてたらこんなに急がなくて済んだのに」
「あの、また真田さんと空中散歩したくてっさ…どうかな?」
ここで断れる人なんているのだろうか。
私が頷けば浮石くんは嬉しそうに笑った。
空は気付けば雲ひとつない晴天になっていた。
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