騎士のお仕事 3

 誰も居ない図書室でカルの記録を探し出して斜め読みしてから、図書室を後にする。しかしラウドの頭の中は、リヒトの言葉でいっぱいだった。


 百年ほど後の、ルージャやリヒトと同じ時代に、新しき国に所属する小さな騎士団の団長を務めながら古き国の騎士団の団長をも務めていたレイという名の男装の麗人は、リディアの子孫だ。リディアが子供を持たずに亡くなれば、レイも歴史から消える。それだけの、ことだ。それとも。……リディアがカルを助けて死んでしまったことは、歴史の流れから考えると『間違っている』こと、なのだろうか? その考えが脳裏に浮かび、ラウドは慌てて首を強く横に振った。例えリディアの死が間違っていることだとしても、ラウドには何もできない。リディアを助けることも、レイを歴史上に蘇らせることも、だ。古き国の騎士達が持っている『飛ぶ』能力はあくまでも、今居る場所の過去や未来に行くことができる能力。過去や未来のどの時点に飛んでしまうのかは全く無作為でラウド自身が制御できるものではない上に、今居る場所に、自身と縁のある人物が居たことが無い場合は『飛ぶ』ことができない。そして、……例え縁があっても、同時代の人間のところには、飛ぶことができない。過去や未来から『戻る』ことしかできないのだ。だから、カルを助けるリディアのところへ飛んで、リディアを助けることは、不可能。


 何もできない。そのことが、辛い。自分の無力さを呪いながら、ラウドは薄暗い廊下を歩いた。




 人の気配を感じ、顔を少しだけ上げる。ラウドの前方、薄暗い廊下の角の方に、白色の髪をした小さな子供が冷たい床の上にぺたりと座っているのが見えた。子供の方もラウドの気配に気付いたらしく、紅玉のような瞳でまじまじとラウドを見詰める。その顔立ちは、……誰かに似ている。


 微笑んで、子供の小さな身体を抱き上げる。左腕で子供の身体を支え、右手で子供の服の襟元を少し捲ると、ラウドの左胸にもある見慣れた獅子の痣、敵であるはずの新しき国の王の血を引く証である痣が小さく見えた。間違いない、この子は、アリが産んだラウドの子だ。ラウドの母の名を取ってルチアと名付けた、もうそろそろ一つになるはずの、女の子。こんなところで一人でどうしたのだろう? 泣きもせず、ただ大きな瞳で父親であるはずのラウドを見詰めるちびルチアに、ラウドはそっと笑いかけた。赤ん坊が珍しいのか、騎士団内の子供好きが男女問わずルチアの世話をしてくれるのが嬉しいと、前にアリがラウドに話してくれた。しかし今はルチアは一人でここに居る。皆忙しいのだろうか? それとも、魔法が掛かっている城内で迷ってしまったのだろうか? どちらにせよ、残念なことに赤ん坊の世話をしたことが無い、ある意味ダメな夫の典型であるラウドの手には余る案件だ。とにかくアリを探そう。ラウドは左腕にルチアを抱えたまま歩き始めた。子供を抱えて守りながらいかに戦うかを考えることも、騎士として必要だと、思う。


 自分の父親であると認識したのか、ラウドの胸にぺたっと張り付いたルチアの温かさに、愛しさと切なさを感じる。ラウド自身は、父親にこのように抱っこされた記憶が無い。実父である新しき国の王は政務や戦いで忙しく、ラウド自身彼を目にしたことは数えるほどしか無い。母がラウドを連れて新しき国の王宮を去り、放浪の末に古き国の貴族、隼辺境伯ローレンス卿の後妻となった時には、ラウドは既に、義父に甘えられるほど幼くはなかった。そんなラウドが父親となり、娘を抱いていることに、ラウドは正直戸惑いを感じていた。自分が父親で、良いのだろうか? ちびルチアに初めて対面した時と同じ問答を、繰り返す。古き国の騎士として、何時命を落とすかも分からないのに、この子を守ることができるのだろうか?


「難しく考えないでください、ラウド様」


 妻となってもラウドのことを従者時代と同じように『様』を付けて呼ぶアリはその時、悩むラウドに言った。


「古き国と、女王を守ることが、この子を守ることになるのだと、私は思います」


 アリの言葉通りで、良いのだろうか? 右手でそっと、ちびルチアの白金色の髪を撫でる。この温かさを、ずっと抱いていたい。この時初めてラウドは心から、ルチアを愛おしく感じていた。

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