Ch.1 城下の骸は血を啜る

「今でもネットワークは使えないのよ。正確には、作成してもすぐに機械兵に侵入されて破壊されるの。」


記憶を伝え終えた私は、彼らが『東京基地』と呼ぶ戦闘拠点に案内されることになった。

周囲を見渡してみても、私の知る東京の影はどこにもなかった。大地を踏みしめる足には、もはやそれが何であったかわからない物体が、冷たい感触だけを残していた。時折、風に運ばれた砂埃が顔にかかる。アスファルトで埋め尽くされていた昔では考えられないことだが、今では綺麗な直方体を探し出すことの方が難しい。


前方では獅子島しじまこまが楽しげに会話をしている。何もかもが変わった東京で、2人の姿は妙な懐かしさを帯びていた。

隣を歩くなきの顔には、絵画のように整然とパーツが並べられている。私の視線に気付いたのか、少し恥ずかしそうな表情を浮かべた彼女に問いかける。


「基地は近いのか?」


背丈の低い彼女は少し、顔を傾けて私に答えた。


「すぐに見えてくるわよ。」


そういうと彼女は細く、しなやか、それでいて筋力の見え隠れする右腕を前方に振り上げて見せた。肩から指先までをなぞり、そのまま人差し指の示す方角に首を捻ると、遠くに黒い山を捉えた。双眼鏡の倍率を合わせるが如く焦点を絞り、その全景を確認する。


「あそこは…まさか。」


「知ってるの?昔は国の中でも偉い人が住んでいた場所だって聞いたんだけど、本当なのかしら。」


未だ信じきれない光景を前に、首は中途半端に傾いた。それでも、その特徴的な作りを見間違えているはずもなかった。掘に囲まれた歪な石垣。ネットワークなど存在の欠片もなかった時代から、400年以上この国を支えてきた城郭。

記憶と相違ない形状を保ったその土地は、まさに神域であった。


しかし、近づけば近づくほど、変わってしまった点が目に入る。緑に覆われていた表面は鋼鉄の城壁により上書きされ、澄んだ水が流れていた堀は泥土の混ざったヘドロと化していた。気づけば、縮まった距離と比例するように歩幅は狭まっていた。


「着いたぞ!ようこそ、東京基地へ!」


すっかり開いてしまった距離を、ものともしない狛の声が空にこだまする。それに呼応するように、足取りを早める。いつまでも記憶に囚われ続けるわけにはいかない。常にペースを合わせて歩き続けてくれる啼の隣は、私にとって居心地の良い場所となり始めていた。


4人が揃ったところで獅子島が口を開く。


「ここは二層構造となっている。見えていると思うが、あの黒いドーム状の塊を内壁という。東京基地全体を花弁のように覆っている。そして今正面にあるのが外壁。」


そこまで話すと、獅子島は地面に対し垂直に伸びた外壁に手をかけた。


「中に入る方法はたった一つ、外壁の扉を外側から開け、橋を渡り、内壁の扉を内側から開けてもらう。単純だろ。」


言い合えると、ポケットの中から銀杏の葉に似た金属片を取り出し、外壁にある窪みにはめ込んで見せた。


「たしかに、旧時代にネットワークと呼んでいた通信手段は俺たちにはない。だが、代わりに長い年月をかけて研究されていることだってある。その一つが、この扉さ。」


なるほど、特殊な形状記憶合金といったところか。金属片に反応した外壁はその形を変え、人がちょうど通れる大きさに口を開いた。先頭を歩いていた獅子島が最後尾に移る。金属片を取り出すことで扉が壁に戻る仕組みのようだ。橋の欄干からは先ほどよりも鮮明に、茶色とも黒ともとれない水で満たされた堀を眺めることができた。


橋の中腹に差し掛かる頃、振り返れば扉はすでにその口を完全に閉じきっていた。


「壁の上空を超えられることはないのか?」

「うん、私は技術者じゃないから詳しくは知らないんだけど。壁の上を、一定の質量を持った物体が通過すると自動で攻撃してくれるんだって。時々、飛行能力を持った機械兵が攻撃を仕掛けてくることもあってね。すぐに私たちも出撃するんだけど、大抵は内壁から出る頃にはこの堀に沈んでるの。堀には溶解液が混ぜられているから絶対に降りちゃだめよ。」


啼のその答えは、私の逃げ場が既ないことをも暗に告げていた。もし基地で受け入れてもらえず、壁を越えて逃げようものなら即刻、このヘドロの一部と化してしまうのだろう。


「安心して、きっとうまく行くから!」


「ありがとう」

無理やり口角を上げて答えてみるものの、不安を拭い切れることはなかった。



内壁に到達すると、一寸の隙間もないかのように思えた黒のカーテンに、小さな空気穴が細かく開けられていることに気づいた。この空気穴を通じて中にいる衛士に呼びかけるのか。


口には出さなかったその疑問の答え合わせはすぐに行われた。


「狛だ!!帰ったぞ!!」


基地に向かって湾曲した内壁は狛が言い終えると同時に、先ほどのように口を開いて私達を迎え入れた。



「おう!帰ったか、いつもより遅いんで心配してたよ」

「悪いな!!避難民を見つけて手当てしてたんだ!」


壁の内側では既に衛士と狛が談笑している様子が見えるが、容易に近づくことなどできるはずもなかった。完全に立ち止まってしまった私を啼は心配そうに振り返っている。しかし、声は予想外の方向から私に降りかかった。


「俺たちを信じろ。お前を見て機械だとわかるような奴はここにいない。」


そういうと、獅子島は思わず振り向いた私の背中を押した。大した力ではなかったが、足を前に動かす言い訳にするには十分だった。



そうして私は、遂に東京基地に飲み込まれた。

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