第4話 夜空

 アマノは私の隣に立って、ベランダの柵にもたれかかった。遠くに広がる夜景は、どうしてか彼によく似合っていた。


「夜はいいですよね。静かで、暗くて、どこか死の香りがして」

「……最後のは、よくわからないわ」

「まあ人間にはわからないでしょうね。俺はこの香りが好きなんですよ」


 アマノはポケットに手を突っ込んで、うっすらと笑う。そのつり上がった口角までもが、美しかった。

 彼はそっと、口を開く。


「それで加耶さん、俺に何の用事ですか?」


 アマノは飄々と、私に尋ねた。

 私は目を伏せながら、ぽつりと言葉を零す。


「……私、どうするべきなんだろう」


 一度零してしまえば、溢れるのは簡単だった。


「わからないの。死ぬっていう未来だけが纏わり付いて、辛い。だから色んなことを考えてしまうのに、これからどうしたらいいのかが、結局わからない。アマノは、何が正解だと思う……?」


 アマノはくすりと笑った。多分それは、嘲笑の色を含んでいた。


「さあ、そんなことを俺に聞かれても困りますよ」

「アマノは答えを知っているんじゃないの?」

「そもそもこの問題に、明快な答えなんて存在するとお思いですか? 貴方はまず、そこから間違えていますよ」


 意地悪な返答をされて、私は小さく俯いた。


「……だって。どうせアマノは色んな人に、貴方はもうすぐ死ぬんですよ、って伝えて回っているんでしょ?」

「まあ加耶さんが初めてではありませんが、誰彼構わず言っている訳ではないですよ」


「それなら、そういう人たちがどうしてきたか、知ってるんでしょ……? 教えてくれたっていいじゃない。私今、苦しいのよ」

「それは可哀想に」


 同情など全く感じさせない声で、アマノは告げた。それから私の方を見て、口を開く。


「先ほど述べたように、正解なんてないです。でも貴方は間違いなく、死ぬ。……どうせ死ぬんですから、重要なのは、残される人たちにどうなってほしいかでしょう?」


 アマノの言葉に、私は目を見張った。

 残される人たち。

 多分そこには、色んな人がいる。

 でもやっぱり一番に思うのは――今共にいる、家族のこと。

 塁人と、茜音のこと。


 私は歯を噛みしめて、二人のことを思う。私は今ベランダにいて、二人は今家の中にいる。そういう線引きが、そう遠くない未来に確かなものになって、私たちを引き離すのだろう。

 私は両手を、ぎゅっと握りしめた。


「……私は、」


 震えてしまう自らの声を聞きながら、私はアマノと向かい合った。


「私は二人に、笑っていてほしい。ずっと、笑顔でいてほしい。私が死んじゃうことなんて、どうでもいいって、思ってほしい……」


 涙が溢れそうになってしまう。でもアマノの前で泣くことが何だか嫌で、だから私は、必死に堪える。


「へえ、そうですか。正直、難しいと思いますけれど」

「そんなことない。……まだ、三週間も残ってる」

「それがどうかしたんですか?」


 不可解そうな顔をするアマノに、私ははっきりとした声で告げる。



「……私は残りの時間を使って、二人に嫌われようと思う」



 アマノは驚いたように、微かに目を見開いた。彼がそんな表情を浮かべたことが、少しだけおかしかった。

 少し経つと、アマノはいつものような涼やかな笑顔に戻っている。


「そうですか。まあせいぜい、頑張ってみたらいいと思いますよ」

「うん。……またね、アマノ」


 私は身を翻して、部屋の方へと歩き出す。さようならという声がしたから振り向くと、そこにはもうアマノの姿はなかった。この夜の世界に溶けて、なくなってしまったみたいだと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る