復讐

愛奈ちゃんとてっちゃんが相まみれた日の翌日。毎日来るという約束通りに、愛奈ちゃんが放課後に僕の部屋へやってきた。


これから愛奈ちゃんと、毎日会うことができると浮かれていたのだが――


部屋にバシッと乾いた、まるで地割れでも作る気なんじゃないかってほどの音が響いた。


「……」


僕は何も言わずに、パチッと優しく駒を置く。


それを確認してから愛奈ちゃんは、目をギンっと光らせて、またしても力強く打ち込んだ。


動きが激しくて制服のブレザーの上からでもわかるくらい、プルプルと胸が震える。


おおう、立派なおっ――じゃなくて!


「ちょっとまって!」


「――? 待ったはなしよ?」


「わかってるけど! 一旦待って!?」


堪らず僕は待ったをかけて対局時計を止めたのだが、愛奈ちゃんは怪訝そうに眉をひそめた。


待ったがないのはわかっている。これでも僕は棋士の端くれ、自分の指した手に責任をもっている。


じゃあなぜ、将棋を止めたのか。


「指した手に待ったをしたんじゃなくて、その駒の置き方に待ったをかけたの!」


「……駒の置き方?」


僕は先ほど打ち込まれた駒を指さして、理由を述べる。


心なしか、駒が痛みで震えているように見えた。駒には罪がないのに……


「そんな強く打ったら盤が割れちゃうよ! これ師匠が買ってくれた高級な盤だから、もっと大切にしてほしい……」


「ご、ごめんなさい……。全くの無意識だったわ」


申し訳なさそうに、盤の側面を優しく撫でる愛奈ちゃん。まるで赤子の面倒を見ているみたいに穏やかな顔で。


盤のくせに愛奈ちゃんによしよしされて、そこ変わってくれよ! 君は僕のライバルのようだ。師匠には悪いけど大切にしてやんないからな!


「……愛奈ちゃん、やっぱり強く打ち込んでもいいよ。なんなら割っちゃっても」


「さっきと言ってること逆じゃない。普通に怖いわ。それにあなたの師匠が可哀想だわ……」


「ねぇ、嘘だよ!? だから引くのやめて?」


半歩下がった愛奈ちゃんに、僕は焦って将棋盤から身を乗り出した。


その拍子に僕の袖が盤に当たってしまい、駒がバラっと散らかった。


「あ、駒が……」


「ご、ごめん! すぐに戻すね!」


慌てて床に落ちていった駒を救出し、盤上に並べ直す。どう指したのか記録する棋譜を脳内で展開して、局面を戻した。


よく「棋譜とか覚えられるね」なんて言われるけど、将棋を指していたらだいたい3ヶ月くらいで覚えられるようになるんだよね。


「これで間違ってないはず。じゃあ続きから!」


「……せっかくだし、休憩しない?」


「え、愛奈ちゃんが休みたいならいいけど……。僕としては付き合ってくれてる身だし」


「じゃあ休憩するわ」


愛奈ちゃんは「はあー」と憂鬱そうなため息を吐いた。その瞳はどこか、物憂げな雰囲気を纏わせている。負けたときの僕よりも、幸せがなくなりそう。


さすがに僕も元気がない愛奈ちゃんを放っておけない。


「どうしたの? なんか元気ないよね?」


「……聞いてくれるかしら?」


「う、うん。聞くよ?」


「実は……金髪に負けてから自信がなくなったのよ……」


「えっ、なんで!? 接戦でどっちが勝ってもおかしくない、白熱した将棋を指してたじゃん!」


自虐的に微笑む愛奈ちゃんに、驚きが隠せない僕は声を大きくしてしまう。


だってタイトル挑戦の可能性もある棋士のてっちゃん相手に、一歩も譲らない将棋をしてたのに。


逆にトップ棋士相手にも通用するって、喜んじゃうのに。


そんなことを考えていると、愛奈ちゃんは悲しみを滲ませながら語る。


「やっぱり女流棋士って、プロ棋士には適わないのかも。終盤で体力がなくなっちゃうし……。あなたの終盤力が羨ましいわ」


「愛奈ちゃん……」


まさか愛奈ちゃんが、そこまで実力の差を感じていたなんて。


女流棋士はプロ棋士のタイトルに参加することもできる。しかし、なかなか勝ち上がることはできていない。


意識の高い愛奈ちゃんのことだ。今や女流棋士を牽引していると言っても過言ではないから、全女流棋士のプライドのためにも、プロ棋士には負けたくないのかも。


なのに自信を無くしちゃったら、尾を引いて本来の実力が対局で出せなくなる可能性がある。


――そんな愛奈ちゃん、絶対に見たくない。


「愛奈ちゃん、大丈夫。君はプロ棋士にも引けを取らないくらい強い。1回てっちゃんに負けたからって、落ち込まないでよ」


「でも――」


「僕は愛奈ちゃんの弱気になってるところ、見たくない。だって、いつも自信満々に指している愛奈ちゃんに惹かれたんだから」


「……!?」


これ以上、自信がなくならないように本心を打ち明ける。まっすぐ、愛奈ちゃんの切れ長な目を見据えながら。


微力かもしれないけど、少しでも愛奈ちゃんを元気づけられたらいいな。


と思ったんだけど――


「……顔、赤くない?」


「ふぇ? いや、見ないで!」


片手で涙で潤んだ瞳を目元ごと隠して、もう片方の手は突き出している愛奈ちゃん。


身動ぎしているからミニスカートがだんだんと上に捲られていく。僅かにピンク色がチラチラ見えてる!


この状態の愛奈ちゃんにいたたまれなくなって、そっと目を逸らした。見続けてバレたら確実に幻滅されると思うし、気づかれないとしても僕の理性がもたない。


僕の想いが届くまで、愛奈ちゃんの目をしっかりと見ていたかったけど仕方ない。


「まあ、その……一緒にがんばろ? 絶対にやり返すぞって」


自分でもキザなセリフだと思い、恥ずかしくて頬を掻いた。


そんな僕のことを顔を隠したままの愛奈ちゃんが「ふっ」と吹き出した。


「真面目な顔してなにを言い出すのかと思ったら、まさかの告白だなんて。一瞬ドキッとしちゃったわ」


「こ、こくはく!? いや、そんなつもりないというか……」


「ふふっ、なーんて冗談よ。でも私のこと褒めてくれて嬉しいわ」


「え、待ってドキッとしたって――」


「よーし、こうなったら私も、あなたの終盤力を盗ませてもらうわ! 一緒に上を目指しましょう!」


「お、おー」


僕の言葉を遮って、おーと拳を上に突き出す愛奈ちゃん。


でもドキッとしたってことは、僕のこと異性として意識してくれてるってことだよね!?


真意は確認できなかったけど、告白成功の手応えは掴めた気がする。まだ愛奈ちゃんに相応しい相手とは言えないから、まだ告白はできないけど。


しかも僕がVSに付き合うんじゃなくて、お互いが切磋琢磨する仲になれた。


これで愛奈ちゃんの隣に1歩、近づいたよね?


「危なかったわ……。輝くんのかっこいいセリフに、好きって言っちゃいそうだった!」


「ん、なに?」


「な、なんでもないわ」


あれ、なんか呟いていたから聞いたら、そっぽを向かれちゃった。


久しぶりに、僕の名前を読んでくれた気がしたんだけど……


やっぱり、まだ好感度が足りないのかな?



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