超えない五線譜(score)二
マリッジブルーね、無理もないわ。
病院も周りもそう言って、私も納得せざるを得なくなり仕事を引退して療養したわ。
一人で過ごした方がストレスが無くて良い。
そう言って周りから離れ、婚約者との新居マンションで海外へ演奏に行ってる彼と結婚式の日取り待つだけの生活になってしまったわ。
気付くのが遅いわね、そう自分でも思った。
ピアノが弾けないピアニスト。
芸術家はなんて儚いのかしら。
弾けなくなったら。
描けなくなったら。
書けなくなったら。
芸術家じゃなく、ただの人になってしまうのだものね。
毎日電話をしていた婚約者が、かつての女性があの男性と無事結婚して今妊娠中という話をしてきた。
…そう。
それは、あなたの子じゃないわよね?
私は、もう以前の私じゃなくなっていた。
そうだったとしても私はきっと何も言えないんだもの。
その女性だけじゃなく、お付き合いの関係でお祝いのベビーグッズが必要となり私はおめでたい事だから幸せを感じにいこうと久しぶりに外出した。
子供が欲しいなんて思ってはいなかったけど、可愛らしい服を見て、とてもとても癒された。無意識に微笑んでいたと思う。
「出産祝いなら、それは一歳くらいにならないと着れないよ」
ふと、後ろからアドバイスが聞こえた。
「やあ、戦友」
とんでもない言葉と共に、夫となり父となっている売れない作曲家だった彼がいた。
戦友。
私と彼はほとんど関わってない。
あの話もしてない。
なのに、この呼び方。
本当に変で鋭い人。
「そうね」
私は目からぽろりと涙が落ちた。
事実を肌に感じたからだ。
「場所を変えようか」
彼の言葉には、心から賛成だった。
彼の家に行くわけにはいかなかったので、私の家に一緒に来た。
お茶の準備をしていると、肩に手を置かれて止められる。
「おかまいなく。随分痩せたね。元々が美人だから問題ないけど、あまり健康的な顔色では無いな」
「……」
「座ろう。話したいけど話したくない事は、僕にも数えきれない程ある」
「…あなたも…やっぱり」
「戦友に言葉は要らないんだ」
「そうね」
弱ってなかったら、私は「馬鹿にしないで。私は平気」と叫んで彼の顔を見る事もなかったと思う。
家に入れたりもしなかった。
私の大好きなモーツァルトが流れている部屋で、ぽつりぽつりと話す。
「出産はいつ?」
「春だよ。母親似だといいな」
「……」
「僕は身に覚えが無いんだ。彼女は僕の子だよ、当たり前でしょうって笑って言う」
「……」
「そうなのかもしれないよね。新生児時代から育てる予定だから、僕の子だ」
「そうね」
「子供に罪は無いから。いつか子供が先に知ってしまう前に調べるよ」
「……」
「君は?」
「…なに?」
「話は聞いてる。結婚式で演奏出来そう?」
「……」
「無理はしなくて良いと思うよ。旦那様が立派に一人でバイオリンを奏でてくれるだろうから。ただ、それが君の人生って事になる」
「そうね」
一人でも演奏は出来るわ。
「もう弾かないのかい」
「弾かないんじゃなくて、弾けないのよ」
「じゃあ、暇なんだ」
「言い方が失礼じゃありません?」
「はは、これが自分の子じゃない子を迎える決心をした僕なんでね。暇なら一緒に曲を作らないか?」
「曲?」
「楽譜は読めるだろう。僕達が身体の関係をもっても誰も楽しくないし得をしない。なら少しでも楽しくなる事で何か一緒にしてやろうじゃないか」
……
「…ぷっ。ふふ、あなたって。本当に…」
「ずっとただ憎むのも疲れるからね。そうだろ」
本当に、変な人。
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