第5話
プリント俱楽部、略してプリクラ。陽キャなギャル集団がするイメージがあるが最近ではカップルでの需要もあるとかないとか。
「…綾瀬には必要なくない?」
「どういうことかしら」
「いや、プリクラって承認欲求が高いけど自分の顔に自信がないやつらが加工という武器をつかって満足したいからするようなもんじゃないの?」
「…須藤君は意外と偏見が強い人間なのね。あと一応否定しておくけれど、私はシールとしての機能が便利だと聞いたからやってみたいと思ったのよ」
そういうもんなのか。俺は自分の変形された顔を残しておこうなどという愚行はしないけど…。まあもとをただせばただの写真だしな。そういう人もいるだろう。
「そうか、ならやってくればいいんじゃないか? 俺はここで待ってる」
「そういう小ボケはいらないわ。ほら行くわよ」
「ちょ、ちょっと待て。俺は割と本気でしたくないんだけど。腕掴まないで痛い」
「何を恥ずかしがっているのよ。ただの写真じゃない。須藤君は写真を撮られると魂まで抜かれると思って言うのかしら」
「いつの時代だよ…。俺はただの写真が嫌いなんだよ察してくれ」
「察したわ。そのうえで行きましょう」
「察したなら行動で示してくれ…」
なんとしてでも写真を撮りたくない俺 vs なんとしてでも一緒に写真を撮りたくない綾瀬。一緒に取りたいと言ってくるあたり、彼女もちゃんとした女子なんだなと意識させられる。あれか? 記念とか思い出を重視するタイプか。素の状態でも重いじゃねえか。
「…そんなに私と撮るのが嫌なの?」
不意に上目遣いで誘惑してくるが臆したりはしないかわいい。困り眉に微かに潤んだ眼。これを天然でやっているのなら恐ろしすぎる。いや人工でも十分恐ろしいが。
「えっ、い、いや。綾瀬と撮るのが嫌なんじゃなくてだな。俺自身が写真が嫌いなんだよ。分かってくれ…」
「そう、なら言ってあげるわ。須藤君の顔は変じゃないわ。自分にひどく嫌悪しなくていい。あなたはもっと自信を持った方がいいわ」
かなり本気で心配されてしまった。まあ確かにその要素もあるのだが、問題なのはそこじゃない。そこじゃないんだ。
…でもまあ、それも克服しなきゃいけないのか。
「わかったわかった、これ一回きりだぞ。俺は二度と撮らんからな」
「昭和の大黒柱みたいね」
***
「モード選択なんてあるのか。もちろん友達モー」
ぽちっ
横からスッと伸びてきた手に全く反応できなかった。あれ? こいつ今押したのって。
「もちろん恋人モードよ。これしかないわ。私たちにピッタリね」
???
『最初は指でキュンのポーズ~!』
「ほら始まるわよ。最初は指でハートを作るらしいわ。須藤君早く」
綾瀬の勢いに圧倒されて一緒のポーズをとってしまったが未だに状況が理解できてない。
『次は二人で手をつないでラブラブをアピールしよ~!』
え、なにこれ始まってんの? 手なんか繋げないって無理無理無理。
「ほら須藤君手を出して、あと5秒よ」
強引に手を掴まれたままシャッター音が聞こえてきた。その音が俺の頭の中に入った瞬間すべて理解してしまった。
「お前、謀ったな」
「ええ、合法的にイチャイチャできるのはこれしかないもの。あと名前で呼んで。ほら次よ」
『次は抱き合って二人の愛の確認~!』
何が愛の確認だ。この妙に甘ったるい猫なで声もなぜかイライラする。やはり俺のような人間がここにいるのは場違いなのかもしれない。
「確認するまでもないわ。ほら須藤君、いつでも」
「いけるわけないだろ! 綾瀬、今からでも普通の写真を撮ろう、な?」
綾瀬は両腕を広げて受け止めるポーズをしているが、そこに飛び込む勇気は俺にはない。
「嫌よ。私は本気。こうするしかないわ。こうでもしないと須藤君は……」
何言ってるのか聞き取りづらいが真剣なことは伝わってくる。だが俺もそう簡単に引くわけにはいかない。
そうこうしているうちに三回目のシャッター音。画面を見ているとあと一回あるらしい。ここは地獄か?
『最後は二人でキッス~!』
ちょっと過激すぎやしないですかね。もうこれは環境型セクハラといっても過言ではないだろう。なんて冷静に現実逃避を行う。
「……須藤君」
さっきまで盛り上がっていた綾瀬は急に冷めたのか虚ろな目でこちらを見てる。
「そ、そうだよなさすがにこれはできな…、綾瀬?」
綾瀬は何故かうずくまってワンピースの中を物色している。彼女のまとう空気は先ほどまでの楽し気な感情を微塵も感じさせず、黒く、冷たく、重い瘴気。これは、どこか既視感がある。それはそう、昨日の殺人鬼のような。
「今度は逃がさないわ、須藤君」
一言。ぽつりとつぶやいた言葉は手に持っている包丁の存在にかき消される。まぶしいほどの照明で照らされた凶器は俺の命を確実に狩ろうとしていた。
そうだ、綾瀬は普通の人間ではない。俺に強烈な殺意を持つ異常者だ。今日は普通の女の子として接してきたが、本来はそういう関係ではないのだ。
本当は、綾瀬を否定するのが正しい。いや否定しないといけない。俺も殺されたくはないし、彼女自身も殺したくはないと言っている。距離を置いて、関係を断ち、二度と会わないことが正しいのだろう。
だが、俺は綾瀬とここにきている。彼女を否定するためではなく、彼女を断罪するためでもない。だったら、俺は彼女を止めないといけないな。
綾瀬日和を止める方法。何の根拠もないし、成功するかもわからない。だけど、一つ思いついた。こんな場所じゃないと思いつかないけど、こんな場所だからできること。
「綾瀬。目を閉じろ」
「…へ?」
一歩、綾瀬との距離を詰める。狭いプリクラの中ならそれで十分だった。構えた彼女の右手を抑えつつ、俺はさらにその距離をゼロへと近づける。
二人の顔はすでに息遣いが感じられるほ近づき、お互いに目を閉じる。綾瀬の右手を掴んだ手には抵抗がなくなり、これを受け入れるのだろう。
だからまあ、プリクラの機械に従うだけだから。
カシャッ
小さな二人だけの箱の中でシャッター音が響き渡る。
『おつかれさま~! 外の機械で加工してね~! ばいばーい~!』
最後まで甘ったるい声が聞こえてくるが二人の耳には一ミリも入っていない。
そのポーズ、いや行為はまさしくカップルを象徴するものだった。俺は綾瀬にキスをしたのだ、……頬に。
「……」
「……ひよってないからね? 元からそういうつもりだったから。マジマジ」
「…私、また須藤君を殺そうとしていたのね」
顔を俯かせて暗い表情をする綾瀬。さっきまで楽しんでいた姿とは違って、ひどく落ち込んでいるその様を見るのは忍びない。しかし、それは俺が追う責任ではないのも事実。
「包丁を持った時はびっくりしたけど二回目だったからな。なんか冷静だったわ」
「そう、迷惑をかけたわね…」
なるべく気にしてないよという雰囲気を出すために明るく言ったつもりだが、綾瀬には届いていない。なら気遣いは無用だろう。
「なんで暴走したのか分かるか?」
「分からないわ。須藤君と口づけする未来を考えていたらこうなっていたわ。恥ずかしいことに」
「元に戻ったのもなぜか分からないか?」
「そうね、でも須藤君がキスしてくれたのは嬉しかったわ…」
「やめて、今記憶の端に追いやってるところだから」
綾瀬は自分の暴走を制御できていない。もしかしたら感情が高まったりとか他の要因もあるのかもしれないが、それでもその原因を調べるのは今後の関係の上で大事になってくるだろう。
「なあ、綾瀬。もしかして…」
「ちょっと待って須藤君」
質問をしようと思っていたところに綾瀬が止めてくる。暗い表情のまま、遠慮がちに。
「悪いのだけれど今日は解散にしてもらえないかしら。ちょっと、今の私じゃだめだと思うから」
「だめってどういう意味だ?」
「そのままの意味よ。たった今、私は須藤君を殺そうとしてしまった。そんな状態で、須藤君と一緒に入れないわ」
「別に、俺は気にしない」
「私が気にするのよ。私と須藤君は対等なんかじゃない。私は、わたしは…」
続く言葉は綾瀬の口からは放たれなかった。それでも彼女の言わんとすることは分かる。
「でも、今の出来事は今日話しておくべきだ。後日にするのはいいとは思えないぞ」
「…なら、一つ言っておくわ。須藤君を傷つけるかもしれないけれど」
そういって綾瀬は一呼吸置く。俺を傷つけるというのはどういうことか分からないが、彼女の考えていることは知っておかないといけない。
「須藤君は、家で決めたことを覚えているかしら」
「家で言ったこと?」
「ええ、今後の方針で須藤君は私に嫌われるようにすると言っていたわ」
「それが、どういう…」
「それでも、今日のデートで分かったわ。須藤君は本質的に人を嫌うことができない。だからこそ私に嫌われる行動ができない」
「…嫌うことができないことと、嫌われることができないことは関係ないだろ」
「同じよ。嫌いになれない人は嫌われたくない人なのよ。須藤君は、私を嫌うことができない」
綾瀬が意を決して言った言葉はよくわからない。それで俺が傷つくということも理解できない。
「…だったらなんだよ。何が言いたいんだ」
「須藤君は私を嫌うことができない。これは今日分かったことだけれど、それだと方針とは矛盾しているのよ。嫌われたい癖に嫌うことができない。それって歪なことよ」
「須藤君は私に対して無理をしている。それが分かったから、今日は解散にするのよ」
俺が綾瀬に対して無理をしている? はっきり言ってそんなことはない。だが彼女の言っている言葉は何故か俺の胸にストンとはまった。何かのピースが埋めてくれたように。
「言いたいことは言ったわ。またね須藤君。もう少し落ち着いたらまた会いに来るわ」
そう言葉を残して立ち去る綾瀬の姿はひどく震えていた。その表情も感情も読み取ることはできないが、それはおそらく…。
『写真をプリントするよ~! ご利用ありがとうございました~!』
出てきたシールには楽しそうな綾瀬の姿と引きつった笑いの俺が映っていた。
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