女王の助言

 目の前に見えた両開きの扉を、何の考えもなく押し開く。薄暗く広い空間の向こう、一段高くなった場所に設えられた椅子に、緩く結われた白い髪と緋色のローブを優雅にまとった影が見えた。女王陛下だ。謁見の間に居るからか、女王リュスは頭の上に女王を示す王冠を乗せ、騎士叙任用の木剣を腰に佩いた姿で、玉座にきちんと腰掛けていた。


「どうした、ラウド? そんな格好で」


 驚きを含めつつ軽く笑う女王リュスの声には構わず、ラウドはまっすぐ女王の足下まで歩くと、床に跪いてマントから狼の留め金を外し、女王へと差し出した。


「これで何度目だ、ラウド」


 呆れたような女王の声が、耳をひっぱたく。顔を上げると、女王の白い笑顔だけが、暗い空間に明るく浮かんでいるように、見えた。


「その留め金は、そなたのものだ」


 その言葉と共に、女王の緋色のローブがラウドの視界に広がる。女王リュスはラウドを立たせると、ラウドの手から留め金を奪うように自分の手に取り、ラウドの左肩に留め付けた。リュスの白い首を飾る、ライラが身に付けているものと同じ首飾りに嵌められた赤い石が淋しげに光り、ラウドは思わずリュスから目を逸らした。


「この留め金は、そなたの痣と共に、そなたが背負うべきものだ。……逃げは、許さぬ」


 破かれたチュニックの裂け目から見える、ラウドの獅子の痣を指差し、厳しい声でリュスが言う。何時になく厳格な女王の言葉に、ラウドは背筋がぴんと伸びるのを感じた。そうだ。自らの運命と使命から、逃げてはいけない。それは、ラウドが騎士叙任時に立てた、隠された誓い。そして。


「妾は、そなた以外には狼団の団長は務まらぬと思うておる」


 女王の言葉ではなく、不意に見えた女王の優雅な笑みに、ラウドも思わず笑顔になる。


「妾が唯一、騎士叙任を拒否した人物だからな、そなたは」


 次の女王の言葉に、笑顔は苦笑に変わった。確かに女王リュスは、ラウドが十六の時に臨んだ最初の騎士叙任の式で、ラウドの騎士叙任を拒んだ。「新しき国を滅ぼしたい」。騎士になる理由を問われてそう答えたラウドを、女王は拒絶したのだ。「悪しき心は悪しき結果を生む」からと。女王から騎士になる理由を問われることは分かっていたから、ラウドは確かに、当たり障りの無い誓いの言葉を準備していた。だが、騎士叙任式では嘘はつけないと、先輩騎士も、師匠である騎士リュングも教えてはくれなかった。女王自身、ラウドの胸の裡を見抜いていたようだ。だから女王は、ラウドの騎士叙任を一度は拒んだ。隠されたもう一つの理由と共に。……ラウドの出自が、これから古き国で生きていくラウド自身の邪魔にならないように。「新しき国を滅ぼしたい」という理由は、騎士としては不合格だ。だが、古き国を守る戦士としては、特に問題は無い。ラウドが獅子の痣を持っている、即ち新しき国の王の血を受けている、古き国の敵方に近い人物であることは、ラウドの騎士叙任時に謁見の間にいた高位の騎士や辺境伯達は皆知っていた。そのラウドが、新しき国を憎み、滅ぼしたいと願っていることが分かれば、少なくともラウドのことを「敵である」とは認識しないだろう。その配慮を心の裡に隠して、リュスはラウドの騎士叙任を拒んだ。そのことをラウドが師匠リュングと義父ローレンス卿から聞いたのは、二度目の騎士叙任式で何とか騎士として認められてからのこと。そしてその時から、ラウドは女王に対し真に忠誠を誓う騎士となった。


 女王の言葉で、不意に、廃城に帰ってくる前に義父の許に出向いた時のことを思い出す。前の探索でレーヴェに捕まり、しばらくの間新しき国の王宮に留まる羽目になってしまったラウドは、レーヴェの母である前の王妃から、母は王宮を追い出されたのではなく自主的に去ったのだと聞かされた。それが本当なのかどうか、ローレンス卿に尋ねに行ったのだ。勿論、古き国の辺境伯であった義父が、ラウドが小さい頃の新しき国の王宮内のことを知っているはずがない。だが、少しずつ打ち解けていった母と義父だから、何かのタイミングで母が義父に話しているのではないか? ラウドのその予感は見事に当たった。レーヴェとの小さな諍いで頭に大怪我を負い、生死の境を彷徨ったラウドを見た母は、ラウドを救う為に、身重の身であるにも拘わらずラウドを伴って王宮を出た。そして新しき国を去った理由として嘘をラウドに教えることによりラウドに新しき国に対する憎しみをわざと植え付け、ラウド自身にも新しき国を憎む発言を許すことによって、敵国の王の血を受けているラウドに対する信頼感を古き国の人々に植え付け、古き国の騎士として生き延びることができるようにした。母の言葉をそのまま、義父はラウドに話してくれた。


 今は亡き母は、ラウドの為に嘘をついた。そして目の前の女王リュスは、ラウドの為にラウドの騎士叙任を拒んだ。それがあるから、ラウドは今、古き国の騎士として、狼の騎士団長として、生きている。ラウドの左手は無意識に、左こめかみに刻まれた傷へと伸びた。レーヴェによって付けられた、ラウドと母が新しき国を出て行くきっかけとなった傷。その傷に触れると、今でも、鋭い痛みが全身を走るような気がする。それでも、ラウドは、今、ここで、生きている。ラウドは少しだけ目を閉じた。そして。


「そなたは、妾の為に未来を覗いてくれた。そして妾の命を救ってくれた」


 女王の言葉に、静かに頷く。ラウドの『飛ぶ』能力を知っている女王は、かつてラウドに秘密の頼み事をした。古き国の滅亡を、未来で確かめてきて欲しいと。もしも滅びることが確実なら、悪しきモノを封じる為の力を未来へ受け渡す為に、未来で女王候補を探し、育てて欲しいと。ラウドは女王の命の通りに行動し、未来でライラという女王候補と、ルージャという騎士候補を見つけた。ライラやルージャと関わっている間に何故かルージャが歴史を変えてしまい、結果として女王が新しき国の王に惨殺されずに済んだのは、ある意味おまけ。だが。……おまけでも、女王が生きて今ここに居ることが、ラウドには正直嬉しかった。だから。


「これからも、頼むぞ」


 女王の言葉に、ラウドは今度はしっかりと、頷いた。

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