第2話 「皆」

うちに来る「皆」は食いしん坊だ。美味しいものをよく知っていて、スーパーに行くのが大好き。あれが美味しいよとか、これが食べたいとかうるさいうるさい。おかげで、余計に色々買う羽目になる。まあ、お値打ち品を作っておいてくれるのはありがたいけれど。


問題なのは、入れ替わり立ち替わりで私に食べさせることだ。何回も食事してしまうこともある。


基本「皆」は食べなくてもいい。お供えされたら食べる。それも少しでいい。自在に増やしてみんなで食べたり飲んだりしている。この前、お酒を供えたら、いつのまにかお猪口も人数分に増えていた。

食べると言うとちょっと語弊があるかもしれない。そのエネルギーを摂取すると言うのが近い。

そうすると物によっては味が変わる。特に日本酒は味が変わる。まろやかに美味しくなる時もあれば、もはや酒とは言えないものになる時もある。

我が家では「皆」をもてなすためにご馳走を並べることももちろんあるが、時には、悪霊の類を上げるためにご馳走することがある。そんな時の料理は、全て食べられないほど不味くなる。


私と母は、食事の時に、皿にわっと手が伸びてくるのが見えてしまって食べる気が失せることもある。だいたいはそれがひと段落ついてから箸をつけることになる。そういう時は何も知らずにパクパク食べている家族が羨ましい。


「皆」は神社から神社へはまるでワープするように飛べるというが、縁の無い所には行けないようだ。だから、私が出かけると楽しみについてくる。車と並走してくるから見る人が見たら面白い図だ。

ある時、コインランドリーに行くと言ったら、遊園地のような所と思ったらしく、ついて来た。洗濯物と一緒にドラムの中に入ってクルクル回って大喜びしていた。こういう時は10センチくらいになれる。自在に小さくなれるのは便利だ。以来、コインランドリーには必ずと言っていいほど一緒に来る。


便利といえば、出かける先の天気を良くしてくれることだ。旅先で滅多に雨にはあうことはない。行き先の暑い寒いを教えてくれたり、こんな土産物があっておすすめだとかの情報もくれる。たしかにその土地にしかない珍しい物だったり、美味しいものははずれがない。おかげでいつも大量にお土産を買ってしまうことになる。


瑞原さんたちと神社巡りをし始めた頃、行き先を決めるか決めないかのうちに、我が家に挨拶に来られた神様がいた。うちにはこうして色々な神様がよく訪ねて来られるので、母は慣れたもので、お茶を出したりおやつを出したりして話をするらしい。神様はお茶を出されることはあまりないそうで、美味しいお茶を喜ばれる。


知り合いになった式神さんも遊びに来る。お菓子を食べながら私と並んでテレビを見ていったりする。主さんに伝えてほしいことを頼みに来たり、愚痴ったりもしていく。感情豊かで本当に私たちと同じだ。

三十六童子さんが来ていると、賑やかなことこの上ない。何せ三十六人いるのだから玄関が履き物でいっぱいになる。脱ぎ散らされた履物を一人が綺麗に整える。小さな履物がちゃんと間違わずに対に揃えられているのが面白い。帰る時にも取り違えたりしないみたいだ。



さあ、「皆」が「おかえりー」と迎えてくれる我が家へ帰ろうか。

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