第3話
「さて、これから一緒に住むわけだけれど二人のルールを決めていきましょうか」
いつものすまし顔で、さも当然だというような表情の黒髪美少女。既におなじみになりつつあるこのとぼけ顔。
「なんというかつっこむのも疲れてきたな…」
一般的な人間が言ったなら意図してボケていると思われるだろうが、この綾瀬日和に関しては一概にそうは言えない。
「ええ分かっているわ。乙女な須藤君のことだから女子と住むのは抵抗があるのでしょう。乙女な須藤君なら」
「ただただ俺が寝首を搔かれるんだよ。殺意ある人間を招き入れるほど俺は甘くない」
ちなみに彼女の言ったことは否定しない。いや、ほら、美少女と住むのはちょっと心の準備がね?
「それでもルールは必要だと思うわ。ある程度自分を戒めるようにしないと今夜にでも襲いに行くと思うわ」
確かに彼女の言っていることは分かる。おそらく殺人衝動をどうにかするには発散するか抑制が必要だ。その中でも抑制に関する部分では彼女の意志力にかかっている。
「襲うのは勘弁だが、ルールって具体的にどうするんだ? 包丁を持たないとか接触を控えるとかか?」
「それもそうなのだけれど、ほら私たちまだ出会って二日目でしょう? 少し外を出歩かないかしら」
「別にいいけどそれがルールとどう関係すると?」
「須藤君のことを知らないと勝手にルールを作ることもできないわ。やっぱり須藤君を中心に私は生きているから須藤君のことは把握しないといけないわ。あと昼ごはんを買うのか外で済ませるかもついでにね」
中身のない冷蔵庫を指さしながら意外としっかりとした理由を挙げてくる。やはり綾瀬日和の基本的な人格は常識人なのだろう。ただ俺に対する諸々が異常なだけで。
「それと須藤君との初デートだから一回家に帰るわね。着替えてこないといけないわ」
「で、デートって…。俺はそんなつもりは」
「須藤君はそう思っていなくても私にとっては大事なデートなのよ」
ほんのりと頬を赤らめて微笑を浮かべる綾瀬日和は、さながら恋する乙女だった。
***
誘われた場所は家から20分かかるショッピングモールだった。ただの料理の材料を買うだけならば近場のスーパーでもいいと思ったが、彼女にとってはデートの要素がだいぶ大きいらしい。
川沿いの遊歩道にあるよくわからないモニュメントの前が、二人が決めていた待ち合わせ場所だったがどうやらその周りが騒がしい。
「ねえねえ、君今一人なの? これから予定ある?」
「その服センスいいね。ちょっと教えてほしいことがあるんだけど」
「ぜひ、ぜひともうちの事務所に…」
近づいていくと複数人の男が何かを話をしている。おそらくナンパなのだろうが人生で初めてナンパしている現場を目撃したので少し興味がある。
しかしそんなに声を掛けられるのはさぞ美人なのだろう。若干予想はついているが、今はこの男たちの顛末を見届けるとしよう。
「ごめんなさいね。殺すのは大好きな人だけと決めているのよ。これから彼と会うのに私を血まみれにしないでくれる?」
…うわぁ。今の言葉完全に脅迫罪だぞ。法治国家ジャパンなら一発アウトだよ? ほら男たちも口パクパクして状況理解できてない。
「とにかく群がらないで。彼が気まずそうに様子をうかがっているわ」
バレてるし。高感度センサーでも搭載しているのだろう。おそるべし。
着替えてきた綾瀬日和はさながら下界に降り立った天使だった。白のワンピースに黒のベルトを着けていて彼女のスタイルの良さが前面に出ている。肩から小さなポーチがかかっていて、形容できないオシャレさが醸し出されている。
しかし、今はそれが仇となっているようだ。
「あの、すみません。こいつも害意はないんですけどね。どうかここは許してやってくれませんかハハハ…」
「何言ってるのよ。須藤君があと少し来るのが遅かったら服を着替えなきゃいけなかったもの」
暗に殺す宣言をするな。さっきは意外と常識あると思ったがそんなことなかった、前言撤回だ。この女、恐ろしい。
ここは何事もなかったかのように立ち去るべきだろう。そーっと彼女の手を取ってここから抜け出そうとするが、一人の男に肩を掴まれる。
「お、おい待てよ。お前みてーな冴えないやつがこの子とどういう関係なんだよっ!」
唾を飛ばしながら声を荒げる金髪の男。正直今の俺の心の中は恐怖で埋め尽くされている。最悪の展開になる前に穏便に済ませないといけない。
「すみません今急いでいるんで、病院にお見舞いにいかにといけないんですよ。じゃ、そういうことで」
男の手を振りほどき一つ会釈をしてこの場をあとにする、が。
「質問に答えろよ! どういう関係なのか教えろよ!」
今度はがっちり腕を掴まれてしまった。というかそんなに関係性が重要なのか? こいつが何で必死になっているのかが分からない。しかし、それでも穏便にしないといけない。
「…ただの友達だ。それ以上でもそれ以下でもない。だからはやくそこを…」
突如、右手に違和感を覚える。ふと視線をやるとそこには握っている少女の手。しかし、その握る力はおおよそ一人の少女が出せる限界を超えていた。
「そうね、ちょっと浮かれていたわ。初めてのデートだし、初めて手をつないでくれた。これだけのことでここまで心が躍動したのは初めてだわ」
「え、ちょ痛い痛い」
「それでも、須藤君にとってはただの友達。私はそこら一般の有象無象と変わりはないのかもね」
「それは無い、一般の有象無象が殺人鬼だったら日本崩壊してる。だからちょっと手を放して…」
「そこの金髪、あなたには感謝するわ。私を冷静にしてれたもの。私は須藤君にとって友達でしかない。浮かれていたのは私だけだったみたい」
「え、あっ…」
先ほどまでの彼女とのオーラの違いに、周りの人間は何も言うことができない。彼女の一帯には黒い瘴気にまみれている。
「でも、今のこの気持ちを発散するにはどうすればいいのかしら。あいにく、私には一つしか知らないのよ…」
そう言うと彼女は肩から掛けていたバッグの中身を右手であさる。周りの人間が呆然としているが、俺には分かる。今の発言から察するにかなりやばい状況だということを。
「お前っ…!、それはやめ」
気づいた瞬間には彼女の手はバッグから弾かれていた。一直線に金髪の男の方角に足を運び、しならせた腕を男の喉笛へと伸ばしきる。
「ひ、ひぃっ」
彼女の手には何も持っていなかった。銀色に怪しく光る包丁はなかったが、この場に居た誰もが、確かにその凶器の影が見えただろう。
「彼との時間を邪魔する人は許さないわ。たとえただの友達でも、彼と過ごす時間は大切なものなの。分かったらすぐに立ち去ってくれるかしら」
普段よりも低い声で相手を圧倒する綾瀬日和。その声の裏には隠し切れない怒りと不満、そして寂しさが含まれていた。
***
その後俺たちはモニュメントの前を離れて、少しの距離を歩いていた。その間はずっと黙っていたが、綾瀬日和の顔は後悔しているようには見えなかった。
「…そういえば、服、着替えたけれど似合っているかしら」
「今さら言うことでもないけど異常なほど似合ってる」
黙っていた後の一声がこれというのは実に彼女らしいというべきか。それともあえて和ませるために言っているのだろうか。とにかく会話を続けないといけないので柄にもなく褒めの言葉を口に出す。
「そう、じっくり考えてきてよかったわ」
「そうか……、ところで…えっと包丁は置いてきたのか?」
会話が下手だな俺。直球で相手の懐に投げ込んでしまった。
「持ってるわよ。あんなところで包丁を出したら騒ぎになるでしょう」
本気で言っているのか冗談で言っているのか判別できない。いや、やはり本気で入っていないのだろう。
「お前、なんで」
「日和」
「は?」
「名前で呼んで」
「…なんでだよ」
「友達ならお前、なんて言わない」
「……」
「乙女な須藤君のために綾瀬でもいいわ」
確かに今までお前とかこいつとか呼んでいた。しかし今日ではっきりわかった。こいつは、いや綾瀬は本気で俺と仲良くしたいと思っているのだろう。
『あなたは、あなたを大事にしてくれる人を大切にしなさい』
忌々しい誰かの言葉が脳内を駆け巡る。そんな言葉は言った本人が実践すればいいものを。でも。
「分かった、綾瀬。正直友達でもないんだがこれからなるかもしれないという可能性を込めて、呼んでやるよ」
「ふふっ、素直じゃないのね。でもいいわ今はそれでいいわ、今はね」
「さて、デートの続きをしましょうか。須藤君っ」
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