第8話
そのあと綾瀬は一緒に冷蔵庫にあった朝ご飯を食べた後に学校に向かった。どうやら厳格な学校らしく、丸一日の欠席にはそれ相応のペナルティがあるとのこと。
俺も綾瀬を見習って学校に行こうと思ったがやはり足が重く外に出ることはなかった。
そして何もせずに夜を迎えて俺は一人思慮にふける。ちなみに食事は綾瀬の作り置きを昼夜としっかり食べた。
「なんというか、綾瀬は見透かしてるよな」
綾瀬とは出会い方こそ衝撃的で猟奇的だったが、冷静になって話してみると相手を見通すように意味ありげな発言ばかり残している。俺に対しての偏愛は意味不明だが彼女の見ている世界は俺よりもずっと聡明だ。
「俺は綾瀬のことをなんも知らない」
綾瀬について分かっていることは二つ。生まれたときからの殺人衝動を持っているということと、俺に対して異常に愛情を持っているということ。そして、殺人衝動か俺への好意を無くすことを約束した。
「だけど、あの時泣いてたんだよな綾瀬」
俺が綾瀬の殺人衝動に付き合うといった時に、彼女は確かに泣いていた。それは見せかけや俺の同情を誘うようなものじゃない。ならばあの時の涙はどういうことだったのか。
「何か、ありそう、なんだけどな…」
今日は学校もさぼって体もほとんど動かしていないというのに、急激な眠気が襲ってくる。相花と綾瀬の来訪は俺にとって心の負荷になっていたのだろうか。
「明日、また、かんがえるか…」
今日はもう活動限界らしい。端に寄せてある布団を引き寄せてその上に転がり込む。余計な思考すらままならないまま俺の意識は奥底へと沈んでいった。
***
俺は俺を捨てた母親を憎んでいる。
父親は俺が生まれたときにはこの世にいなかった。交通事故だったそうだ。
だが俺は父親がいないことを不幸だなんて思ったことはない。片親なんていくらでもいるし、本当につらいのは俺じゃなくてあいつの方だ。
それでもあいつは女手一つで俺を育てた。再婚もせず、ただひたすらにパートの仕事と育児に専念して俺を10年間育て上げた。そのことについては感謝している。だが。
そんな小学五年生のころだ。いつものように家に帰るとそこには黒いスーツを纏った大人が数人。ほとんどは外国人の顔立ちで見るからに普通の大人ではなかった。
扉を開けた音に反応した大人たちはドシドシと俺の方に向いて近寄ってきた。大人たちの目的は俺だったようでなすすべなく捕まってしまった。
それでもあいつは俺を眺めるだけで動こうとはしていなかった。
たすけてっ!
俺は必死に叫んでいた。あいつに向かって。
たすけてっ!!!!!
意味がなかった。
そして、あいつは最後にこういった。
『ごめんね、
それが、俺の名前の由来を知る理由になった。
***
「……っは、っはぁ、はぁ…」
突如として意識が覚醒する。嫌な悪夢を見た。もう二度と見たくない光景だったのに今になって思い出すなんてな。
それも全部綾瀬が変なこと言うからだ。人を嫌えないだとか変なこと言ってないで自分の心配をすればいいんだ。俺は綾瀬に伝わるはずのない悪態をつく。
「…俺の眠りの邪魔すんじゃねえよ」
「ええ、ごめんなさい」
…幻聴かな。室内は暗くてよく見えないが左側から聞き覚えのある声が聞こえた。
「……俺も病院に行った方がいいな。幻聴はさすがにヤバいぞ」
「幻じゃないわ。本物よ」
「幻はみんなそうやって言うんだ。俺、知ってるもん」
「寝ぼけているなら今のうちに出ていこうかしら」
「……なんかこんな感じのやり取りつい最近したよな、綾瀬」
声の主は綾瀬日和だった。夜に会う彼女はあの時以来だが、今日は理性を保っている様子。
「さて、私はここで失礼するわ」
「待て待て待て、お前何でここにいるんだ。え? 鍵は? 目的は? 何でここにいるの?」
ようやく頭が回り始めた。そして同時に迫りくる恐怖。え、そこら辺のホラー映画よりも数段ホラーなんだけど。俺起きなかったら死んでたかもしれねえ。
「……須藤君の寝苦しい声が聞こえたから様子を見に来たのよ」
「嘘だな。今日の内に盗聴器は外したし、今のお前の声は自信に欠けている。あと鍵はどうした鍵は」
綾瀬の目的を知るまでは帰すわけにはいかない。だが、一つ言えることがあるとすれば殺しに来たわけではないのは言える。さっきまで寝ていた俺であればいつでも殺すチャンスはあったはずだ。
「殺しに来たわけではないわ。殺す機会はあったのに殺してないのが証拠よ」
「俺の考えを読むな。逆に怪しいだろうが」
「須藤君を殺しに来たのだけれど、寝顔を見ていたら殺す気は失せたわ」
「極端だなお前…。それで? 本当の理由はなんだ?」
「…そうね、言っても怒らないかしら?」
「先生は怒らないから言ってみなさい」
「相花さんが須藤君を殺しに来るんじゃないかって思って心配になったのよ」
つまり、俺の身を案じてということか? 俺を殺したいとは思っているが他の誰かではなく自分の手で殺したいと思っているということになる。
「合鍵は引き出しからとっておいたわ。須藤君が不用心だから私が預かっているのよ」
「悪用している時点で信用ガタ落ちだけどな」
ただまあ、それなら理由にはなる。鍵の件は絶対に俺の家に忍び込む手立てだろうが、綾瀬が俺に何もしてないのなら何もとがめることはできない。いや住居侵入罪にはあたるだろうけど。
「…そうか。ならさっさと帰れ。今の俺には綾瀬のほうがよっぽど脅威だわ」
「帰るわけにはいかないわ。私の目的はまだ果たされていないもの」
「目的って、別に俺は相花に殺されてないから大丈夫だぞ」
しかし、綾瀬が放つ言葉はいつだって突拍子もなく心臓に悪いということを、俺はまだ理解していなかった。
「須藤君、一緒に寝てもいいかしら?」
マジ? いやいや冗談だろうと思っていたが、発言をした張本人である綾瀬さんは暗がりの中でもはっきりわかるほどリンゴのように顔を真っ赤にしていらっしゃる。
「…こっちだって恥ずかしいのよ。返答くらいしたらどうなの」
「あー、んーー、理由をお聞かせもらっても?」
「……相花さんがいつ殺しに来るか分からないからよ。 というかもうちょっと一緒に…」
最後の方の言葉は途切れていたが意味合いは伝わった。ここまでまっすぐにアプローチされたのは初めてで、俺の心臓はドクドクと強い脈打ちを始めている。
ただまあ、どんな美少女でも殺人鬼だったらさすがに自分の命を優先してしまうわけで。
「ごめん、無理」
「…………そう、ならここでふて寝を決めこむわ。朝まで起こさないでね」
綾瀬は座っていた体勢から俺の布団の中へ入り込もうとするので、俺は逃げるように布団から畳へとスライドする。
「おい、俺はどこで寝ればいいんだよ」
「私の隣」
「無理言うな。…綾瀬は意外とわがままなんだな」
「今の私をさらけ出せるのは須藤君だけだもの」
「今まで寂しかったのか?」
「そうではないわ。たとえ殺人衝動があったとしても私は今までと変わりないと思うから」
……? 何か引っかかるが具体的に何が違和感なのかを言語化することができない。
「綾瀬は学校ではどんな風に過ごしてるんだ?」
その違和感は一度おいて、質問するのは単純な興味、もあるが俺は綾瀬のことを詳しく知らないので一度ゆっくり話してみたいと思っていた。
「さあ。私はごく普通に過ごしているわ。須藤君が聞きたいのは私に対する周りの評価かしら」
「それもあるが…。そうだな、部活動とか入っているのか?」
「入っていないわ。生徒会に推薦されたことはあるけれど、大して興味なかったから断ったわ」
「綾瀬らしいな」
「よく言われるわ」
「……家族はいるのか?」
「父と母、私の3人家族よ」
こんな質問は日常で普通に使われる。だが、それでも俺にとっては思うところがある。それは羨ましいとか、逆に嫉妬とか言った感情を持ってではないはずだ。
「須藤君は母親は居ないのね。父親は?」
「俺が生まれる頃にはいなかったらしい」
「そう……。はっきり言うけれど同情するわ。私は確かに両親愛されて生まれて来たのを自覚してる」
声のトーンを落として静かに喋る綾瀬。彼女は本当の意味で同情しているのがよく伝わってくる。ただ、今の俺にとっては無駄な気遣いだ。俺自身が、それを不幸だなんて、思ってない。
「私が何か出来る訳では無いけれど、須藤君には……、須藤君?」
「……ん? ごめん、ちょっと眠くなってきた」
さっきのような眠気がまたぶり返してくる。隣には綾瀬が居るっていうのに緊張感のないやつだ。
「そう、今日はこの辺にしておくわ。畳で寝るのは体を痛めるわよ」
「お前の方に、誰が行くかよ」
「私はすぐに帰るわ。ほらこっちに来なさい」
そう言われると畳よりも布団で寝たい欲が出てくる。ここまで眠気で思考力が奪われるのは初めてで、自分の体が自分の意思で動いている感覚がしない。
「ええ、ここで寝る方がいいわ。今日はちゃんとおやすみなさい、須藤君」
ダメだ、俺はもう布団の中に体を潜り込ませたらしい。綾瀬の一言がダメ押しとなって俺は最後の意識も手放した。
「……それとごめんなさいね。また救われたわ」
その謝罪は小さな部屋を反響するも、俺の耳には届かなかった。
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